能登。能登国。
最近オイラ能登に興味がわいているのである。
正直若いころは能登を馬鹿にしていた。
たまに観光で行く辺境の地と思っていた。
大人になって、能登の魅力が少しづつわかってきた気がする。
今年は「まれ」効果もあって、能登が注目されたしね。
福浦港も何度か行ったことがあるけど、
いい感じの港だなと前々から思っていたんです。
今は静かな港だけど、
その昔は渤海国の使節が往来した重要な津(港)であった。
その港をまた見たくなっての今回のブラオイラなのだ。
走る車窓から見える外浦の海岸も能登らしくなってきた。
ゴツゴツしてきて。
まずは福浦の旧灯台に行かねばならない。
狭い道を進む・・・
ヤバイ・・・
なんとか辿り着いた。
この場所から福浦港も見えます。
福良津・・・渤海使節来航之泊とある。
天然の良港、福浦港は二つの入り江からなります。
おぉ~
灯台が見えます。
さて行こう
こういう感じ、しびれるほどいいねぇ~。
細い道を歩きます。
とことこ。。。
着いた~。
<ウィキより>
旧福浦灯台の起源は古く、1608年(慶長13年)に日野長兵衛が夜に航行する舟の安全のために篝火を焚いたのが始まりとされる。
元禄年間に灯明堂が建てられ日野家が代々灯明役として守ったという。
現在の灯台は1876年(明治9年)に日野吉三郎が建造したもので日本最古の西洋式木造灯台である。
高さは約5mで、内部は3層になっている。
1910年(明治43年)に福浦村営の灯台となり、現在の福浦灯台が設置される1952年(昭和27年)まで使用された。
1965年(昭和40年)3月17日、日本最古の西洋式の木造灯台としての価値を認められ、石川県指定史跡に指定された。
とにかくこの灯台、
現存する日本で一番古い木造灯台なのだ。
ここらへんの村もおもしろそうだったので、しばらく散策してみる。
高低差のある細い歩道が迷路のように村の中にあります。
柿が一つだけ残っている柿の木
おっ間垣だ。
う~ん、港が見えないなぁ・・
対岸の丘で港が見えるいい場所を発見しました。
この港の特徴としては、両側に谷があること。
この福浦港は古い!
福良津と呼ばれ、奈良時代には渤海国からの渤海使が来航した。
この港の近くには「能登客院」という渤海使節一行を迎えた施設があったはずである。
(当時の日本では渤海使節をこの能登客院と福井の松原客院で迎えていたのだ)
しばらく福浦港を眺めていた・・・・。
さて、そろそろ帰ろう。
帰り道にもいろいろ興味あるものがあったけど・・・
これぞ能登のイメージ風景
「のと里山海道」で帰りました。
やっぱ、能登は魅力がいっぱいです。
まさに能登は日本人の心の故郷みたいな場所。
・・・・・・・そして、
案の定、その帰り道で図書館に寄り、
関連する本を借りるオイラだった。
明日は、前回行けなかった小矢部アウトレットに行くつもり。
【ヒゲ親父】
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最近オイラ能登に興味がわいているのである。
正直若いころは能登を馬鹿にしていた。
たまに観光で行く辺境の地と思っていた。
大人になって、能登の魅力が少しづつわかってきた気がする。
今年は「まれ」効果もあって、能登が注目されたしね。
福浦港も何度か行ったことがあるけど、
いい感じの港だなと前々から思っていたんです。
今は静かな港だけど、
その昔は渤海国の使節が往来した重要な津(港)であった。
その港をまた見たくなっての今回のブラオイラなのだ。
走る車窓から見える外浦の海岸も能登らしくなってきた。
ゴツゴツしてきて。
まずは福浦の旧灯台に行かねばならない。
狭い道を進む・・・
ヤバイ・・・
なんとか辿り着いた。
この場所から福浦港も見えます。
福良津・・・渤海使節来航之泊とある。
天然の良港、福浦港は二つの入り江からなります。
おぉ~
灯台が見えます。
さて行こう
こういう感じ、しびれるほどいいねぇ~。
細い道を歩きます。
とことこ。。。
着いた~。
<ウィキより>
旧福浦灯台の起源は古く、1608年(慶長13年)に日野長兵衛が夜に航行する舟の安全のために篝火を焚いたのが始まりとされる。
元禄年間に灯明堂が建てられ日野家が代々灯明役として守ったという。
現在の灯台は1876年(明治9年)に日野吉三郎が建造したもので日本最古の西洋式木造灯台である。
高さは約5mで、内部は3層になっている。
1910年(明治43年)に福浦村営の灯台となり、現在の福浦灯台が設置される1952年(昭和27年)まで使用された。
1965年(昭和40年)3月17日、日本最古の西洋式の木造灯台としての価値を認められ、石川県指定史跡に指定された。
とにかくこの灯台、
現存する日本で一番古い木造灯台なのだ。
ここらへんの村もおもしろそうだったので、しばらく散策してみる。
高低差のある細い歩道が迷路のように村の中にあります。
柿が一つだけ残っている柿の木
おっ間垣だ。
う~ん、港が見えないなぁ・・
対岸の丘で港が見えるいい場所を発見しました。
この港の特徴としては、両側に谷があること。
この福浦港は古い!
福良津と呼ばれ、奈良時代には渤海国からの渤海使が来航した。
この港の近くには「能登客院」という渤海使節一行を迎えた施設があったはずである。
(当時の日本では渤海使節をこの能登客院と福井の松原客院で迎えていたのだ)
しばらく福浦港を眺めていた・・・・。
さて、そろそろ帰ろう。
帰り道にもいろいろ興味あるものがあったけど・・・
これぞ能登のイメージ風景
「のと里山海道」で帰りました。
やっぱ、能登は魅力がいっぱいです。
まさに能登は日本人の心の故郷みたいな場所。
・・・・・・・そして、
案の定、その帰り道で図書館に寄り、
関連する本を借りるオイラだった。
明日は、前回行けなかった小矢部アウトレットに行くつもり。
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