ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

山登りからの~、めっちゃいろいろ楽しかったー!!

2023年08月02日 21時59分24秒 | 日記
こんばんはー!!

今日は起きてみたら、あまりにもステキなお天気💖
これは!!今日こそは!!ちょっとくらい山登りに行くべきでしょー!!

というわけで、起きるや否やおむすびを握って、氷水を水筒に詰めて、地下足袋履いて、、
あっと言う間に出発ー!!

荒神山の駐車場から、さーてと登り始めると、何とも良い感じに木陰になってるし、何とも涼やか~!

先月よりも明らかに良い感じ💖
真夏にこの感じはとってもありがたいー!

クマが出るかもな💦と思ったので、登り始めからオカリナを吹いてみたけど、息切れ半端なしでウケましたw

途中から諦めて普通に登るw

ホントに良い山だなー。

そして、毎度のことなれどあっという間に展望台に到着!!

今日は赤城山もとってもキレイに見えてますー!

こちらはオカリナと袈裟丸山ね!

狂ったようにあれこれ吹きまくり、そろそろおむすび食べて帰るべきだろーよ!ともう1人のフジイが言ってる、、、

恒例の巨大おむすびなw

パックリかじるw

涼しい風がさーっと吹いて、何とも言えない爽やかさ。
ずーっとここに居たいなー、、、

ってワケにもいかないよな、、、

展望台から南側を見るとこんな感じ(赤城山は北側を見ると正面にあるのね)。
鳥がめっちゃ鳴くよー

結局気が付いたら1時間くらい居たみたい、、、

ぼちぼち下山!

途中で上を見上げたよー


またもあっという間に下山。そのまますぐ近所の道の駅にお野菜買いにー。

たっくさん買って、お味噌も買っても、1400円とかだから、ありがたさしかない、、、💖

ウチに帰ってきたら、Kさんから公民館で打ち合わせやるんだけど帰ってきてるならーとの連絡がー。

ハイ!帰ってきてますw

というわけで、約束の時間まで50分くらいあったから、畑のお手入れをして、シャワーして~。

11月にちょっと演奏どーか?ってのを打ち合わせしてー!!
公民館の方たちが、凄く話に乗って来てくださって、トントン進むー!
とにかく、ホントに良いところだよぉ、、、凄いわぁ、、、

せっかく来たから、図書館があると聞いてるので、ちょっと見てみよう!!

まさかの公民館の方に声をかけて、開けてもらうタイプみたい!
もうねー、めっちゃ快く開けてくださり、、、

クーラーもギンギンにかけてくれて、その上、冷たいお茶まで、、、感激だ!

子どもの本が中心で、あんまりないですよーと言っておられたけど、そりゃーチョットは音楽の勉強とか文学とかも見れたら良いなーと思ってはいたけど、本当に見たかったのは、「この地域の歴史」みたいなモノを書いた資料。

見てみたら、、、

あったあったー!!!!

この地域の「民話」を収集したという本が!!
こういうのが見たかったー!!

地域の歴史とか、言い伝えとか、そういうのにめっちゃ興味あり。

そもそもここは明治時代に地域のために頑張ったスゴイ人が何人も出てる地域で、入口にそういう方のパネルが貼ってあったりして、子孫の方もいるわけで、、、なんかいいわぁ、、💖


民話を読んでたら、今ある常鑑寺とか、早房橋とか、荒神山とか出てくるから、あ!あそこか!!みたいな感じで、凄く面白い。

それに語り口調をちょっと方言にしてくれていて、ワタシが読んだモノは、編集したのが旧桐生の方ということで、そちらの方言らしいんだけど、どうも新潟のことばと凄くニュアンスが近くて、ますます親近感が湧くー!!

そいやー、今日駐車場でお目にかかった方も、スッゴク耳馴染みのいい言葉で喋っておられて、あれ?新潟の人なのかな?と一瞬思ったくらい(笑)

何か文化的に近いんだろうか?
んなわけないかw

そう言えば、民話の中に、

奥州藤原の人が前九年の役のときに、ここに来て残っておられた人もいるって話があったし、

上杉謙信がお参りしたお堂のことが書いてあったり、

そういうお話もめちゃくちゃ興味深い。

同じ地域の別の町の民話もまだまだあったんだけど、気が付いたら2時間くらいいちゃったから、ぼちぼち帰ろう!

持ち出し禁止の図書だったから、また読みに行かねばなー。
こういう地域の歴史とか言い伝えとか、ちゃんと本にしておいてくれる人がいるというのは、ホントにありがたい。

今は受け継がれないことが多いから、消えてしまうモノねー。

本の前書きにも、そのようなことが書いてあった。もう消えてしまいそうだと。

そいやー、昨日がワタシのばあちゃん(ばあちゃんは長岡市の人だったよ)の命日だったんだけど、子どものころ、昔話をよーく聞かせてくれて、お話の最後に「いきがぽーんとさけた」って言ってて、そりゃーなんだ??って思ってたんだけどね、まぁお話の最後に付けるんだよ、って言ってた気がするんだけど、

今日読んだ民話の最後にも、いちがさけた だったかなー、、、ちょっとだけ言葉が違ったんだけど、とっても似てたから凄くビックリしたのと同時に、なんか嬉しくなったー。

ここに引っ越してきて、今日で1年が経ちましたー。

1年前の昨日、江古田を引き上げてウチに来て、1年前の今日、引越し荷物が来て、移住完了ーって言うねッ!

1年かー、、、早いような遠い昔のような、、、

ホントに良いところだよー。

夜は旦那がBBQやってくれたー!
フジイはBBQをやると大抵お腹が痛くなりますwwでもやめられないぜw
解毒ってことでッ!!

さーて、シャワーして寝る準備しようー。すっかり涼しくてちょっと寒いです。

この1年に感謝💞そしてこれからもよろしくお願いします(^▽^)/

また明日ねー💖
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やってみるのと想像するのの違い。それとやるときの考え方

2023年08月02日 00時13分44秒 | 雑感
こんばんはー!!

いや~、夜になったらめっちゃ涼しいです。こりゃー過ごしやすい💖

さてさて、本日のテーマでございます。
やってみるのと想像するのの違い。

ついつい今の子は情報をいっぱい持ってるし、大人が効率を求めるし、

「こんなのやって、意味あるの?」みたいな「意味」とかそんなのを「想像」で決めちまいがち。

オトナの方も、すっかり頭でっかちになってて、「こんなのやらなくたって分かってらー。たいていこんなもんだろーよ」と高を括って、もう分かった気になっちまうことが多い。

それとはまた別の話だけど、

同じ「やらなきゃいけない」ってことがあったときに、

「なんでこんなことやらなきゃいけないのさー?」と渋々であったり、イヤイヤであったり、とにかく「気が乗らない」状態でやっちまうこともとっても多いですよね。
それならやらなきゃいいんだけど、「周りの目」ってヤツを気にして、「やるべきだ」って言う何か無言の圧力に屈して「やむを得ず」やってるみたいな感じ、、、

これ、仕事自体までそんな意識でやってる人も案外いるような気もする。。。

この3つの話を全部同じまな板に載せて良いのか、、、今ちょっと分からずに書き始めてるんだけど、なんだろー、、、ワタシの中では同じ価値観が根底にあるんじゃないかなーって気持ちになっておりますですよー。


この世界(いわゆる物質世界みたいな意味でね)ってのはさー、「体験型アトラクション」みたいなもんなんだろうなーと。

例えば、ジェットコースターとかは乗らなくても、ほんのり想像もできるだろうし、あれって乗って意味あるの?と言えば、ないかもしれないんだけど、

やっぱり乗ってみると、さまざまな「体感」が得られるでしょー??
登っていくときのソワソワドキドキ感とか、下りに転じる瞬間のフリーホール感とか、風とか重力のかかり方とか、、、横Gがかかってウォーって振られる感じとかね!!

1回やったことがあれば、脳内で再現が可能だったりするから、映像みただけで、それを「追体験」することができると思うけど、同じ映像を見たとしても一回も乗ったことない人が同じところまで体感できるか、、、と言えば、全然違う気もする!!

メソッドのあるレッスンとかでね、子どもにやらせてみるモノってのを、私も一緒になってやってみるんだけど、

そうすると、いやいやこんな感じでしょー???と想像してたのとは全く違う体感だったりして、「えー!!!マジでー??」とホントびっくりすることもよくある。

今日ビックリしたのはねー、直径2.5センチのボタンに紐を付けて、口に入れて引っ張るってやつね。
もっと小さいボタンではやってみたことあったんだけど、今日はちゃんとしたサイズでやってみたんだけど、自分の歯並びとか唇の感覚とか、そういうのがもうビックリするくらい想像と違ってて、しかもそれをやったあとの唇の感覚というのがまた全然違うモノになったりして、

ヒャー!!やってみるのは全く違うなーと思いましたよー。

あー、この前「管楽器プレスクール」で調子に乗って、サクソネットって言う、クラリネットの子どもの入門用楽器みたいなのを吹かせてもらったんだけど、

これも見てるのとやってるのじゃー、まったく違う感覚ねー。
想像ならついてたし、もっと言えばクラリネットなら吹いたことあったわけだけど、

いろいろ知ってからやってみるとまたまた感覚が違ったりして、いやーやってみるって凄い差だななんてビックリしたもんだ!!

他にももっとちょっとしたどうでも良いようなことでも、想像だったら「こっちをこうして、あっちをこうすれば、、、」なんてチョチョイのチョイって思えることも、実際にじゃあやってみよう!ってなったら、まったくチョチョイのチョイじゃないよー、、、あっちをこうするとこっちがこうなっちゃって、こっちをこうしようとするとあっちと向こうがー!!!、、、みたいなもう千手観音みたいじゃなきゃ無理―!!ってなったり、いかに自分の神経が行き届いてないか分かったり、これまたビックリしゃっくりなわけよねー。

そんなもんだから、ワタシとしてはレッスンでもそうだし、それ以外のときでも、できるだけ子どものチャレンジを奪わないように、できるだけ「実際にやってみる」ように、ってのを心がけている。。。

これ、地味に待つ時間が必要だったり、考える余地を奪わない、最小限の上手い声かけが必要だったり、密かにオトナの方が試されるヤツw

レッスンについてくるお母さんとか、ちょっとした周りの大人を見てると、やっぱり自分ちの子がまごまごしてるのが耐えられないってこともあるだろうし、やってあげるのが優しさと勘違いしてる場合と、さらには場合によっては若干子どもを無意識にマウントして「子どもよりできる自分」ってところに優越感を感じてるって場合もあるんだけど、

「ほら、こうやればいいのよ!」とか「何やってるのー、こうでしょー?!」と手と口を同時に出してしまうケースが多いかなー。

フジイ、たまに「簡単に手伝わない!!」とたしなめちゃう💦

だってね、大人が子供の「体験する」というめっちゃ楽しい・大切な機会を奪ってしまうことになるから。
そうやって機会を奪ったり、「どうしてできないの!!」みたいに言っちゃえばそれは「劣等感」を植え付けることにもつながりかねないし、「どうせやっても無駄」という生きていくのにとっても大切な「好奇心」ってのを奪ってしまう可能性もあるからねー。

本当は子どもって「僕もやる!!」「ワタシもやりたい!!」「できるよ!!!」って感じで、みんな「やりたいやりたい星人」だったと思うんだけど、

それが「やって何か意味がある?」みたいなメンタルになってるとしたら、どこかでめっちゃ削がれちまって、その蓄積が今の状態、、、ってこともあるから、要注意だ。

失敗しそうとか、想像つく(と思い込んでる)こととか、

何かしらちょっと合理的に見える理由を素早く見つけて、「やらない」を選択しちゃう。

同じようにオトナもまた、「そんなことするなんて大人げない」みたいな気持ちがどこかにあるのか、それともやっぱり「上手く行かない」ことに対する恐れなのか、「やっても意味がない」と思い込んでいるのか、

「やってみる」ってことに対する心理的ハードルが高い人が多いよーに思う。

ホントに大変そうでヤバそうなモノを回避するってのは分かるんだけど、もっと子どもじみてて、簡単そうなことのときに、「実際にやってみたらどうなんだろうか?!」という「試してみよう!」という気持ち、、、、

それが「大人げない」という世間の目を自分の中に勝手に置いて、「私はそんな大人げないことはしません」っていうスタンスになっちゃいやすい。

やってみたら結構思ってるのと違うんだよー。
やるのとやらないのって、結構違うんだよー!!

で、最後の「やるならどんなメンタルでやるか」ってところなんだけど、

今ってやっぱり「良い人と思われたい」とか、自分の考えをちゃんと言えなくてずるずると、、、みたいな人、きっと多いと思うんだよねー。

何かを引き受けときに、

「何だよー、、、めんどくさいな、、、貧乏くじだ」みたいな気持ちがありながらも仕方なくやるってのと、

「よーし、どうやったら良くなるかなー?どうしたら面白くなるかなー?」と、出来上がりのこと、その引き受けたモノ自体にフォーカスしてやるかってので、


まったく違う結果になると思うんだよねー。

いや、結果的に同じモノが出来たとしても、何ちゅーか波動って言うのか、輝きって言うのか、、、清々しさつーのか、なんて言うのが良いか分からないけど、


三方ヨシ(四方ヨシならなお良い💖)って観点から見たら、まったく違ってくるよねーっての。

損得とか、無駄とか、やるべき、とか、、、そういう観点で見てしまうと、
「やること」に意味がなかったり、めんどくさかったり、損だな…と思いながらもイヤイヤながらにやるってことになっちゃうから、どうしてもちょっと文句のひとつも言いたいし、感謝もされなけりゃーちょっと腹も立つし、それでいて「良いモノ」が出来るかって言ったら、そんな気分でやってりゃー良いモノも出来ませんでしょー?
ギリギリセーフみたいなクオリティーにとどまるのが関の山ってモンじゃないか?

でも、どうせやるなら、

相手も喜んで、自分も楽しくて、世間もハッピーになって、(神さまも喜ぶ)という、そういうモノにするにゃーどうするよー??って思ってやればさ、ちょっとくらい上手く行かないところがあったとしたって、イヤイヤやったのに比べれば、ずーっと有意義な時間になるし、結果だって人間関係だって良い方に向かいそうじゃないかー???

できるだけそういう風に「やってみること」そのモノに意識を向けて、自分も含めたみんながハッピーになれば良いな!!と思うようにしてる、、、

とは言え、、、結構それが出来なくて、往生際悪く「えー、なんで私なのさー!!」みたいに無意識にいっちまってることもあって、あとから「どうせやるって決めたのに、どうして素直に『分かった!!頑張る!!』と言えないんだ?」と反省する。

これねー、ダメだったときのことを先に想像して、チャレンジするのを怖がってたり、「自分がやりたくてやったんじゃないからね」という、ちょっとした「excuse」(言い訳)なんだなーっと、あとで自分の心を分析すると分かったりする。

なんだなんだーwちっぽけだなーwwと、気づいて笑える。

もっと「分かった、任せて!!」と言える人の方が100倍カッコいいってのにねw
どうせやるんだから。

やらない・やりたくないなら、これまた勇気をもって「断る」ってのが良いわけだよ。そーでしょー?!

書いてみて、結果としてこの3つの話が同じ根っこだったか、結局分からんけれどもね、

やっぱりさ、体験型アトラクションである「この世」にいるからには、

「体験」してみるのがきっと幸せで楽しいことだし、

同時に「アトラクション」である、、、ってとこよ。娯楽なんだよね、生きてるってのはさ。例えそれがめっちゃ過酷に見えたとしても、それは「波乱万丈」とか「痛快アドベンチャー」みたいなモンで、客観的にとかあとからとか考えてみたら、波乱万丈な方が面白そうだったりもするわけだから、どう受け止めるかの問題なんだろうなー。
平穏無事も最高だけど、「アトラクション」だとしたら、なーんもイベントがない、ただスーッと走るだけ、、、っていうライドだと、はたして楽しいか??ってのと一緒なんだろうなー。
(もしスーッとしたアトラクションに乗ってるなら、一周回って、その何もない状態を「楽しむ」「楽しく考える」っていう力が問われるよね!!
「どんなことでもー楽しくしちゃーう~♪」って言う、お化けのQ太郎の主題歌みたいなモンだw)

どうやって面白おかしく生きるかって考えたら、「やらなくても分かる」とか想像で決めちゃうとか、そういうケチなこと言ってないで、是非とも体感してみて、そしてなんでもやるモノは面白くしちゃうっ!!ってのがきっと良いんだなーとねッ!!!

おっと、めっちゃ眠くなって来たぞー。寝まーす。

今日もありがとさーん!!
明日で、このお家に引っ越してきて1年ですわー。去年の今日は江古田を引き上げて、荷物を引っ越し業者さんに預けて、ウチにやって来たんだったわー。感慨深い💖

おっとっと、よーしまた明日ねー、おやすみなさーい!!
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