こんばんはー!!
今日は高校での専攻生のレッスン、学内発表会、それから別な学校でトランペットパートのレッスン、、、という1日でしたー。
んで、生徒に出してた「宿題」、
短いフレーズでいいから、5人の人の演奏をコピー(耳コピして吹き真似)してくること!!
ってやつ。
エライ!!生徒はちゃんとやってきました。
何故か手書きの譜面もあります。
「よーし!!いってみようー!!」
最初はドクシツェルの演奏で、ベームの3楽章を、というので楽しみに待つと、、、
ん??明らか、それは普段通りの君の演奏じゃないか(笑)
そうなんです!!
耳コピして「吹き真似」しておいで!
というのが、YouTubeの画面に出てる「譜面」を書き写して練習する、
に変わっていました。
そうか、、、
そう考えるか、、、、
うんうん。
なので、「あれ??ドクシツェルが吹いてるの??」となるように、もっと短いフレーズでいいからやってみてね!!
その時に、そうさなー、、、ドクシツェルならこんな風に吹くでしょ??
と言いながら、音をイメージして、、、、
吹いてみると、うーん!何ともいい感じじゃないか!!
この感覚、この感覚だよ!!これ大事!!
ダメなプレーばっかしてると、「そのダメなのはダメだよ!」ってのはわかるけど、「ダメな」演奏に結局焦点が当たるから、また同じくダメなプレーになったりして。
注意したことがさらに仇となる!!
この、やりたいことに対するダイレクトなイメージ、
たくさん聴いてきたからこそ分かる、演奏の感じ、音の感じから伝わってくる体の使い方のイメージ、、、
これ!!
うんうん。
吹く前に浮かんでる、総合的なイメージ。
体の一部分とかじゃなくて、音と直結の総合的なイメージね。
これだよねー。
BGMのように聴いてるんじゃ出来ないヤツね。
こりゃイイわい。
そして、別の学校にレッスンに行って、本来力がありそうな子でも、何だか謎な演奏をしてたりして、、、
「普段どんな練習してるの?」
出てくる練習はどれもスタンダードだし、うんうん!!それだよね!!そうそう!!というパターン。
そこでだ!!
それがどうなってたらイイのか?とか、
何のために、とか
何に注意して、とか
そこの話になると、
日本語の返答は、
「丁寧に」「いい音程で」「滑らかに」「無駄な力を抜いて」、、、
どれも素晴らしい!!
けど、聴いてみても本当にそうかい???って感じの練習。
そこ!!そこだよね!!
教える方は、どうやったら練習するんだ??とか思っちゃって、いろんなパターンの譜面やら教本を与えちゃうんだけど、
たくさんあげればあげたで、飽和して結局自分のやりやすいパターンだけを練習しちゃうし、
あげなきゃあげないで、「何やったらいいかわからない」とかなるし、
さりとてしょっちゅう行く学校じゃない場合、「これをやりなさい」とちょっとのパターンだけあげて、、、ってのも何だか足りない気がしちゃう。
いや、もしかしたら少しのことを徹底的にやったら良いのかもしれない、って最近は思うけど、そのやり方が間違ってたら取り返しが、、、って思うと、、
いや、それでも行けるようなパターンを作り出すべきか??
まあ、今の私のお気に入りは、決めた項目を1日1ページずつにやる。出来ても出来なくても次の日は次のページへ。終わりまで行ったらまた1から。
その時には前よりうまくなっていることを必ず目指す。
というやり方。
毎日同じくやるパターンもある。
それプラス、毎日変えるパターンも!!っていうサーキットトレーニング的なやり方。
「出来ない」モノには大雑把に2種類あると思う。
1.丁寧に集中して徹底的にやれば、ある程度の時間でできるモノ
2.何分、何時間の単位ではどうしようも無い、1週間とか1ヶ月とか1年とか(場合によっては10年とか)のオーダーでできるようになるモノ
例えば、それほど広くない音域の半音階とか、簡単な曲なんかは、丁寧にやれば一定時間で完成する可能性が高い😍
でも、私のようなハイトーンがヘッポコな人間が10時間練習したらダブルハイCが余裕、、、とかは絶対ならない。
急にシングルタンギングが160、、、とかもならない😔
でも、ついつい真面目に「出来るまで」とか言って、同じパターンをいつまでもいつまでもやっちゃうってヤツ!!
これって、「完璧主義」の皮を借りて、単に新しいことに挑戦するのがしんどいだけなんだよね、脳の立場から言うと。
良いこと言って、実は怠ける材料にしてる。
だから、「出来るまで」とか言っても、一生完璧になんかなりませんからー!!!
ってわけで、もう次の日には新しいヤツに行くのだー!!
ひとしきり数日間どんどんやっていくと、どこかでページが終わるか、あるいは本当にもはや今の実力では、とほほ、、、と言う部分に差し掛かる。
そしたら、また1に戻る。
で、前よりは数段良く出来るように!!これで前と同じへっぽこなら、「練習」そのもののクオリティが悪すぎるから、見直す必要がある。
で、そう言う練習をしていく時に、「目指すモノ」「注意すること」、、、それはもちろん体の使い方とか、イメージの仕方とか、音程とか、いろいろあるよね。
先生についてるなら、先生が言ったポイントやヒントなんかも頭の片隅に入れとくべきだし、もちろん「こんな風に」と言って吹いてくれたモノとか、表現してくれたモノなんかも、ふんふん!!なーるほどーぉ!!と目や耳に焼き付けとく。
でも、それだけじゃ足りないよね。
やっぱり、「どんなのが良いんだ?」とか「どこが違うんだ??」とかを聞き分ける「耳」が必要だよね。
真っ直ぐに受け取る受信機とか、それを聞き分けるフィルターとか、、、
そう言うものを自分の中に作らないといけない。
いや、楽しければいろいろ聴くじゃろ??
ってことだよね。
集中して聴くことによって、そこに隠されてる技とか、自分との違いとか、素晴らしさとか、、
そう言うものが、大雑把に「わー、スゴい」だけじゃなく聴き取れてくれば、自分の演奏にどう反映するか?どうして同じ人間なのにこんな風に違って聴こえるのか??などを探求したくなる、、、、
そーいう状態だと、たかが基礎練だったものが、生き生きと「基礎練くん」になる。
目的がある、目標があるから楽しくなる。
今だと、細かいことを言いすぎると、単なる「がんじがらめ」になっちゃうだけで、本質は伝わらず、その「がんじがらめ」の中で、消去法的な吹き方で練習することになって、はなはだ吹きにくかろうし、楽しくもないし。
さりとて、何も言わなければ、「丁寧」と称して、激しいアタックでセンターが狂った音程でぐーっと締まった感じでリップスラーとかさらって、その閉塞感を「丁寧」と勘違いしたりしちゃうから、それは絶対違うんで、それを分かるまで説明したり演奏したりさせたり、、、
本人は「丁寧にやれ」って言われたから、いろいろ調べて頑張って練習してるのに、それが全然違うんだから、なんてこったい!!
でも、そんな音で吹いてるプロはいますか??その音は素敵ですか??
そーいうことだろ??
と思う。
そーさなー、
「言われた日本語」を自分の出来る形にやるってだけじゃなくて、もっと世界にいる数多のスーパープレイヤーを目指して、
そのために「基礎」がある!!
と、その基礎の延長線がどこに繋がってるかをイメージできる人になってほしいやねー。
「知らないことは(想像)できない」
だから、いっぱい知ると良いよねー。
「言われたからやる」
「言われたことだけやる」
「言われてないからやらない」
「言われたけどやらない」
つまらんつまらん!!
もっと自分からやっちゃえ!!止められるくらい(笑)
音楽しちゃえー!!
ま、トランペットって恐怖に支配されがち。だからついつい盲目的に練習しちゃうけど、そういう部分があるからこそ、クリエイティブに楽しんで、積極的にエネルギッシュにやってくのが一番良いよね!!って思いますよーん✨☄️💥
さーて、そろそろ風呂にもだいぶ長居しちまったので、終わりまーす。
それではまたねー!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます