先月、広島旅行を予定しましたが、急遽、ネコを迎えることになり中止にあいなりました。(ちと残念)
その時の旅行日程では軍港の町である呉にも行くつもりでした。
今回は有休を取得して、呉に雰囲気が似てると思われる京都の舞鶴へ行ってみたいと思います。
京都にも海があるというと意外に思うかもしれませんけど、
日本海に接している京都の舞鶴は、神奈川の横須賀、広島の呉、長崎の佐世保と並んで明治の時代から旧軍港四港であります。
北陸自動車道を南下し、敦賀JCTで小浜・舞鶴方面へ、
三方五湖PAで休憩、
舞鶴に到着して、最初に訪れたのは「舞鶴引揚記念館」です。
第二次世界大戦の終結に伴い、海外に残された660万人以上の日本人をすみやかに帰国させるため舞鶴港は引揚港の一つとして昭和20年から昭和33年までその使命を果たしました。
その引き揚げとシベリア抑留の史実を後世に伝えるために出来た施設です。
なかなか興味深いです。
カミさんも何か聞いてるぞ!?
岸壁の母か、聞いたことがある。
♪ 母は来ました~、今日も来た~ ♪
とくにシベリア抑留については、
氷点下40℃にもなるという極寒の地で、
大変厳しい苦難の生活であったことは伝え聞いておりますが、
そのシベリア収容所での生活を、
体験できるようです。
少し寒い、
いやぁ~、これはたまらんわ・・・、
シベリア抑留、引き揚げについて勉強になりました。
引き揚げといえば、カミさんの亡くなった祖父も戦後に満州から引き揚げてきたんだって、
カミさん曰く実家の笑い話で、戦後、祖父が家に帰ってきたとき、畑仕事から帰ってきた曾祖父母や祖母が、不審者が家に居てびっくりしたとか?
そんな話を小さい頃に聞いたと言ってました。義祖父も舞鶴から入ったのかもしれませんね。
ニノもシベリア抑留についての映画に出演したようですね。
ラーゲリとはソ連の強制収容所のこと。
舞鶴クレインブリッジを渡り、
今回行きたかった場所である明治の軍事遺構である葦谷砲台跡を探しましたが、
案内板もなかったし、山を少し歩かなくてはならないので熊も怖いし諦めました。
続いて、舞鶴港(東港)の方へ、
まさに軍港、海上自衛隊の船がたくさん係留されています。
隣接する赤レンガパークへ、
明治時代に栄えた町には大抵、赤レンガ建物がありますね。
まずは遊覧船の乗船券を買いまして、
昼ごはんにします。
当然、海軍カレーです。 Ohシンプル! 120年前のレシピで作ってる。
しかも今日は金曜日(たしか海軍では金曜がカレーの日だったはずです。)
そんでもって、ソラカメラ(ペットカメラ)をチェック。 おるおる(安心♪)
ネコの名前はソラなのでソラカメラ。
昼食後、乗船時間まで時間があるので、赤れんが博物館を見学します。
ステンドグラスが綺麗でした。
軍港四港の守備範囲がわかります。
日本海側の大半を舞鶴が管轄していました。
12:45になったので、13時出港の遊覧船乗船場へ、
この船に乗ります。
海軍ゆかりの港めぐり遊覧船と称し35分間のクルーズです。
離岸!
時速15キロの速度でゆっくり波を掻き分けて進みます。
今日は、これらの艦船が係留しているようです。
イージス艦あたご、護衛艦ひゅうが、掃海艇あいしま、掃海艇はつしま、護衛艦せんだい、ミサイル艇うみたか、補給艦ましゅう、ミサイル艇うみたか、護衛艦せとぎり、護衛艦ふゆづき であります。
一番前に座れましたので、正面の窓からも見ることができました。
早速、イージス艦あたごです。
次に大きな護衛艦ひゅうが、ヘリコプター搭載護衛艦。
昔の軽空母レベルです。
右手に掃海艇あいしま&はつしま、
海の機雷除去などが主な任務。
むこうの巨艦は、補給艦ましゅうですね。
皆さん写真を撮りまくりで忙しい。
横のカミさんもカメラを・・・ ソラカメかい!
造船所ドックも見えてきました。
案内の人の説明も軽快で海軍ゆかりの港めぐり遊覧船は大変満足でした。
続いてはこちらへ、
軍港引込線として設けられたレンガ造りの「北吸トンネル」です。
ノスタルジックな雰囲気の中、カミさんが佇んでいます。
最後は、標高301mの五老岳頂上にそびえる五老スカイタワーへ、
近畿百景第1位とは、なかなかのもんです。
絶景かな!
舞鶴湾と舞鶴市内が一望できました。
そろそろ帰りましょう。
助手席から撮影、敦賀市内が一望、右側にある北陸新幹線敦賀車両基地もありますね。
途中の杉津PAから見た敦賀湾。きれいでした。
今回は日帰り圏内ギリの舞鶴でした。オイラ初めての地でしたので何かと新鮮でした。
敦賀や横浜にも似ており、明治に海外に開かれた場所というのは雰囲気も似るもんなんですね。
できれば砲台跡など明治軍事遺構にも訪れたかったのですが、カミさんもいたし逆に無理しなくてよかったかもしれません。
ネコがいるとどうしても外出を控えがちになりますが、ソラカメラもあるし、これからも機会を増やしていこうかな。
その時の旅行日程では軍港の町である呉にも行くつもりでした。
今回は有休を取得して、呉に雰囲気が似てると思われる京都の舞鶴へ行ってみたいと思います。
京都にも海があるというと意外に思うかもしれませんけど、
日本海に接している京都の舞鶴は、神奈川の横須賀、広島の呉、長崎の佐世保と並んで明治の時代から旧軍港四港であります。
北陸自動車道を南下し、敦賀JCTで小浜・舞鶴方面へ、
三方五湖PAで休憩、
舞鶴に到着して、最初に訪れたのは「舞鶴引揚記念館」です。
第二次世界大戦の終結に伴い、海外に残された660万人以上の日本人をすみやかに帰国させるため舞鶴港は引揚港の一つとして昭和20年から昭和33年までその使命を果たしました。
その引き揚げとシベリア抑留の史実を後世に伝えるために出来た施設です。
なかなか興味深いです。
カミさんも何か聞いてるぞ!?
岸壁の母か、聞いたことがある。
♪ 母は来ました~、今日も来た~ ♪
とくにシベリア抑留については、
氷点下40℃にもなるという極寒の地で、
大変厳しい苦難の生活であったことは伝え聞いておりますが、
そのシベリア収容所での生活を、
体験できるようです。
少し寒い、
いやぁ~、これはたまらんわ・・・、
シベリア抑留、引き揚げについて勉強になりました。
引き揚げといえば、カミさんの亡くなった祖父も戦後に満州から引き揚げてきたんだって、
カミさん曰く実家の笑い話で、戦後、祖父が家に帰ってきたとき、畑仕事から帰ってきた曾祖父母や祖母が、不審者が家に居てびっくりしたとか?
そんな話を小さい頃に聞いたと言ってました。義祖父も舞鶴から入ったのかもしれませんね。
ニノもシベリア抑留についての映画に出演したようですね。
ラーゲリとはソ連の強制収容所のこと。
舞鶴クレインブリッジを渡り、
今回行きたかった場所である明治の軍事遺構である葦谷砲台跡を探しましたが、
案内板もなかったし、山を少し歩かなくてはならないので熊も怖いし諦めました。
続いて、舞鶴港(東港)の方へ、
まさに軍港、海上自衛隊の船がたくさん係留されています。
隣接する赤レンガパークへ、
明治時代に栄えた町には大抵、赤レンガ建物がありますね。
まずは遊覧船の乗船券を買いまして、
昼ごはんにします。
当然、海軍カレーです。 Ohシンプル! 120年前のレシピで作ってる。
しかも今日は金曜日(たしか海軍では金曜がカレーの日だったはずです。)
そんでもって、ソラカメラ(ペットカメラ)をチェック。 おるおる(安心♪)
ネコの名前はソラなのでソラカメラ。
昼食後、乗船時間まで時間があるので、赤れんが博物館を見学します。
ステンドグラスが綺麗でした。
軍港四港の守備範囲がわかります。
日本海側の大半を舞鶴が管轄していました。
12:45になったので、13時出港の遊覧船乗船場へ、
この船に乗ります。
海軍ゆかりの港めぐり遊覧船と称し35分間のクルーズです。
離岸!
時速15キロの速度でゆっくり波を掻き分けて進みます。
今日は、これらの艦船が係留しているようです。
イージス艦あたご、護衛艦ひゅうが、掃海艇あいしま、掃海艇はつしま、護衛艦せんだい、ミサイル艇うみたか、補給艦ましゅう、ミサイル艇うみたか、護衛艦せとぎり、護衛艦ふゆづき であります。
一番前に座れましたので、正面の窓からも見ることができました。
早速、イージス艦あたごです。
次に大きな護衛艦ひゅうが、ヘリコプター搭載護衛艦。
昔の軽空母レベルです。
右手に掃海艇あいしま&はつしま、
海の機雷除去などが主な任務。
むこうの巨艦は、補給艦ましゅうですね。
皆さん写真を撮りまくりで忙しい。
横のカミさんもカメラを・・・ ソラカメかい!
造船所ドックも見えてきました。
案内の人の説明も軽快で海軍ゆかりの港めぐり遊覧船は大変満足でした。
続いてはこちらへ、
軍港引込線として設けられたレンガ造りの「北吸トンネル」です。
ノスタルジックな雰囲気の中、カミさんが佇んでいます。
最後は、標高301mの五老岳頂上にそびえる五老スカイタワーへ、
近畿百景第1位とは、なかなかのもんです。
絶景かな!
舞鶴湾と舞鶴市内が一望できました。
そろそろ帰りましょう。
助手席から撮影、敦賀市内が一望、右側にある北陸新幹線敦賀車両基地もありますね。
途中の杉津PAから見た敦賀湾。きれいでした。
今回は日帰り圏内ギリの舞鶴でした。オイラ初めての地でしたので何かと新鮮でした。
敦賀や横浜にも似ており、明治に海外に開かれた場所というのは雰囲気も似るもんなんですね。
できれば砲台跡など明治軍事遺構にも訪れたかったのですが、カミさんもいたし逆に無理しなくてよかったかもしれません。
ネコがいるとどうしても外出を控えがちになりますが、ソラカメラもあるし、これからも機会を増やしていこうかな。