ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

石川遼選手、今週も予選落ち

2008-05-16 20:14:57 | ゴルフ
今週の日本プロゴルフ選手権、石川遼選手も勇躍出場するも、112位タイの成績で今週も敢え無く予選落ち。名だたるベテラン選手も予選落ちを余儀なくされた、選手泣かせの難しい設定のトーナメントだった。
しかし絶好調の片山晋吾選手は2日間ともボギーなしの成績でトップに躍り出た。今季初めてのメジャー大会、明日から熾烈な決勝の戦いが始まる。
大方が期待している石川遼選手の予選落ちは残念だ。
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昭和は遠くなりにけり NO3

2008-05-16 12:08:13 | 独り言
ラジオと白黒TV

何しろ小学校に入学したのが、大東亜戦争の終戦(日本が負けた)の年だった。その後の生活はどこの家も同じだったが、困窮を極めた。従って同じ年次に村の唯一の小学校に入り、中学校に学んだ友と会うと必ず貧しかった頃の話になる。そんな時に唯一の楽しみはラジオを聞く事だった。民間放送はなく、全てNHKの独占放送だった。菊田一夫氏のドラマ「鐘のなる丘」「君の名は」。そして当時盛んに発表されたラジオ歌謡曲の中では「雪の降る街を」が心に残っている。そして浪曲も沢山聞いた、広沢虎造の「次郎長伝」に拍手喝采を送ったものだ。もちろんスポーツの野球や大相撲も全てラジオで聞いていた。そして徳川夢声さんの朗読「宮本武蔵」、6年の担任の先生がやはり国語の時間に同じ「宮本武蔵」の朗読をしてくれた。これが小生の読書にのめり込む土台になっていると思う。

そうして高校生になる前の年に、日本で初めてTVがオンエアーされた。NHKと日本TVが昭和28年に試験放送を開始した。昭和31年「TV,洗濯機、冷蔵庫」が三種の神器と呼ばれた時代だ。まだほとんどの家庭にTVはなく、映画「三丁目の夕日」に描かれた通り、ようやくに一部の家庭に設置される様になる。昭和33年にはNHKの受信件数が100万を突破とある。昭和34年今上天皇のご成婚パレードが中継されることもあり爆発的にTVの需要が増えたと言はれる。この馬車によるパレードはもちろん白黒放映であった。現在の皇太子ご夫妻のご成婚の時の、あの色鮮やかな、華やかなオープンカーのパレードを見ると隔世の感があった。
昭和32年4月大阪の企業の独身寮に入寮したが、幸いに食堂にTVが設置されていたので、色んな番組が楽しめた記憶があります。その後、民間放送が多数参画し、小生の企業も番組を提供することになり、その最初のオンエアーの時間、食堂のTVの前で大勢の仲間と拍手して喜んだ記憶も蘇りました。

TVはまさに、夢と希望がいっぱい詰まった秘密の箱だった気がします。カラーではなかったが自然に想像力で補っていた。みんなが貧乏だったが、文字通り「チャンネルを廻す」という言葉が何の疑いもなく生きていた、そんな白黒TVの時代をまた、懐かしんでしまいました。


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