多くの方が今日は雪かきを行ったと思います。
ご苦労様です。
疲れた一日ですが達成感があります。
おでんをつまみビールを飲んでブログを打ってます。(あぁ至福)
さて雪の話題はおいといて・・・、
先日の平昌(ピョンチャン)オリンピックの開会式は、
なかなか見応えのあるものでした。
(拝借)
特にドローンによる夜空の五輪は圧巻でしたね。
(拝借)
良かったと思います。
最終ランナーからの聖火点灯も良かったし、
キレキレのダンスも良かったし、
現地で見てる人は寒いんでしょうけどね。
長野オリンピックの時の開会式はどうなんだったっけ?と思い
ユーチューブで確認してみた。
(拝借)
昼間でしたか。
へぇ、横綱の土俵入りかぁ
(拝借)
1998年ですから、今から20年も前だ。
善光寺の鐘の音を合図にスタート。御柱の建御柱、大相撲幕内力士の土俵入り、横綱の曙の土俵入りが行われ、歌手の森山良子と子供達によりテーマソング「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」が披露された。
当時はすごかったなんだろうけど、
まぁ20年前ですからね。
【ヒゲ親父】
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ご苦労様です。
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さて雪の話題はおいといて・・・、
先日の平昌(ピョンチャン)オリンピックの開会式は、
なかなか見応えのあるものでした。
(拝借)
特にドローンによる夜空の五輪は圧巻でしたね。
(拝借)
良かったと思います。
最終ランナーからの聖火点灯も良かったし、
キレキレのダンスも良かったし、
現地で見てる人は寒いんでしょうけどね。
長野オリンピックの時の開会式はどうなんだったっけ?と思い
ユーチューブで確認してみた。
(拝借)
昼間でしたか。
へぇ、横綱の土俵入りかぁ
(拝借)
1998年ですから、今から20年も前だ。
善光寺の鐘の音を合図にスタート。御柱の建御柱、大相撲幕内力士の土俵入り、横綱の曙の土俵入りが行われ、歌手の森山良子と子供達によりテーマソング「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」が披露された。
当時はすごかったなんだろうけど、
まぁ20年前ですからね。
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深夜の3:00に自宅に帰ってきた・・・。
はぁ~、はぁ~、
風呂に入って早速ブログを打っている。
先程あった真夜中の悪夢の出来事を書いている。
夜に息子からLINEがあり、
「迎えよろしく」と、
友達とカラオケだってさ
23:15に家を出た。
家の前の道路を見て、嫌な予感がした。
幹線道路は除雪が進んでいるが、
自宅近くの生活道路はまだまだである。
それでも昼間までは雪もカチカチに固まっており、注意を払えばなんとか車も走行できた。
現にオイラもしらやまさんへ出掛けたし、カミさんもパートに出掛けている。
日中の気温上昇と夕方からの雨で雪が中途半端に解け、
いわゆるシャーベット状態となっていた。
家の前の道路状況を見て、
これは危険とすぐにわかった。
それでも近くの大きい道路は完全に除雪済みだったのでなんとかなると思っていた。
そして車を走らすが・・・、
いつものルートで通りに出るために左折しようとするが、
その道で車がはまってるではないか・・・、
仕方ないのでもう一本先にある道で左折を試みるが、
そこでも車がはまってる
ヤバいヤバイと思っていたら
案の定、オイラの車もはまってしまった
前進バックともに動かない
タイヤが唸りを上げる(ウィーンウィーン)
家からまだ近かったので、一旦自宅に戻りカミさんを呼んできた。
スコップで格闘するも、なかなか動かない・・・。
さらに自宅へ戻り、毛布とバスタオルを持ってきて
タイヤの下に入れたりするがダメだった・・・。
カミさんより息子へは、なんとか自力で戻るようにLINEする。
(結果的に2時間かけて歩いて戻ってきた)
二人してスコップで格闘するがダメだった。
また自宅へ戻り、溝のグレーチングを持ってきて(重た)
タイヤの足元にかましてみた。
なんとか脱出!
やった!
ここがその場所であります。
ここからは慎重に進まねばならない・・・
またはまったら心が折れる。
勢いつけて走らないといけないのでスピードも落とせない。
そうすると、
またしても立ち往生車が・・・・
うそやろ!
つまり図にするとこうである。
最初に左折しようとすると、A車が立ち往生しており、
次の道で左折をしようとするが、B車が立ち往生中、
そしてオイラ車もハマって、
悪戦苦闘の末、なんとか脱出、
左折しようとしたら、また車がはまっていたのだ。
まるで平安京エイリアンである。
(わかったあんたは古い!)
そしてこれが大変だった。
もはやこの車を救出したうえで、オイラの車を通すしかないと考え、
そのはまっている車の脱出を手伝ったのだが・・・、
完全に雪の轍に乗り上げ、
タイヤが空回りし、前も後ろも1ミリも動かなかった。
道路の前の近所の人も家から出てきて応援してくれた。
懐中電灯と、スコップ、毛布に、バスタオル、
いろいろ駆使したがダメ!
運転手の親戚も駆けつけ、
「せっのー!」と車を押すけどダメ!
すでに1時間は経っていた、
辛かったのは、雨が降っていたので、汗と雨でずぶ濡れなのだ。
カミさんを一旦歩いて自宅へ返し、
引き続き試みる。
タイヤ交換のようにジャッキアップさせ、
浮かしたタイヤの下にコンクリブロックをはめた。
もう一方もジャッキアップしてコンクリブロックを
そして・・・
なんとか動かすことができたのだ。
その現場。
カミさんが現場まで戻ってきて、無事に息子が自宅に着いたと報告を受ける。
(オイラはなんの為に、でもとりあえず良かった)
オイラの車も無事にそこを通過して、大通りに出ることができた。
もう自宅へ車を戻すことはせず、近くのスーパーの駐車場に車を駐車し、
歩いて自宅へ戻った・・・。
自宅に着くと、ちょうど新聞配達さんが朝刊を届けてくれた。
風呂に入って、この最悪の出来事をブログに書いている。
とにかく、
不要不急の外出はまだ避けた方がいいです。
それと常識ですけど、車にはスコップを備えましょう
はい、もう寝る
ぐう~
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夜に息子からLINEがあり、
「迎えよろしく」と、
友達とカラオケだってさ
23:15に家を出た。
家の前の道路を見て、嫌な予感がした。
幹線道路は除雪が進んでいるが、
自宅近くの生活道路はまだまだである。
それでも昼間までは雪もカチカチに固まっており、注意を払えばなんとか車も走行できた。
現にオイラもしらやまさんへ出掛けたし、カミさんもパートに出掛けている。
日中の気温上昇と夕方からの雨で雪が中途半端に解け、
いわゆるシャーベット状態となっていた。
家の前の道路状況を見て、
これは危険とすぐにわかった。
それでも近くの大きい道路は完全に除雪済みだったのでなんとかなると思っていた。
そして車を走らすが・・・、
いつものルートで通りに出るために左折しようとするが、
その道で車がはまってるではないか・・・、
仕方ないのでもう一本先にある道で左折を試みるが、
そこでも車がはまってる
ヤバいヤバイと思っていたら
案の定、オイラの車もはまってしまった
前進バックともに動かない
タイヤが唸りを上げる(ウィーンウィーン)
家からまだ近かったので、一旦自宅に戻りカミさんを呼んできた。
スコップで格闘するも、なかなか動かない・・・。
さらに自宅へ戻り、毛布とバスタオルを持ってきて
タイヤの下に入れたりするがダメだった・・・。
カミさんより息子へは、なんとか自力で戻るようにLINEする。
(結果的に2時間かけて歩いて戻ってきた)
二人してスコップで格闘するがダメだった。
また自宅へ戻り、溝のグレーチングを持ってきて(重た)
タイヤの足元にかましてみた。
なんとか脱出!
やった!
ここがその場所であります。
ここからは慎重に進まねばならない・・・
またはまったら心が折れる。
勢いつけて走らないといけないのでスピードも落とせない。
そうすると、
またしても立ち往生車が・・・・
うそやろ!
つまり図にするとこうである。
最初に左折しようとすると、A車が立ち往生しており、
次の道で左折をしようとするが、B車が立ち往生中、
そしてオイラ車もハマって、
悪戦苦闘の末、なんとか脱出、
左折しようとしたら、また車がはまっていたのだ。
まるで平安京エイリアンである。
(わかったあんたは古い!)
そしてこれが大変だった。
もはやこの車を救出したうえで、オイラの車を通すしかないと考え、
そのはまっている車の脱出を手伝ったのだが・・・、
完全に雪の轍に乗り上げ、
タイヤが空回りし、前も後ろも1ミリも動かなかった。
道路の前の近所の人も家から出てきて応援してくれた。
懐中電灯と、スコップ、毛布に、バスタオル、
いろいろ駆使したがダメ!
運転手の親戚も駆けつけ、
「せっのー!」と車を押すけどダメ!
すでに1時間は経っていた、
辛かったのは、雨が降っていたので、汗と雨でずぶ濡れなのだ。
カミさんを一旦歩いて自宅へ返し、
引き続き試みる。
タイヤ交換のようにジャッキアップさせ、
浮かしたタイヤの下にコンクリブロックをはめた。
もう一方もジャッキアップしてコンクリブロックを
そして・・・
なんとか動かすことができたのだ。
その現場。
カミさんが現場まで戻ってきて、無事に息子が自宅に着いたと報告を受ける。
(オイラはなんの為に、でもとりあえず良かった)
オイラの車も無事にそこを通過して、大通りに出ることができた。
もう自宅へ車を戻すことはせず、近くのスーパーの駐車場に車を駐車し、
歩いて自宅へ戻った・・・。
自宅に着くと、ちょうど新聞配達さんが朝刊を届けてくれた。
風呂に入って、この最悪の出来事をブログに書いている。
とにかく、
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それと常識ですけど、車にはスコップを備えましょう
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今回北陸にもたらした大雪に、
60時間以上も国道で立ち往生された人や、一酸化中毒で車中で亡くなった方もおられるなど、大変残念な出来事となりました。
本日10日現在では道路状況も次第に回復し、
あのいまいましい雪の凸凹道もだいぶ減りました。
これも除雪業者さんの昼夜を問わず不眠不休の作業のおかげであります。
しかし残念ながらまだ春は遠し、
この三連休中にも、
あの恐怖の雪将軍が再度北陸を襲ってくるという。
今後の大雪により、できるだけ被害が無きよう祈るばかりだ。
そうだ、しらやまさん(白山比咩神社)に行って、お願いしてこよう。
タイトルは
「雪の中のしらやまさん」
とでもしとこうか・・・・・。
車中で一酸化炭素中毒・・・
19歳という・・・
息子と同じ歳か、
若すぎます・・・。
発見される9時間前には警察へ電話をしていたというが、
救えなかったものだろうか、
悔やまれるなぁ・・・
今日のしらやまさんは、
とても静かでした。
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60時間以上も国道で立ち往生された人や、一酸化中毒で車中で亡くなった方もおられるなど、大変残念な出来事となりました。
本日10日現在では道路状況も次第に回復し、
あのいまいましい雪の凸凹道もだいぶ減りました。
これも除雪業者さんの昼夜を問わず不眠不休の作業のおかげであります。
しかし残念ながらまだ春は遠し、
この三連休中にも、
あの恐怖の雪将軍が再度北陸を襲ってくるという。
今後の大雪により、できるだけ被害が無きよう祈るばかりだ。
そうだ、しらやまさん(白山比咩神社)に行って、お願いしてこよう。
タイトルは
「雪の中のしらやまさん」
とでもしとこうか・・・・・。
車中で一酸化炭素中毒・・・
19歳という・・・
息子と同じ歳か、
若すぎます・・・。
発見される9時間前には警察へ電話をしていたというが、
救えなかったものだろうか、
悔やまれるなぁ・・・
今日のしらやまさんは、
とても静かでした。
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昨日、今日と全国版のトップニュースはたいてい北陸の大雪情報だった。
各社とも福井・石川県境の8号線で発生した1500台立ち往生場所からの中継が行われた。
大変なものでドライバーさんはお気の毒でしょうがない。
56豪雪以来なんていうが、
昭和56年といえば、今から37年前でオイラは小学生の高学年となる。
あの頃、冬はたしかに今より雪は多かった。
小学校までの通学路が面白いほど踏み固められた高い雪道だった年もあった。
あれが、昭和56年だったのかも
親父から雪かきを手伝わされ、ソリに雪を乗せて近くの川まで捨てに行った記憶もある。
あの頃今のように除雪車が除雪するなんて無かったような気がする。
重機の力、ありがたいものだ。
だけどもう大雪は勘弁です・・・。
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各社とも福井・石川県境の8号線で発生した1500台立ち往生場所からの中継が行われた。
大変なものでドライバーさんはお気の毒でしょうがない。
56豪雪以来なんていうが、
昭和56年といえば、今から37年前でオイラは小学生の高学年となる。
あの頃、冬はたしかに今より雪は多かった。
小学校までの通学路が面白いほど踏み固められた高い雪道だった年もあった。
あれが、昭和56年だったのかも
親父から雪かきを手伝わされ、ソリに雪を乗せて近くの川まで捨てに行った記憶もある。
あの頃今のように除雪車が除雪するなんて無かったような気がする。
重機の力、ありがたいものだ。
だけどもう大雪は勘弁です・・・。
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無理だった・・・。
今朝の家の前の状況は、雪かきで対処できるレベルではなかった。
こういう形での休日はもったいない。
車を出すために雪かきしなくてはならないと思って、
いつもより早くに起きたものの、
玄関から出た瞬間
「こんなん無理やん、ハハハ・・・」
除雪車期待したけど、
やっぱり来なかった。
幹線道路は除雪されていたが、
オイラの家の前の通りはまったくの手つかずで、通り沿いの方は全滅だったと思う。
ということで、不本意ながら今日は会社を休むことになった、
大雪が原因で遅刻はあったけど、休むなんてのは初めてだ。
庭に積もった雪状況。
比較の為、缶ビール500mlを置いてみた。
ったく今年の冬は・・・
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今朝の家の前の状況は、雪かきで対処できるレベルではなかった。
こういう形での休日はもったいない。
車を出すために雪かきしなくてはならないと思って、
いつもより早くに起きたものの、
玄関から出た瞬間
「こんなん無理やん、ハハハ・・・」
除雪車期待したけど、
やっぱり来なかった。
幹線道路は除雪されていたが、
オイラの家の前の通りはまったくの手つかずで、通り沿いの方は全滅だったと思う。
ということで、不本意ながら今日は会社を休むことになった、
大雪が原因で遅刻はあったけど、休むなんてのは初めてだ。
庭に積もった雪状況。
比較の為、缶ビール500mlを置いてみた。
ったく今年の冬は・・・
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本日は前回の続きでここからです。
味方の本によると
今日はここより浅野川まで旧街道を歩きます。
ここから浅野川までの旧北陸道(北国街道)は現在の国道159号線とまったく同上である。
小坂神社。
そしてここは、卯辰山山麓寺院群「心の道」の起点でもある。
寺院巡りの好きな方はぜひここより歩いてみてください。
心の道は旧街道より一つ山側の細い道を歩きますが、セミの鳴く夏に歩くといいんだなぁ~
だが今回は旧街道を歩くので、心の道はまたいつか・・・
ここの右手奥に下口一里塚があった。
しばらく行くと・・・
お寺につながる登り道が出てくる。
ここは光覚寺。
あの飴買い幽霊のお寺なのです。
(ネットより)
ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来た。飴屋はいったいどこの女かしらとそっと後を付けてゆきました。女はお寺の本堂横の暗がりに消えました。
そこには墓があって、新しく土盛のしている墓の中から、「おぎゃあ、おぎゃあ」という元気な赤ん坊の泣き声が聞こえたので近づくと赤ちゃんが母親の遺骸の側で飴をしゃぶりながら泣いていました。
とまぁこんな話ですが、この飴買い幽霊あるいは子育て幽霊の話は全国的に分布されている話のようです。
たしかに、
本堂横の暗がりの向こうにお墓が・・・
さてその光覚寺から見る旧街道ですが、
本当に旧街道はその道だったのだろうか?という疑問がオイラにはある。
この寺へつながる道は街道よりさらに下へ延びていて、
旧街道は本当はこっちの下の道じゃねと思ったりする。
だって、
こういう不自然なことになるんだよねぇ。
まぁ実際わからないですけどね。
さて先を進もう。
とにかくこの地域は、左手の山麓より街道に繋がる細い道が、
いっぱい延びていて
少し入ると、
けっこう有名なお寺が出てきます。
ここは大きなわらじを飾っているので有名な全性寺。
こっちには、
お寺の前にこういう石垣があって、
よく見ると、
金沢城と同じように模様のあるものとかあって歴史を感じます。
さて街道に戻って、歩きます。
おっ!
あの成人式の晴れ着の問題どうなったんだろうね。
へぇ~古民家でパソコン修理屋とはおもしろい。
ここは東山。
古民家が多く残っており、
こっちは包丁屋さん。
その古民家を利用したお店も多くあります。
うんうん、
この地一番の観光スポットは、
やっぱり、ひがし茶屋街となります。
昔は木町なんて呼ばれていました。
自由軒。
ここで有名なのは昔カツ丼
ゆがいたキャベツがのって、東の廓の芸妓衆からの要望で生まれたカツ丼なのです。
まだ朝早くて、
観光客はほとんどいませんでした。
ここは昔のままの姿なんでしょうね
今日か・・・
宇多須神社
あの心の道の終点。(実はもう少しあるけど)
午後からここで芸妓さんによる豆まきが行われるけど天気が心配だ。
街道へ戻って
浅野川大橋が見えてきました。
今日はここまで。
今回は短い距離だったけど、
いろいろあるから寄り道ばっかりしちゃったね。
次回は尾張町編に続く。
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味方の本によると
今日はここより浅野川まで旧街道を歩きます。
ここから浅野川までの旧北陸道(北国街道)は現在の国道159号線とまったく同上である。
小坂神社。
そしてここは、卯辰山山麓寺院群「心の道」の起点でもある。
寺院巡りの好きな方はぜひここより歩いてみてください。
心の道は旧街道より一つ山側の細い道を歩きますが、セミの鳴く夏に歩くといいんだなぁ~
だが今回は旧街道を歩くので、心の道はまたいつか・・・
ここの右手奥に下口一里塚があった。
しばらく行くと・・・
お寺につながる登り道が出てくる。
ここは光覚寺。
あの飴買い幽霊のお寺なのです。
(ネットより)
ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来た。飴屋はいったいどこの女かしらとそっと後を付けてゆきました。女はお寺の本堂横の暗がりに消えました。
そこには墓があって、新しく土盛のしている墓の中から、「おぎゃあ、おぎゃあ」という元気な赤ん坊の泣き声が聞こえたので近づくと赤ちゃんが母親の遺骸の側で飴をしゃぶりながら泣いていました。
とまぁこんな話ですが、この飴買い幽霊あるいは子育て幽霊の話は全国的に分布されている話のようです。
たしかに、
本堂横の暗がりの向こうにお墓が・・・
さてその光覚寺から見る旧街道ですが、
本当に旧街道はその道だったのだろうか?という疑問がオイラにはある。
この寺へつながる道は街道よりさらに下へ延びていて、
旧街道は本当はこっちの下の道じゃねと思ったりする。
だって、
こういう不自然なことになるんだよねぇ。
まぁ実際わからないですけどね。
さて先を進もう。
とにかくこの地域は、左手の山麓より街道に繋がる細い道が、
いっぱい延びていて
少し入ると、
けっこう有名なお寺が出てきます。
ここは大きなわらじを飾っているので有名な全性寺。
こっちには、
お寺の前にこういう石垣があって、
よく見ると、
金沢城と同じように模様のあるものとかあって歴史を感じます。
さて街道に戻って、歩きます。
おっ!
あの成人式の晴れ着の問題どうなったんだろうね。
へぇ~古民家でパソコン修理屋とはおもしろい。
ここは東山。
古民家が多く残っており、
こっちは包丁屋さん。
その古民家を利用したお店も多くあります。
うんうん、
この地一番の観光スポットは、
やっぱり、ひがし茶屋街となります。
昔は木町なんて呼ばれていました。
自由軒。
ここで有名なのは昔カツ丼
ゆがいたキャベツがのって、東の廓の芸妓衆からの要望で生まれたカツ丼なのです。
まだ朝早くて、
観光客はほとんどいませんでした。
ここは昔のままの姿なんでしょうね
今日か・・・
宇多須神社
あの心の道の終点。(実はもう少しあるけど)
午後からここで芸妓さんによる豆まきが行われるけど天気が心配だ。
街道へ戻って
浅野川大橋が見えてきました。
今日はここまで。
今回は短い距離だったけど、
いろいろあるから寄り道ばっかりしちゃったね。
次回は尾張町編に続く。
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