てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

越前和紙は最初の紙幣

2021年05月05日 14時30分00秒 | 【ヒゲ親父】歴史のこと
100円で売ってた越前和紙のメモ用紙。

普通の紙より滑らかに書けるような気がします。
やっぱ越前和紙は違うなぁ・・・。


そういえば、先日行った越前和紙の里の集落に、


「紙幣工場跡地」という説明板があった。



そこで調べてみると、
紙幣の歴史がこの越前和紙から始まっていることがわかりました。

ネットより抜粋
<紙幣の歴史>
1661年 日本で最初の藩札が福井藩にて発行された。
福井藩藩札用紙を五箇村で漉く。
1868年 政府で今までに発行された各藩の藩札を比較検討した結果、「五箇村の紙が一番良い」とされ、福井藩が全国通用の太政官金札(だじょうかんきんさつ)を発行することになった。
1923年 「川上御前」を紙祖として、大蔵省印刷局抄紙部王子工場及び、三島高野製紙場へ分祀(ぶんれい)する。
1942年 14企業が終結して「岡太製紙施設組合」を組織し、「抄紙部(印刷局抄紙部越前工場)」が誕生。


日本銀行金沢支店のHPにも以下のような紹介がありました。
日本銀行券の「紙すき技術」と「すかし技術」のルーツは「越前和紙」です!
「越前和紙」の歴史は古く、奈良時代には既に紙がすかれていました。
1660年(江戸時代)、福井藩主からの要望で、日本で最初に「すかし技術」を開発し 「すかし(梅と鶯の文様)が入った紙」を献上しました。
また「紙すき技術」の研究を続けた結果、近世の「藩札」や近代の「金札」の紙に「越前和紙」 が採用されました。
その後も「紙幣用紙」の研究開発に協力し、新しい技術を完成させてきました。


この紙が、


100万円の札束に見えてきた・・・。


ジョーク、ジョーク、わしジョーク。

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