ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

9月9日(土)のつぶやき

2017年09月10日 05時25分19秒 | Weblog
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聞いてみないとわからないこと

2017年09月10日 00時45分12秒 | 雑感
こんばんは!!
昨日の寝不足分を夕飯後2時間の昼寝(夜寝??)で埋めた気分の藤井です。

今日はジュニオケのトランペットのレッスンとA合奏の練習をしました。


めっちゃいろんなこと話してくれる生徒と、ほとんど声を聞いたことがないくらいの生徒がいます。


それ、ジュニオケに限らず、いろんなところで関わってる生徒ね!

で、いろいろ話してくれる生徒は、そりゃーいろいろわかります。さりとて、知らない部分だっていっぱい。

全然声も出さないような生徒は、目には見えてるので、もちろん今の単に外から見た状態は分かるけど、何でそうなってるのかとか、どんな気持ちなのかとかは、「想像」するしかない。

家族からチラリと話を聞いたりすることもあるけど、そうすると「わあ!そうなんだ!!」と、全然違うことが分かったりすることもあるし、家族からの話がむしろさらに家族の「フィルター」がかかってて、もっと勘違いを引き起こすこともあるしねー。


また逆に、私の行動を見てそれ自体は「事実」なんだけど、何でそうしてるのかをまあ私が特に説明してなかったりすると、勝手に想像されてあとで聞いてみたら、うわぁそんな勘違いになっちゃうか??めっちゃ想像だね、、、ってこともあったなぁ。


おおお、書いていくと、いかに人の考えが自分の勝手な(それまでの自分の経験によって知らず識らずのうちについてしまった)「フィルタ」によって、同じモノを見ても違った事実に感じられたりするというねー、、、ってことがあるのかー!と分かってきたゾォ。

っつーと、

どっちにしろ、自分の「フィルタ」はかかるんだけど、でも想像で適当に補ってる部分が多いか少ないかで、より相手の感じてるモノに近づける距離が違ってくる気がする。


なので、少しでも話なんか出来たりすると、「うっへー!!そーなのー?!」ってことがねー、いっぱいよ。

親子、兄弟、夫婦、、、であっても全部なんかは理解できてないわけだから、生徒と先生などという関係で全部なんぞわかりゃせんのだけれど、それでも、理解の量が多ければ「共感」できるところが多くなるし、どんなアプローチすれば伝わりやすいかとか、何でそういうリアクションなのかとか、そういうのがよりリアルにストレートになるね。


レッスンとかでは、技術も教えなきゃいけない、、、だからそこを何とか詰め込もうとしちゃう。

でも、「共感」できないと結局その瞬間なにかできたとしても、心に「ピン」ときてなかったりすると、「残らない」のかもなー。


「共感」出来てれば、こまかく技術とか教え込まれなくても勝手に刷り込まれて行くのかもな、、、、


ってことは、


一見ムダな「話」ってのをする&聞くのも、むしろ大事かもしれんなー。


ホント、聞いてびっくりなことがいっぱいあるからなー。


それはお互い、えっ?そうだったのー??って、前提が違ってれば、そっから想像したものがズレてくるのは当然だもんね。すると本質がなかなか伝わらないかも、、、、


今日のブログタイトルを付けた時には、もっと「こういうことがあったよー」ってことを書こうと思ってたんだけど、思いがけず、ちょいと深めの考察になったな。。。

あー、もっと相手を理解できるように、ちょっとした無駄話なんかの一見ムダな時間を大事にしよう、、、と思った夜でした。
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