ラジオと白黒TV
何しろ小学校に入学したのが、大東亜戦争の終戦(日本が負けた)の年だった。その後の生活はどこの家も同じだったが、困窮を極めた。従って同じ年次に村の唯一の小学校に入り、中学校に学んだ友と会うと必ず貧しかった頃の話になる。そんな時に唯一の楽しみはラジオを聞く事だった。民間放送はなく、全てNHKの独占放送だった。菊田一夫氏のドラマ「鐘のなる丘」「君の名は」。そして当時盛んに発表されたラジオ歌謡曲の中では「雪の降る街を」が心に残っている。そして浪曲も沢山聞いた、広沢虎造の「次郎長伝」に拍手喝采を送ったものだ。もちろんスポーツの野球や大相撲も全てラジオで聞いていた。そして徳川夢声さんの朗読「宮本武蔵」、6年の担任の先生がやはり国語の時間に同じ「宮本武蔵」の朗読をしてくれた。これが小生の読書にのめり込む土台になっていると思う。
そうして高校生になる前の年に、日本で初めてTVがオンエアーされた。NHKと日本TVが昭和28年に試験放送を開始した。昭和31年「TV,洗濯機、冷蔵庫」が三種の神器と呼ばれた時代だ。まだほとんどの家庭にTVはなく、映画「三丁目の夕日」に描かれた通り、ようやくに一部の家庭に設置される様になる。昭和33年にはNHKの受信件数が100万を突破とある。昭和34年今上天皇のご成婚パレードが中継されることもあり爆発的にTVの需要が増えたと言はれる。この馬車によるパレードはもちろん白黒放映であった。現在の皇太子ご夫妻のご成婚の時の、あの色鮮やかな、華やかなオープンカーのパレードを見ると隔世の感があった。
昭和32年4月大阪の企業の独身寮に入寮したが、幸いに食堂にTVが設置されていたので、色んな番組が楽しめた記憶があります。その後、民間放送が多数参画し、小生の企業も番組を提供することになり、その最初のオンエアーの時間、食堂のTVの前で大勢の仲間と拍手して喜んだ記憶も蘇りました。
TVはまさに、夢と希望がいっぱい詰まった秘密の箱だった気がします。カラーではなかったが自然に想像力で補っていた。みんなが貧乏だったが、文字通り「チャンネルを廻す」という言葉が何の疑いもなく生きていた、そんな白黒TVの時代をまた、懐かしんでしまいました。