てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

なんだこの路線!?

2021年04月27日 21時21分21秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
オイラは地図を見るのが好きだ。


会社の昼休憩にPCで”じ~”とグーグルマップを見てることもある。
(やばっ

先日図書館でこれを借りた。

1964年と2020年をくらべて楽しむ地図帳
松井秀郎編 二宮書店協力 山川出版社

はじめに 日本列島の変化を「楽しむ」
「あのときはそうだったなあ」という感慨や懐かしさを覚えたり、「昔はそうだったのか」「今はこうなっているのか」という新鮮な驚きを感じたりすることができます。また、いろいろの地域に眼を向けてくらべたときに、ご自分に馴染みのある地域との違いに気づかされ、新しい興味や関心が高まります。これが本書の表題を「くらべて楽しむ」とした所以です。
なんて書いてあります。

1964年の地図の中部地方を開いて、


石川県のあたりを見てみると、

!?

羽咋駅から富山県の氷見駅まで伸びているこの路線はなんだ!?


違うページにある少し拡大された地図を見る。

間違いなく路線がある。

羽咋駅から北上して三明駅までのびる廃線された三明線の存在は知っていた。
映画「ゼロの焦点」でも三明駅でのワンシーンがありましたからね。

<ゼロの焦点より>
今はなき三明駅。

三明駅(さんみょうえき)は、石川県羽咋郡富来町(現志賀町)三明に存在した北陸鉄道能登線の駅である。1972年(昭和47年)に廃駅となった。
クライマックス富来のヤセの断崖へ向かう女性・・・

でも羽咋駅から氷見までのこんな路線は知りません。
あのあたり相当の山間部だが、それを越えていたということなのか。


ということで、ネットで調べてみました。


これは氷見から羽咋まで延長する計画線であって、実際には実現しなかったことがわかりました。

国有鉄道(国鉄)氷羽線(南羽咋-氷見)
最初に羽咋-氷見を鉄道で繋ぐ計画は、能登鉄道が立てたものである。同社は1920(T9)年に、氷見→羽咋→三明→大屋(輪島)に至る鉄道敷設免許を得ていたが、昭和恐惶のための資金難と住民の反発に合い石川県側は羽咋-三明間を建設しただけに終わっている。さらに富山県側の羽咋-氷見間は手付かずのまま免許失効となった。
しかし、能登鉄道の羽咋-氷見間の鉄道敷設を半ば引き継ぐように、国鉄が氷見線の延伸計画を立ち上げた。昭和時代に入り建設に現実味を帯びたが、日中戦争の戦争長期化を受けて建設が凍結される。その後、戦後も建設の動きが再燃したが結局は実現には至らなかった。
計画路線をみると、南羽咋で七尾線に接続し、羽咋駅までは七尾線を経由していくことになっている。建設地の都合上こうなったものとおもわれるが、建設計画が具体化していたなによりの証拠である。

あらためて先ほどの地図をよく見ると、
たしかに計画(予定)線を表す地図記号になっていました。

それでも、そういう計画があったのかと興味深い発見でした。
コメント (2)
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