ゆこちんのトランペット

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脳は過去と未来へ行くことができる、、、だから1小節とか4分音符とか分かる、、、(意味わかるー??)(笑)

2020年09月11日 00時39分00秒 | 論文ネタ
こんばんはー!!!

さーてと!時々書いてるリズムのオンラインサロン系のトンデモ話をぶち上げようと思います!!

というか、サロン的にもトンデモ話ですが、自分で結構納得した(笑)ので書こうー!!

input左脳ーoutput右脳の「さう」という稀有なタイプということが判明した通り、ものすごくいろいろinputした結果を、直感的なざっくりとしたイメージでお届けしますよー!

☆☆☆☆☆



世の中で、実は「腸」が大事なんじゃないか?造血も免疫も決断力も、いろんなモノに腸が関わってるのではないか?という話が出ていて、最初はへー、、、くらいに思っていたのですが、

ナマコやウニのことを思い出し、あのタイプの生物は脳はないけれど、あたかも脳があって自分で判断しているあのような動きをすること、また人間の遺伝子にかなり近いということ、、、

そして、ふと自分の身体を思った時、

口があって、、、腸があって、、、肛門があって、、、


これが全部繋がってて、ひとつの物体としての自分がいるな、と思った時、

このいわゆる「消化器」たちは、未来の心配とか過去のこととか、考えてなくて、今ここにある。たった今ここで生きてる自分本体なんじゃないか?と思えてきて。


そうしたら、急に「脳」が心で自分自身だと思っていたけど、違うんじゃないか?という疑念が。

そして、脳を使っている時って、実は未来を考えていたり、過去を思っていたり、、、

その瞬間はここにいなくて、未来や過去にいる。なんなら、時空も越えて、宇宙を思うこともできるし、電話してれば、すぐ近くに相手を感じることもできる。

そうやって、脳が主導しているときは、今ここにいなくて(いる場合もあるかもしれないけど)、時間も空間も超えることができる。


そこで、、、


急に西洋式リズムのことに頭が行って、、、


身体は考えないから「今」を感じている。今を生きている。常に「今」。

一方、脳は今を考えていたとしても空間的にどこかへ行っている場合もあって、未来や過去を思っている。(今晩何食べようかな?とか、あれやっちゃわなきゃ!とか)


西洋のリズムの基本は、

【分割】

4分音符、8分音符、という名前からも分かるように、1小節をどう分けるか、が基本になっている。

自分が生徒に教えるときも、常に「8分音符は1拍に2つ均等に入れるんだよ!!」などと、何かを「割る」という考えが当たり前だと思ってたし、そもそも名前がそうなんだから、そりゃそーでしょ?くらいの。

メトロノームをかければ、その中に2つ入れる、3つ入れる、4つ入れる、、、などで、リズムを作って来ていた。

そこで、ハッと、、、


1小節を、、とか言ってるけど、「今」というポイントから考えると、1小節っていう長さは、めちゃくちゃ観念的で、実在しない、未来と過去の概念の中には存在するけど、それは空想の中にしかないのではないか?と。


実際に人間は「今」しかどうにもできないわけで、未来も過去も脳が想念の中で作り出したものに過ぎない。

だとしたら、この「分割」という考え方そのものが、「脳」で考えた時間の概念によってのみ、できるモノなんじゃないか?と。

キリスト教世界(ざっくり西洋)は、神が作った宇宙は完璧で美しく、素晴らしい法則に則っているに違いない、、、という考えがあって、音楽はそういう意味で学問であり、科学である。

歴史的に見ても、科学者が音楽を扱っている場合が多い。

音楽を「概念」で「考えた」から、リズムを「分割」で考えたのではないか?!

一方、アフリカや西洋であっても庶民にとっての音楽は「概念」ではなく、身体を使って楽しむ、感じる、共鳴する、通信、、、、いろいろあるだろうけど、今ここで振動する身体にフォーカスしている。

身体そのもので今生きている、、、

鑑賞するというよりは、共有という感覚。

そして、「今」の連続、、、だとすると、西洋のような「分割」ではなく、音を生み出す瞬間の連続。。。音を生み出す瞬間の連続的な躍動、、、

分割という感覚でなければ、「4拍子」などのように元々の区切りがあって、それを幾つに分けるかという割算的な考えではなく、、様々な律動が重なる部分が、西洋的に考えたときの小節のような1つの区切りになって感じられる、最小公倍数的な感覚、、、


「今」にフォーカスし身体から生み出されるビートに心を解放して委ねていく、、、

そういう時間的な感覚の違いが、西洋とアフリカの大きな違いじゃないかな?と。

「脳」「概念」「過去と未来」という感覚の西洋と、「肉体」「共有」「今」という感覚のアフリカ(とヨーロッパの庶民)。

日本の太鼓も、「今」「今」という感じで、ドンドン!と思うのと、分割の感覚で1234に載せてドンドン!というのでは、全く違ったモノになる気がして!

今(身体)にフォーカスしてビートを感じると、リズムに疑問が起きない。(日本の太鼓を口真似するとき、そのタイミングに疑問はかんじない)
それを1、2、3、4、1、2、3、4、に当てはめようとした瞬間、なんか悪い意味の揺らぎが出る感じがする、、、

☆☆☆☆☆

という、リズムについての私の気づいたことでございましたー!

コメント
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