てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#264(街道をゆく⑭手取川編)

2018年05月04日 19時06分43秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
を飼ってる方なら当然だと思いますが、
毎朝、散歩しなくてはなりません。

せっかくの休日なのだからもう少し寝ていたいんだけど、
犬の方が散歩連れてけと泣くもんだから仕方がない・・・

ということで早朝に散歩行くわけで・・・
すっかり目が覚めるわけで・・・
散歩終了後はとくにすることもないわけで・・・
ブラオイラに行くわけで・・・

はい今日も行っちゃいましたよ、
旧北国街道を歩くやつですよ~。


はい今日はここから


そして味方の本~、
カマ~ン!

青矢印からスタートです。

今日はぜひ手取川を越えたいね。

国道8号線を越えて進みます


ここは福留町


すぐに神社が登場しました。

味知郷神社とな。

入ります。


何かあるぞ。


ふむふむ目標の松の木ですか、

漁師の方々が遠く海からこの松を見て、漁場の位置などを目安にしてたなんて驚きだよ
その最後の一本か・・・、

そう言われると一本の木も見方が変わります。


なかなかの神社ですな。


進みますよ~


交差点を越えます。


合流します。


あれ?


太鼓の里?


浅野太鼓さん。

調べてみると、400年の歴史を持つ老舗の和太鼓会社でした。




おや?なにかあるぞ。


説明がある。


ふむふむ


ここについては、味方の本にも写真つきで掲載されている。

かつては泉が湧き旅人の咽を潤していた夏の水観音から・・・と書いてあります。

泉が湧いた場所、これかなぁ

じ~

さらに進みます。

おや

源兵島とあります。

島と付く町があるということは、手取川が近いということですね。

手取川は相当の暴れ川だったから、
大雨により氾濫洪水も多く、周りの土地は水満たしになり、その風景はまるで島のようになることから、
手取川周辺には島が付く町が多くあるのだ。

それにしても源兵という名が気になる。
源平合戦の源氏の由来でもあるのかな?

武甕槌神社です。


いいね。


今日は5月4日みどりの日です。祝日にきちんと国旗を揚げるのって凄くかっこいいと思います。

オイラは揚げた事ないけど・・・

水島、ほらまた島ですよね


味方の本によると、

源兵島から水島へ進むが、この二つで一つの宿駅としており、手取川の洪水の時には繁盛していたと書いてある。

古い家屋も数軒残ってます。


郵便局が見えてきた。


郵便ポストの横に一里山跡の碑があった。


横には、

左 柏野まで三十二町


右 水島まで一町




天気はいいけど白山は見えないねぇ、残念!


川北町に入ります。


木呂場。「ころば」と呼びますが・・・、


味方の本、
再びカマ~ン!


問題はここなんだ・・・

ここから旧街道は今の道路から外れて存在したことになってるんです


町内案内図があった。


あそこだが、


こういう感じで旧街道はあったはずです。

向うの神社前の道につながるわけで・・・

当時はこういう感じだったと思われます。


この緑地部分はその名残りかもしれません。


そしてこちら側につながっていたんです。


では進みましょう。


左に神社、


右に・・・・


出ました!


またも明治天皇御小休所です。


記念碑に


説明の碑文

1878(明治11年)年10月5日、明治天皇北陸御巡幸の際、手取川を渡る前に、この地にあった木呂場(ころば)の茶屋で御休憩された。
当時手取川に橋は架かっておらず船で渡っていました。しかし天皇御巡幸のときは危険なので船を数珠繋ぎに並べ板を渡した上を駕籠で渡られたとある。

ここには、松尾芭蕉も通過しています。


さてと、


また道がない・・・


仕方がないので、


今の道を行くしかない


こんな感じで街道はあったはずです。


さて手取川に到達しました。


北国街道全行程の中での最難所といえば、越後(新潟県)にあった親不知だろうけど、
石川県内でいえば、きっと手取川が一番だったでしょう。


こんな暴れ川に橋は架けられません。
また加賀藩にとっては国防上理由もあったはずです。

橋が無い以上、船で渡るか徒歩で渡るかですが、
雨になれば、何日も足留めを食ったはずで、先ほどの源兵島・水島で待機ということになるんでしょう。


う~ん、ルートとすればこの辺りのはずで、


このように河原に出て、


渡河したんだろうけど、意外と深かったりする・・・

怖いよ・・・

仕方ないので、橋を渡ります。


当時は小舟もあっただろうが駄賃も高かったはずだから、体力に自信のある者は自力で渡ったに違いない。

あの一番狭い場所辺りから


なんとか渡ったんでしょう、


石コロに足を取られながらも


なんとか渡り切って、


土手も越えていき


何かあるよ、


あぁ、


水害の碑か、多かったんです。


そして手取フィッシュランドです。

県内唯一の遊園地かな?

当然ここも突き抜けます。


旧街道の痕跡は全くなく見当もつきません。


味方の本によると、この先の交差点付近で合流するようですが、


倶利伽羅から始まったこれまでの道程で最も特定できない箇所です。

このアサヒゴウセンさんを突っ切ってたと思います。


仕方ないので、今の道を通る。


そして交差点に到達です。

今日はここまで。

これだけ進みました。



次回は寺井編ですかね。
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九谷茶碗まつりへGO!

2018年05月04日 17時21分26秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
石川県のGWといえば、
九谷茶碗まつりですよね。
GW県内イベントで毎年20万人以上集める最集客力イベントなのだ。

今年は第110回ですから110年前から開催されてるのかな?
だとすれば、明治41年、西暦1908年ですよ

カミさんのパートあがりで一緒に行って来た。

だけどカミさん相当疲れたのか、
駐車場の車で待機「写真&たこ焼き頼んます」だって

茶碗まつり発祥の地とある。


風が強いね


離れた所に車を停めたので、しばらく歩いて会場へ


到着~


九谷焼は石川県の代表的な伝統産業です。


九谷焼は古九谷の加賀市山中町から再興九谷焼の旧寺井町(現能美市)へと歴史があります。

いいですね。


かわいらしいものもいっぱいありましたよ。


買っちゃおかな。


でもオイラはこっち

ぱく旨し
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