昨日・大阪に住む母の様子窺いに行ってきました。
山陽本線で母(弟家族)宅まで2時間の小さな旅。
途中駅(OO 市)を通過するたび、必ず思い出す人がいます。
ある時期、夫の赴任先の地方都市に住んでおりました。
冬が間近なある日、OO市に住むO子さんから電話がかかりました。
「どうしても誰かに聞いて欲しくてkayoさんに電話してん!すごい嬉しいことがあってんよ」と。
互いの夫が仕事関連(元請会社社員と下請け会社社長)だったことから・・・
それと、互いの子供が同年齢でもあり
大阪時代は、家族ぐるみで仲良くしていただきました。
O子さんの「すごい嬉しいこと」とは。
あるガンの転移で、寝たきりの闘病生活を余儀なくされていたO子さん。
その日、御主人は仕事に出かけ、
毎日お世話に通っていた家政婦さんが、急遽・来れなくなってしまい
高校1年生の次男が、たまたま家にいたそうです。
そのとき、我慢の限界で自然現象の大をしてしまったO子さん・・
次男に「Aちゃん、お母さんOンチしてしもうてん・・助けて・・」と。
Aちゃんは、一瞬のためらいもなく「いいよ・かめへんで!」
O子さんは次男に申し訳なさと切なさいっぱいになり
「ごめん!かんにん・かんにんやで・・」と、泣きながら許しを請うたそうです。
その時、次男さん、慣れない手つきでお母さんの下の世話をしながら
「そんなことないよ・だってお母さん、ボクが赤ちゃんの時、ずっとしてくれたんやもん」と、言ったそうです。
O子さんと私・大阪と地方都市と・・
受話器を持ったまま、互いに泣き声だけの会話をしていたのでした。
私は「すぐ逢いに行くから待ってて」と・・
数日後、昼食のお寿司と雑誌を持って、OO市の彼女の家を訪ねました。
それが、この世で彼女と会った最後の日になってしまいました。
その日から、さかのぼること2ヶ月余り前だったか・・
O子さんが、遠く地方都市に住む私を訪ねてきました。
画像の真珠のブローチを持って・・・
「これ、持ってきたんや・・大事にしてな」と。
O子さんは、自分の死が遠くではないことを感じて、
形見分けのブローチを、自ら、私の住む地まで、届けにきたのでした。
その時、雄大な自然を車で案内したけど・・・
互いにO子さんが、深刻な状態であることを告げず聞けず・・・
あの時の美しい景色が、いっそ互いに苦しく辛かった記憶が
20年近く経った今でも鮮明に蘇ってきます。
彼女をドライブに誘った自分を悔いています。
日々の暮らしは多忙にかまけ、このことを思い出すことはあまりないけど
山陽本線を電車で行き来するたび、O子さんのことを必ず思い出します。