ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

昭和は遠くなりにけり NO4 

2008-05-22 17:08:47 | 独り言
巨人・大鵬・卵焼き

昭和30年代、子どもの大好きなものとして、よくもて囃されたのが今日の表題である。裏返せば「玄人受けしない」の代名詞の様なものだったと思う。当時はプロ野球では、「巨人」の強さは群を抜いていた。V9に繋がる打線も、投手陣も文句の付けようがないものだった。しかし手堅い川上監督の手腕は、一方では面白味がないとも言われていた。

そして大相撲の横綱「大鵬」、遅れて台頭してきた柏戸とともに、「柏鵬時代」を築いた。無類の足腰の強さで大相撲界を席巻した。その彼は日本が敗戦後に母親と兄弟たちで命からがら、樺太から北海道に逃げ帰り、貧窮した少年時代を送る。その後は持前の気力と体力で、大相撲界に入り、遂に横綱に上りつめる。その出生物語が日本人の相撲フアンを引きつけた。そして柏戸というライバルを得て大相撲の人気を支えた。最近の週刊朝日の彼の回顧談を読むと、金にあかして有力選手を補給してプロ野球界の盟主となった「巨人」とは本質的に自分は違うと言う。辛苦を乗り越え自力で勝取った横綱の地位だからこそ「巨人」と同列視されることには不満らしい。もうひとりの横綱柏戸が負傷が癒えたあと、全勝同志で千秋楽に対戦した。その時は土俵際に追いつめられた柏戸が、強引に体を入れ替えて逆転して勝利した。当時石原慎太郎氏が「情実による八百長試合」と批判した。タクシーにたまたま同乗した際に、大鵬は柏戸に「悔しくってならないと」と訴えた。その時柏戸もただハラハラと涙を流して悔しがったそうだ。(寡黙で朴訥な山形人らしい、柏戸の面目躍如のエピソードだ。ちなみに小生も山形人である、こんなところは似ているのかな?笑い)
柏戸は割合早くに亡くなった。その枕辺で大鵬は、「おい起きろ!!」と何度も呼びかけたそうだ。

卵焼き、これは子どものお弁当の定番。卵焼きの嫌いな子どもはいない。寿司屋でも自分の店で、如何に美味しい卵焼きが焼けるかで格が決るとも言う。

コメント (6)
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