詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

松坂弘と田島邦彦と「具象」

2022-12-20 11:53:57 | 千駄記

「具象」4号。

 

12/20(火) 晴

 

今年も354日目。

 

昨日の朝、隣町の歌人奥村晃作さんから電話があって

「松坂さんが亡くなったって?詳細を何か知っているかなと思って」

とおっしゃる。私は知らなかった。

数か月前に、短歌は引退したので「晴詠」は送らないでほしい旨

ご家族からハガキを頂戴したことは奥村さんに報告してはいた。

数年前に松坂さん主宰の「炸」を解散して以降の動向は総合誌などで

知る程度であった。「潮音」の平山公一さんにメールで伺うと

「今年春より入院、11/21ご逝去。87歳」とのことだった。

 

松坂さんには地元の板橋歌話会でお世話になったし

今は亡き田島邦彦とも親しかった。おそらく私が生まれる前、

昭和30年代半ばからのお付き合いであったはずだ。

田島さんが2016年12月に亡くなったあと、松坂さんとお話している折り、

自宅マンションの地下にある書庫を整理してくれないか?と言われた。

 

ダンボール箱をトラックに積んで、マンションに伺い

松坂さんが処分したい書物を指示し、若い衆と一緒に地下倉庫から

次々とトラックに積み込んでいった。数百冊はあっただろう。

 

ここ数年はコロナ禍もあって板橋歌話会例会もせず、

お目にかかることはなかったが、一度、クルマを運転中に

奥さんと駅に向かう松坂さんをお見かけし、手を振ったのが最後になった。

ご冥福を祈りたい。

 

 

 

田島邦彦研究「一輪車」に掲載した文章

「松坂弘と田島邦彦と「具象」」

 

手元には古書店で入手した4号しかなくこの数年、私は「具象」を捜し求めていた。

生前、田島にも「具象」を借用したい旨、お願いしたこともあったが、叶うことはなかった。

当時、大学歌人会で活躍していた前川博氏に電話したときには手元にないということだった。

田島の『前登志夫の歌」のあとがきに「今年の六月、私の手元から散逸していた「具象」創刊号

を、沢口さんから送っていただいた。」と書いてあり、十月会でお世話になっている

沢口芙美さんなら、お持ちだろうとは思っていたが、お願いするのは躊躇われた。

それが「一輪車」二号をお送りしたのち、お葉書を頂戴し、

「「具象」が必要なら言ってください」と申し出て頂いたのだ。

ところが、その数週間前から、松坂弘氏のお宅に伺い、地下室に眠っている蔵書を

見せて頂くことになっていたので、返事は保留していた。

 松坂氏は歌人田島邦彦の恩人と言っていい存在だったと私は思っている。

二十代後半で「無頼派」を廃刊した田島は歌人として「開店休業状態」であった。

学生時代の「具象」、二十代での「無頼派」と、藤田武いうところの「前衛の尖兵」としての

活躍が、忘れられつつあった時代、「無頼派」の解散から「開放区」創刊までの十五年間に

田島は「環」と「騎の会」に席をおいたが、参加するきっかけは共に松坂氏だったのである。

田島はこの頃を「いまひとつ熱中できなかった」と振り返ったが、松坂にもそれは伝わっていたのだろう。

だからこそ、田島に刺激を与えるべく、「環」や「騎の会」へ誘ったのだと推察する。

 松坂弘は昭和十年生まれで田島より五歳年長である。十代で太田水穂、島木赤彦らの短歌を知り作歌を始め、

國學院大学文学部を卒業。つまり岸上の先輩にあたる。

 岸上、田島らの「具象」創刊の頃、藤田武、波汐国芳等と同人誌「環」の創刊に参加し、同人誌運動を推進する。

昭和四十八年、岡野弘彦の「人」の創刊に参加。平成二年、高瀬隆和等と「炸」を創刊し、主宰となっている。

現在「現代短歌」で〈歌論演習〉を連載し、板橋歌話会の役員も長く務めていて、田島は毎回のように参加していた。

 地下室の蔵書を拝見しながら「あのぉ「具象」は・・?」と控えめに訊くと、

「あぁあったよ、でも五冊しかないよ」と松坂氏が言われるや否や、私は「五冊しか出てないんです!」と

あまりの感激に大声を上げてしまった。

 しかも「これは石川さんのような人に持っていてもらった方がいいよ」と言って私にそれを託してくださったのであった。

 

 

 

 

 


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