てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#53(能登:福浦編)

2015年10月24日 22時53分05秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
能登。能登国。

最近オイラ能登に興味がわいているのである。

正直若いころは能登を馬鹿にしていた。
たまに観光で行く辺境の地と思っていた。

大人になって、能登の魅力が少しづつわかってきた気がする。

今年は「まれ」効果もあって、能登が注目されたしね。



福浦港も何度か行ったことがあるけど、
いい感じの港だなと前々から思っていたんです。

今は静かな港だけど、
その昔は渤海国の使節が往来した重要な津(港)であった。


その港をまた見たくなっての今回のブラオイラなのだ。


走る車窓から見える外浦の海岸も能登らしくなってきた。

ゴツゴツしてきて。


まずは福浦の旧灯台に行かねばならない。


狭い道を進む・・・

ヤバイ・・・


なんとか辿り着いた。



この場所から福浦港も見えます。

福良津・・・渤海使節来航之泊とある。



天然の良港、福浦港は二つの入り江からなります。


おぉ~



灯台が見えます。

さて行こう


こういう感じ、しびれるほどいいねぇ~。



細い道を歩きます。


とことこ。。。


着いた~。




<ウィキより>
旧福浦灯台の起源は古く、1608年(慶長13年)に日野長兵衛が夜に航行する舟の安全のために篝火を焚いたのが始まりとされる。
元禄年間に灯明堂が建てられ日野家が代々灯明役として守ったという。
現在の灯台は1876年(明治9年)に日野吉三郎が建造したもので日本最古の西洋式木造灯台である。
高さは約5mで、内部は3層になっている。
1910年(明治43年)に福浦村営の灯台となり、現在の福浦灯台が設置される1952年(昭和27年)まで使用された。
1965年(昭和40年)3月17日、日本最古の西洋式の木造灯台としての価値を認められ、石川県指定史跡に指定された。


とにかくこの灯台、
現存する日本で一番古い木造灯台なのだ。



ここらへんの村もおもしろそうだったので、しばらく散策してみる。



高低差のある細い歩道が迷路のように村の中にあります。


柿が一つだけ残っている柿の木


おっ間垣だ。


う~ん、港が見えないなぁ・・



対岸の丘で港が見えるいい場所を発見しました。

この港の特徴としては、両側に谷があること。

この福浦港は古い!

福良津と呼ばれ、奈良時代には渤海国からの渤海使が来航した。
この港の近くには「能登客院」という渤海使節一行を迎えた施設があったはずである。
(当時の日本では渤海使節をこの能登客院と福井の松原客院で迎えていたのだ)


しばらく福浦港を眺めていた・・・・。

さて、そろそろ帰ろう。


帰り道にもいろいろ興味あるものがあったけど・・・


これぞ能登のイメージ風景



「のと里山海道」で帰りました。


やっぱ、能登は魅力がいっぱいです。
まさに能登は日本人の心の故郷みたいな場所。



・・・・・・・そして、




案の定、その帰り道で図書館に寄り、
関連する本を借りるオイラだった。


明日は、前回行けなかった小矢部アウトレットに行くつもり。
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ブラオイラ#52(能登:気多大社編)

2015年10月24日 20時12分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
能登一の宮は「気多大社」です。
ちなみに加賀一の宮は「白山比神社」。


気多大社である。


ふむふむ


特徴的なのは、本殿の後ろに「入らずの森」があること。神秘的!

(さらにその後ろにある池、覚えておいてくださいね

いい感じです。


歴史を感じます。



気多大社:<ウィキより>
創建は『続日本紀』神護景雲2年(768年)に記事がある。
祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。
本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られる。

この先が入らずの森。


たしかに人が入ってないようです。


どうなってんだろ・・・・・、
気になるなぁ・・・。

大社の横に道がある、ちょっと歩いてみよう。


折口信夫博士?


ネットで調べた。
折口信夫: 1887年(明治20年)2月11日-1953年(昭和28年)9月3日)
日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、詩人・歌人でもあった。
彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。
だって。


どんどん入ってくぞ。


これが句碑ね


さらに進むと池が見えてきた。

あっあの地図の池か

ということは、
ちょうど、入らずの森の裏に来たということだ。



さてこの池、
もう少し経てば紅葉で美しい景色になるでしょうね。

・・・で去れば普通だけど、
オイラの異常な好奇心はこういうところに出る。


この池のこの人工的な個所

普通に考えて変でしょ。

なんか意味があるはず。



おっこれは!


引っ張ってみるか。


あっ、蓋が開いて、


水が排水される仕組みになっているのだ。


そうか!この池は大事な「入らずの森」の奥にあって上流部にある。
大雨などで池の水が溢れたら、森が大変なことになるじゃないか、
だから、この排水口を開けて水を逃がすんだな。

納得して、

なぜかオイラは勝ち誇ったように道を戻ったのだった。
エヘン!

(能登編はさらに続くよ・・・)
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ブラオイラ#51(能登:千里浜・滝・柴垣編)

2015年10月24日 19時15分03秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
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北陸に長年住んでいると、
10月も下旬にさしかかるこの時期になってくると、今日のような晴れの日が今シーズン最後の晴れ日!なんて気持ちになって思わずテンション上がるもんなのです。

だから思わずブラしました。
能登方面に行きたかったが、能登は広い、とにかく広く一日で周りきれないので、
志賀町の福浦港までと決めてGO!


3回シリーズで能登編(#51、#52、#53)報告します。



のと里山海道(昔の人は能登有料道路と言った方がしっくりくる)を走る。

おっ前田川だ!

昔、バスガイドさんが言われた。
「加賀と能登の境界はこの小川です」と。こういうことは一生覚えてるもんだね。
※能登加賀の境界、正しくはもう少し南にある大海川である。


出た!千里浜なぎさドライブウェイだ!

日本で唯一、車で走れる砂浜、 これ案外凄いことかも。

それでいて、こんなイベントもやっていた。


すげ~!


マツコの城?


何?


砂だけに毎日補修が必要ですよね。ご苦労様です。


観光客も写メ撮りまくりですわ



さて千里浜を後にして、車を進めます。

でた!この交差点。
昔から疑問に思ってたんだよね。

「猫の目」って・・・・

由来を教えてくれ、由来を


(この後、気多大社を訪れましたが、内容が多いので、次回に回します。

「滝」だ。

ここも昔から、印象深い所で、
ここにくると急に視界が開けるんだよね。

眼前に海が見えてきます。


昔の記憶・・・・・・・・。

ホクリクサンショウウオを発見したと思う。
オイラが7~8才の頃、
家族5人で能登へドライブの際、この滝付近で休憩がてら下車し、しばらく丘を登るように歩いたその道(土の道路)に
小さな穴が開いていて少し水が溜まっていて、その穴に黒い生物が(5~6センチ)いた。
妹と発見したオイラは「何これ?」みたいな感じでその場を去ったが、
あれは当時まだ正式に公表されていなかったホクリクサンショウウオだったに違いないと思っている。(勝手に


滝の村に入ってみる。

いいね。


続いて、柴垣だ。


柴垣といえば海水浴場。


小さい頃、家族で海水浴といえばよくここに連れてきてくれた。
近くに内灘海水浴場とかあったのに、なぜわざわざ遠くのここまで来たのか、なんでやろ?

ん?誰?


今は使われていないのかな・・・。





ふ~ん妙成寺か、行ってみるか。


五重塔があるんだ。



あっカッコイイかも


ふむふむ



でも、拝観料が500円とあったので入らずに、入り口からパシャ

二王門もかっこいい。


ここも、昔から気にはなっていたんだ。

名勝平家

このお宅か、


徳川幕府の天領地の大庄屋とのことらしいが。


これまた500円の見学料がいるのでここでパシャ

庭園が素晴らしいとのことです。

しばらく付近を歩いてみた。
海が近く風もあったので、波の音がよく聞こえました。


(能登編は続くよ・・・)
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