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ソ連「日ソ不可侵条約」破棄を日本に通告

2016年08月21日 | 日々の出来事
昭和17年6月7日 ミッドウェー海戦に大敗する

昭和19年9月8日 三国同盟の一つイタリヤ降伏

昭和20年3月10日 東京大空襲で一般都民10万焼死

昭和20年3月26日 最初で最後の沖縄戦、(三か月間)

昭和20年4月5日 ソ連「日ソ不可侵条約(日ソ中立条約)破棄を通告


この通告を受け取った日本は、何ら手を打たず放置します。

しかし、既にこの年の二月、ソ連はアメリカルーズベルト大統領に、

日本戦に参戦することの承認を取り付けているのです。



ソ連が何の利益が有って、条約破棄を通告してきたのか。

日本にとってどんな情勢の変化が起きるのか。

こんな単純な理を、理解できないボンクラ達が、日本を仕切っていたのかと、

鳥肌が立つ思いですね。

こんなことが、終戦まで続くのです。

最初で最後の本土決戦 沖縄戦

2016年08月20日 | 日々の出来事


三月十日、都民十万が焼死した東京大空襲の半月後、

1945.3.26~6.23、この戦争で唯一本土決戦の沖縄戦です

米英連合の54万、対する日本軍は11万。


この兵力の差は何故か?

日本軍総司令部は、当初から沖縄を捨て石と考え、沖縄の精鋭部隊を

台湾に避難させたのです。



連合軍が、沖縄本土に上陸するに先駆けて、大小合わせて艦砲射撃

10万発も打ち込まれたのです。

二か月半の本土決戦で、一度だけ決死の反撃を挑むのですが、

日本軍総司令部に、当初から捨て石とされ、じり貧を辿るしかない宿命。

いやそれ以上に、つらく悲しい群命によって、命を落としていくのです。



十代の男子学生は、鉄血勤皇態として軍隊へ、女学生は従軍看護婦として

傷痍軍人の治療看護にあたります。

この女学生部隊は白百合隊として有名ですね。

こうして、軍人でもない一般人が、軍と共に活躍するのですが、

軍は彼女たちに、自ら命を絶つために、毒薬や手りゅう弾を渡すのです


毒薬や手りゅう弾を渡されなかったから、運が良かったと

喜んではいられない事が、連合軍兵士によってもたらされます。

総勢一万人にも及ぶ、連合軍兵士による強姦です。

当該兵士は、国連側の裁判にかけられますが、一旦は有罪になり増すが、

後に軍部によって無罪放免となります。

今の沖縄米軍の、沖縄県民に対する強姦や殺人が、いまだに絶えないで、

犯人を本国送還ののち、無罪放免されるのとそっくりです。




事ここに至っても、日本軍は敗戦処理を遅らせる暴挙に走るのです。

彼らには、国体護持(天皇制の維持)しかあたまにないのです。



まだ勝てる気か、東京大空襲

2016年08月18日 | 日々の出来事
この東京タワーは、日本の戦後の復興のシンボルと言われた


1945.3.10未明、米軍機B-29が300機余りの編隊を組んで、

東京の街を爆撃した。

死亡者は、およそ10万人と言われている。

ミットウエー海戦の項で述べたように、遅かれ早かれ本土爆撃は、

避けられなくなって居た
訳です。

本土の防衛力は、航空機の迎撃と陸上からの高射砲が主のはずだが、

全く機能しなかったのです。



この時の米軍飛行士は、日本軍の反撃がないことを知って、全く無抵抗の日本国民を、

ニヤニヤしながら、しかも逃げる目先に、焼夷弾を落としていた
という。

後に、生き残った人々の証言によれば、ただ死ぬのではなく、火あぶりの刑で

焼き殺されているようだったと・・・粋を集めてつくられたが、



東京スカイツリーは、現代日本の粋を集めて造られたが、人間の命を大切にする心の政治を

強く望みたい








三国同盟の崩壊、イタリヤの降伏

2016年08月17日 | 日々の出来事


日本が、ミッドウェー海戦に敗れて、一年三か月後の1943.9.8 

イタリアが降伏しました。


三国同盟の一国とはいえ、イタリヤの離脱が、何故重要な終戦の転機なのか

というと、第二次世界大戦に突入した大きな要因は、この三国同盟

締結出来たからです。

冷静に戦力を分析出来るシステムが有れば・・・

或いはこの時の環境下で、終戦について議論することなど出来なかったことは、

理解できないわけではないが、大きな転機であったことは、間違いありません。



判り易い説明をしましょう。

日独伊三国から三人づつ選手を出して、9人制のバレーボールの、

試合をしたとします。

相手は連合国軍です。

試合中にイタリーの選手が、ホテルの朝食で中毒を起こしたとします。

急遽日独で三人補充は無理で、通常なら、試合続行は不可能と判断し、

相手連合国に中止を申し入れるでしょう。

所が、連合国は9人で日独は6人で、ドイツ降伏まで一年半近く、

試合が続行されたのです。










日本の実質的な敗戦は三年二か月前

2016年08月16日 | 日々の出来事


太平洋戦争の終戦は、1945年8月15日であるが、

私なりに解析してみると、実質的敗戦日は、それより三年二か月も前の、

ミットウエー海戦に、日本が敗れた時
と言える。



先ず、ミッドウェーは、米軍側にとって、日本本土に爆撃する場合、

燃料補給なしで、往復が可能となる位置である
こと。

次に、この海戦で日本の艦船と航空機の損失が、決定的な損害を受けた こと。

三つ目は、この海戦では日本軍の暗号を解読されていたようだ。

逆説的には、これで良く三年以上耐えたとも言えよう。