今日は大宮の高島屋ビアガーデンで演奏でしたよー goo.gl/aMZGma
— 藤井裕子 (@YukoTrumpeter) 2018年5月12日 - 00:46
こんばんはー。
いやー、長い1日でした。我ながらよく働きました。最後は、楽器吹き過ぎとかでは全くなく、単に寝不足と草臥れでカッチカチな音しか出なくて、、、もっとトレーニングしなきゃですな。
ところで、、、
んー、いろんなレッスンをしてて、
楽器は何かコツがあって、それさえ教えてもらえばすぐ出来る
と実は思ってるんじゃないか?って感じることが時々あります。
そりゃー、何かしらこの方が上手くいく、とかこれだと上手くいかないとか、これはこうするものだ、などはありますよね。だから、専門家にレッスンしてもらったり、何より近くで音を聞いて感じるってのが大事だし、今やってることがまるで違ったことやってないかチェックしてもらって、こっちに向かうといいよーとアドバイスをもらうってものじゃないかなーと思うわけです。
で、実際に自分の感覚に落とし込んでいくっていう作業は、「練習」ってやつですよね。
ムッキムキになるためってんじゃない、なんでしょ?脳の指令と神経と筋肉を連動させて、それでいいのかを感覚でキャッチしてまた脳の指令に、、、っていうここのところは、蒔いた種から芽が出るのと同じく、時間がかかります。
そこね、それはコツじゃない。
何度もやって、無意識にできるレベルに落とし込んでいくってヤツ。
でも、「コツを習えばできるはず」と思っていると、その単純なトレーニングが無駄に感じちゃうみたい。
1回やればもう分かった!みたいな。
で、数回やってできなければ、「できないや」で終了。
もっといいやり方があるはずだ!って。やったけどできないから、もっとちゃんと教えてよ!的なね。
ギリギリいいところまで来てるんだけど、あと一歩何かが、、、みたいな場合は、ちょっとしたコツで魔法のようにできたりすることもあるんです。
でもこれはさ、今までの積み重ねがあったればこそ。
あるいは、ほんの些細な変化で行けるレベルのことだった場合に限る。
どこかのレベルからはやはり、じっくり時間をかけて練習するしかないし、はたまたどこかのレベルでは急に面白いくらいぐんぐん伸びることもね。
ここからは、単なる偏見だから聞き流してもらっていいけれど、なんでしょう?ある程度高学歴な人や高学歴な親を持つ子どもさんなんかに、この「コツ」さえってタイプが多い気がする。
本当に頭のいい人はまた違うと思うんだけど、「学歴」にブランド感じてるタイプには多い気がするんだよな。(あくまで偏見)
そうすると、どこか愚直な練習が馬鹿らしくなったり不要と思えたり。
でも愚直な練習にイマジネーションの翼を生やして、単なる繰り返しじゃなくて想像力豊かに練習なんか出来ちゃえばすっごくいいんたけどー。
そういう練習に価値を見出だせないと、親は子どもにしっかり練習させるってところを軽んじちゃう。
「うちの子やらないんですよ」、とか「出来ないんですよ」とか、「なんでできないの?!」とか。
まずはどんな音出したいか、たくさん音楽浴びてイメージ作る。
レッスンでちょっとしたコツや、技術のポイントを習う。チェックしてもらう。先生の音や全体像を感覚に取り込む。
んで、お家とかでそれを身体に落とし込む。「練習」ね。
「あとは練習するしかないね」というと、なんかガッカリする子がいる。まあ、言い方を「あとは練習すればできるよ!」にすべきか(^_^;)
科学なんかでも、ホントはほとんど何もわかっちゃいないんだけど、でも「科学の進歩」とか言って、あたかも何もかも科学で解明できるみたいな風潮があって、まあ天気予報や地震の予知なんかその典型だとおもうけど、チョチョイのチョイみたいについ思っちゃう今日この頃だけど、
でもホントは地道にコツコツやるしかない、時間をかけるしかない、そういうものが山盛りなんだよ、分かってることなんてほとんどないよ、、、っての。
そこ。
まあホントやるしかない。
あー、というわけで私もやるしかないッ!!地道に頑張らねば!!
それではまた明日ー(;^ω^)
いやー、長い1日でした。我ながらよく働きました。最後は、楽器吹き過ぎとかでは全くなく、単に寝不足と草臥れでカッチカチな音しか出なくて、、、もっとトレーニングしなきゃですな。
ところで、、、
んー、いろんなレッスンをしてて、
楽器は何かコツがあって、それさえ教えてもらえばすぐ出来る
と実は思ってるんじゃないか?って感じることが時々あります。
そりゃー、何かしらこの方が上手くいく、とかこれだと上手くいかないとか、これはこうするものだ、などはありますよね。だから、専門家にレッスンしてもらったり、何より近くで音を聞いて感じるってのが大事だし、今やってることがまるで違ったことやってないかチェックしてもらって、こっちに向かうといいよーとアドバイスをもらうってものじゃないかなーと思うわけです。
で、実際に自分の感覚に落とし込んでいくっていう作業は、「練習」ってやつですよね。
ムッキムキになるためってんじゃない、なんでしょ?脳の指令と神経と筋肉を連動させて、それでいいのかを感覚でキャッチしてまた脳の指令に、、、っていうここのところは、蒔いた種から芽が出るのと同じく、時間がかかります。
そこね、それはコツじゃない。
何度もやって、無意識にできるレベルに落とし込んでいくってヤツ。
でも、「コツを習えばできるはず」と思っていると、その単純なトレーニングが無駄に感じちゃうみたい。
1回やればもう分かった!みたいな。
で、数回やってできなければ、「できないや」で終了。
もっといいやり方があるはずだ!って。やったけどできないから、もっとちゃんと教えてよ!的なね。
ギリギリいいところまで来てるんだけど、あと一歩何かが、、、みたいな場合は、ちょっとしたコツで魔法のようにできたりすることもあるんです。
でもこれはさ、今までの積み重ねがあったればこそ。
あるいは、ほんの些細な変化で行けるレベルのことだった場合に限る。
どこかのレベルからはやはり、じっくり時間をかけて練習するしかないし、はたまたどこかのレベルでは急に面白いくらいぐんぐん伸びることもね。
ここからは、単なる偏見だから聞き流してもらっていいけれど、なんでしょう?ある程度高学歴な人や高学歴な親を持つ子どもさんなんかに、この「コツ」さえってタイプが多い気がする。
本当に頭のいい人はまた違うと思うんだけど、「学歴」にブランド感じてるタイプには多い気がするんだよな。(あくまで偏見)
そうすると、どこか愚直な練習が馬鹿らしくなったり不要と思えたり。
でも愚直な練習にイマジネーションの翼を生やして、単なる繰り返しじゃなくて想像力豊かに練習なんか出来ちゃえばすっごくいいんたけどー。
そういう練習に価値を見出だせないと、親は子どもにしっかり練習させるってところを軽んじちゃう。
「うちの子やらないんですよ」、とか「出来ないんですよ」とか、「なんでできないの?!」とか。
まずはどんな音出したいか、たくさん音楽浴びてイメージ作る。
レッスンでちょっとしたコツや、技術のポイントを習う。チェックしてもらう。先生の音や全体像を感覚に取り込む。
んで、お家とかでそれを身体に落とし込む。「練習」ね。
「あとは練習するしかないね」というと、なんかガッカリする子がいる。まあ、言い方を「あとは練習すればできるよ!」にすべきか(^_^;)
科学なんかでも、ホントはほとんど何もわかっちゃいないんだけど、でも「科学の進歩」とか言って、あたかも何もかも科学で解明できるみたいな風潮があって、まあ天気予報や地震の予知なんかその典型だとおもうけど、チョチョイのチョイみたいについ思っちゃう今日この頃だけど、
でもホントは地道にコツコツやるしかない、時間をかけるしかない、そういうものが山盛りなんだよ、分かってることなんてほとんどないよ、、、っての。
そこ。
まあホントやるしかない。
あー、というわけで私もやるしかないッ!!地道に頑張らねば!!
それではまた明日ー(;^ω^)