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彼女の家まで車を走らせながら、淳はどこか嬉しい気持ちでハンドルを握っていた。
というのも、先ほど雪に自分の進路を打ち明けた際、彼女が予想外の反応をしたからだった。
先輩が卒業して社会人になった時‥まだ先輩の側に私はいられるのかな~なんて‥
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彼女は自分が大企業の跡継ぎだということを知っても、嫉妬を表に表すでもなく距離を置くでもなく、
彼と自分が共にいるかどうかという将来を心配した。
淳はそんな彼女をいじらしく思い、雪の隣で嬉しそうに笑った‥。
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「着いたよ」
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淳は車を路肩に停めると、シートベルトを外す彼女に「忘れ物無い?」と声を掛けた。
彼女は微笑んで頷くと、帰宅の身支度を始める。
「雪ちゃん」
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淳は彼女の名を呼び、微笑みながら彼女に近付いた。
ハンドルに手を掛けながら、そのままキョトンとした表情の彼女を抱き寄せる。
「何でそんなこと心配するの?寂しくなった?」
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約半年後には、二人は全く違う環境に身を置くことになる‥。
雪は気まずそうに笑いながら、「いえ‥ちょっと心配しすぎてるみたいです」と口にした。
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淳は彼女の耳元で、「拗ねた?」と口にして彼女をからかった。
いつも彼女から「よく拗ねる」と言われているお返しだ。
「だ、誰が‥!」
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雪は幾分憤慨しながら、そのまま身を起こそうとした。
しかし淳は彼女を離さなかった。雪の腰に腕を回し、グッと深く抱き寄せる。
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互いの身体が密着すると、雪の心臓がドクンと跳ねた。
雪は身体を硬直させたまま、冷や汗に似た汗がダラダラと顔を伝うのを感じる。
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雪の体にまわされた淳の右手が、彼女の肩から腕を伝う。その触れ方は優しかったが、力強くもあった。
いつも別れ際にする軽いハグとは、何もかもが違っていた。
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雪は抱き締められた状態のまま、グルグルと色々なことを考えた。
心の中はどこか気まずい思いでいっぱいだ。
こ、こういう時一体どうすればいいんだろう?
嫌じゃないけど...ギクシャクしちゃう
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雪は自分がどういうアクションを返せば良いのか分からなかった。
ただひたすら今の状態にドギマギするので精一杯だ。
わ‥私も抱き締め返せばいい‥?
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雪は自分の腕を動かそうと試みてみるが、ガッチリと抱かれているのでその手は力無くブランと垂れ下がる。
ゴクリ、と生唾を飲み込みながら、ぎこちない心と身体が軋んだ。
嫌じゃない‥もちろん嫌じゃないけど‥
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そう思いながらもそのままの姿勢で固まっていると、不意に彼が身体を動かした。
彼の口元が彼女の耳とうなじのあたりを、優しく触れるように掠めていく。
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敏感な部分に彼の息遣いを感じた雪は赤面し、更に身体を硬直させた。
息を吸うことも吐くことも、忘れてしまったかのように。
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あの‥、と雪が小さく呟いた時、彼は彼女の前に身体をずらした。
目を丸くした彼女の顔の真ん前に、至近距離で彼の顔があった。
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淳はあの日のことを考えていた。
あの蒸し暑い夏の夜、彼女の家に泊まった日のことを。
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あの時は特に意識はしなかった。
しかしあの後もう一度あの日のことを思い出して、淳は自覚したのだ。
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あの時確かに自分は、雪の唇に惹き寄せられた‥。
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淳は彼女の両腕を掴みながら、じっと雪の唇を見つめた。
あの時心の中に感じた熱い思いを、もう一度確かめるように。
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そして今度は、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
彼女も同じく彼の瞳を見つめているが、どこかキョトンとした表情をしている。
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二人は前髪が触れそうな至近距離で、暫し見つめ合いながらじっとしていた。
その唇と唇までの距離約10センチが、今二人の間にある全てだった。
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雪は依然としてどうすれば良いのか分からなかった。
大きな目をキョロキョロと動かしながら、ただそのまま硬直する。
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彼はそんな彼女を見つめながら、その瞳が閉じるのをじっと待っていた。
上目遣いの視線のまま、彼女の表情を静観する。
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雪はなぜ彼が真顔のまま目の前に居続けるのか分からなかった。
心の中で何度も「え?え?」と言いながら疑問符を飛ばし、とうとう最後まで目を大きく開けていた。
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そして淳は、彼女に向かって一言発した。
「やだ?」
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「へっ?!」と素っ頓狂な雪の声が、車中に響く。
雪は大きなリアクションと共に首を横に振ると、上ずった声で答えた。
「いえ‥!ち、違くて‥!」
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緊張しちゃって、と言って彼女は俯き、彼から視線を外して頭を掻いた。
彼はそんな彼女を見ながら、気まずい気持ちで同じように頭を掻く‥。
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雪の腕を掴んでいた淳の手が、力無く外された。
淳は彼女から視線を逸らしながら、ポツリと彼女に謝った。
「‥ごめん」
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腕に感じていた彼の体温が、離された掌と共にゆっくりと引いていく。
雪の視線は、無意識に彼の手を追っていた。
まるでスローモーションのように、徐ろに離れていく。
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そのまま身体も離す淳を追って、雪は無自覚に身を乗り出した。
胸の中が寂寞と焦燥で騒ぎ、名の付かぬ感情が波のように押し寄せる。
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雪は何も考えられないまま、気がついたら声を上げて彼の掌を強く掴んでいた。
「ちょっと待って!!」
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その突発的な彼女の行動に、思わず淳は息を呑んだ。
口を開けたまま二の句の継げない雪と、あっけにとられたような表情の淳は、そのまま互いを見つめて固まる。
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しかしそれきり雪が何も言わないので、淳は再び視線を逸らした。
「それじゃ、もう‥」
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背を向けようとする彼を前にして、雪は心が焦燥で騒ぐのを感じた。
ダラダラと汗を掻きながら、自らを奮い立たせる。
ダメ‥!このまま見送るなんて‥。あぁ私ってば何て鈍いの‥!
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自分の”恋愛初心者&鈍さ加減”が嫌になる‥。そして手を握ってしまったからには、もう後には引けなかった。
雪は彼の掌を掴んでいた手を離し、今度は淳の顔を掴んでグイッと上に向けた。
淳は驚き、思わずその大きな目を見開く。
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雪は座席の上で半分立ち上がりかけながら、彼の顔を掴んで言った。
「せ、先輩‥!」
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垂れた厚い前髪の隙間から、彼女の瞳が見えた。
メラメラと燃えている。
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顔面蒼白の淳は、その尋常ではない目つきの彼女を前にして、ただただ息を飲んだ。
「雪ちゃ‥」
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何をされるかさっぱり読めない。淳の顔がビクリと引き攣る。
そして次の瞬間、彼女の顔が近づいて来た。覆いかぶさるような姿勢の雪が、淳の顔に影を作る。
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優しく、彼女は彼の頬を触った。
柔らかく温かな彼女の唇が、彼の頬にそっと触れる‥。
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彼女がゆっくりと唇を離しても、
淳はポカンとした表情のまま彼女を見上げていた。
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雪は勢いで行った自分の行動を今更自覚して、顔中真っ赤になっていた。
下ろした手で彼の服を掴みながら、シュンシュンと蒸気を上げて燃え上がる。
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「雪‥」
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ようやく何をされたか理解した淳が、笑みを浮かべながら彼女の名を口にした。
しかし彼がみなまで言う前に、雪は彼の鼻をギュッと掴んで声を上げた。
「笑うな!」
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ジンジン痛む鼻を押さえながら、淳はひたすらビックリ仰天である。
そして「もう行く!」と勢い良く言って、彼女は車を下りて行った。
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肩を怒らせながらドスドスと帰路を行く雪だったが、
不意に振り向いて「う、運転気をつけて下さいよ!」と彼に声を掛けた。
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そして彼女が目にしたのは、笑い出す寸前の彼の顔‥。
「‥‥ぷ‥」
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雪は既に車から数メートル離れていたが、彼のけたたましい笑い声はその場で大いに聞くことが出来た。
「ぷはははは!!」
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雪は悶絶しそうになりながら、その場でひたすら声を上げる。
「ああああああ‥!」
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そんな彼女の後ろから、「そっちこそ気をつけて帰ってね!」と彼の声が飛ぶ。
雪は恥ずかしさといたたまれなさでいっぱいになりながら、そのまま道を歩いて行った。
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背後でまだ彼の笑っている声が聞こえる。
そして湿気を沢山含んだ夜風が、雪の隣を吹き抜けて行った‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<唇まで10センチ>でした。
お嬢さん‥そういう時は目を閉じるのデスヨ‥(^^;)
すごく微細に心情が描かれた回でしたね‥。セリフが少ない分、様々な想像が出来る回でもあったと思います。
彼に抱き締められても、ドキドキとか嬉しいとかそういった感情が一切無い雪ちゃんにビックリです。
まだ彼と手を握るくらいで十分のレベルの「好き」なんでしょうね。
これからの雪ちゃんの心情の変化に注目です。
次回は<渡せなかった傘>です。
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毎日日課のように読ませていただいてます☆今回の話はとくにキャーU+2764って感じですごくよかったです!大変だと思いますがこれからも更新楽しみにしているのでかんばって下さい(^ ^)
コメントありがとうございます^0^
毎日読んで下さってるのですね~!とっても嬉しいです^^
更新頑張ります!応援ありがとうございます☆
いや~今回はドキドキ回でしたね!あの首筋を掠める先輩、読者の方が赤面しちゃう 笑
大好きな雪の髪に顔を埋められて感無亮でしょうかね~?キッスは出来なかったけど^^;
そっちでしたか~。先輩が思っていた雪の気にしている事の内容。
自分の素性(ブラックでない)を明かしたときの雪の反応が気になってたのか。
これはもう、今までの雪の自分に対する接し方(損得勘定で自分に寄って来る他の人とは違う)で大丈夫とわかっていたんだと思っていましたが、しっかりと明かすことに、心配があったんですね~?自分を決して否定しないメンタル強い黒淳にもそんな面があったことを知り少しほっこりしました。
こうしてきちんと読んでみると、萌えシーンでもあるけど、雪ちゃんの様子がオカシイですね~!
身を引く先輩のカットのところ。
『雪の視線は、無意識に彼の手を追っていた。
まるでスローモーションのように、徐ろに離れていく。』
これ、とてもシックリクル素敵な表現だと思いました。
あのカット、なんだかな?と思っていたので…!
確かにあのコマの後の雪ちゃん焦った顔してますね、名の付かぬ感情が押し寄せる…
うんうん、そういう状況想像出来ました~。
いやぁ~。毎度のことながら素晴らしい記事ありがとうございます。
しかしリアルであの顔の距離はムリです!ほんと事件です。顔大接近事件…!
首すじに顔のところももちろんですが(ノε`*)ノ、唇を見つめる先輩の背中、背が高い先輩が雪の顔に目線を合わせた背中具合いいですね~(*´艸`)
>彼女をいじらしく思い、雪の隣で嬉しそうに笑った‥。
この笑っている先輩・・・。
本当!心底安心したような、心から素直な笑顔に見えます!
Ýukkanen師匠っ!先輩や雪ちゃんの気持ちがすっかりわかっていてスゴイ!
嬉しくて、もう雪ちゃん離さないヨ―――!
という想いあふれるハグに私もドキドキしましたっ。
大企業の跡取りだと打ち明けたときの、ちょっとおどけたようなちゃかしたような表情は、不安を隠し、雪ちゃんが構えたときの防御の笑みだったのですね。(←あってますか?)
でも、雪ちゃんの中には、<彼女の居ない未来>で皆さんがおっしゃっていたように、先輩と自分は違う、釣り合わないと思っている部分があるし、今後、どうなっていくのか気になって仕方ないです。(結構深刻な事態なんじゃないかなと・・・)
この回の雪ちゃん!先輩の手を握って後に引けなくてメラメラと燃えた瞳、血の汗(!?)!
私ってばなんて鈍いの―――!とほっぺにチューして鼻をギュー、シュンシュンと蒸気を上げて面白―い!カワイイ! うんうん、よく頑張りました!
私も先輩と一緒に プハハハ、と笑いました(^^;)!
やられっぱなしの先輩も可愛かったです。
そしてりんごさん!顔大接近事件!キャー!どうしましょうっ!
(そして雪ちゃんてば、こういうときいつも目を開いてるような・・・)
何でしょう?分からないのですけど、スミマセン・・・。
>そっちでしたか~。先輩が思っていた雪の気にしている事の内容。
だと思うんですけどね~^^;
先輩も人を見る目というか、その人の本性を見抜く目は凄くあると思うので、
嫉妬するか分不相応だと引かれるかのどっちかだと踏んでたんじゃないかな~と思います。
だから雪が「先輩の未来に私はいるのか」と、素性を明かした後でも尚一緒にいたいと思ってくれてる‥と嬉しかったんじゃないですかね。。
そしてりんごさんの萌えツボの細かさ(というか背中萌え)にほっこり‥。さすがりんごさん‥(*´◇`*)
どんぐりさん
出ましたね謎の文字化け‥!とうとう私の名前にも文字化け‥笑
先輩は嬉しかった時に急接近してきますよね~。前回の時計をあげたときもしかり。3部20話でもしかり。
あと私前回のコメで、先輩が御曹司だということを打ち明けた時に雪ちゃんが「自分には釣り合わないんじゃないかと思う」んじゃないかって書いてましたが、
改めて考えなおすと雪ちゃんは嫉妬というか、闘争心を燃やす方向に行くんじゃないかな、と。
成績面でもそうですし、どこか彼にライバル心を燃やしてますよね、雪ちゃんって。
彼の心の闇に気づいたらまた変わっていくんじゃないかと思うんですが、今のままでは張り合ってばかりな感じも‥。(先輩は微塵もそんなことは望んでないんんですが‥)カップルとしては深刻な問題ですよね。
淳の「イヤ?」って聞くな~って思いませんか?
たまにこの手のシーンでいい?だのイヤ?だの聞く男いますけど・・
逃げてないんだからそのままコトを進めて下さいっ
まああそこまで雪に目を見開かれたら難しいか
雪目をつぶれ
ほんとにもー
いえ、ホンジュンとアヨンの微笑ましくも素直でストレートなやり取りを見たうえでここのやり取りを見ると、兄さん姉さんの下手くそなやり方に、ツッコミの一つも浴びせずにはいられなかったので。
言いたいことを言い、やりたいことをやる、という当たり前のことを忘れてしまった人たちは難儀やなあ、と思った次第です。
これも意見分かれてましたけど、このがっつかなさはそうじゃないと思ってるんですけどねえ~
欲望薄いのか理性が勝っているのは量れずtpも、
ここまで余裕をもてるのはやっぱりある程度経験があるからじゃないかと。
もしくは実は20代じゃないとか(笑)
てかホンジュンとアヨンて蓮と惠でしたっけ。
そんな「素直でストレートなやり取り」を行っていたんですね。
二十歳らしい健やかなやり取りだったんだろうな~(すみません、ハングルちっとも読めないもので)
で「言いたいことを言い、やりたいことをやる」のを忘れてしまったというか
きっと押さえつけられてその方法がわからない人たちなんだと思うんです。
そこをお互い突き破ってほしーなーと思う今日この頃。
プラトニックもいいけど、もっと色々本音でぶつかったり触れ合ったりして自分の殻を破る必要がありますよ。
淳ってすごくスマートなイメージですが、肝心なところで言葉足らずというかピントがズレてる気がしますよね。
数多くの女の子と形式的に付き合ってきたノウハウはあっても、こういった予想外の出来事に直面したときは弱い‥それで「やだ?」と聞いたのかしら^^;
まぁ確かにあんなに目を見開かれた日には‥。私が男でも聞いちゃうかも~^^!
青さん
DT論には定評のある青さんがいらっしゃった!(^▽^)
しかも今ソウルでいらっしゃいますか!冬のソウル、寒そうですよねぇ。体調にお気をつけ下さいね~。
>言いたいことを言い、やりたいことをやる、という当たり前のことを忘れてしまった人たちは難儀やなあ、と思った次第です。
アッパレでございます。その通り!