大学生のとき
ディベートの先生が
「批判眼をもちなさい」
とおっしゃっていました。
何でも疑うくせをつけろと。
ありのまま受け入れるのではなく、
頭をつかいなさい。
という意味だったのでしょうが、
もともと天の邪鬼のわたしは
それでまた調子をこいて
世の中を斜めに見るようになりました。
自分であれやこれ批評するのも好きですし、
人の批評もよく見ます。
自分の性格の悪さにほとほと呆れることもありますが、
他人のそれについても
ドン引くことがあります。
批評というのはプロでもアマでも
他人の見方
ものの考えた方
を知ることが楽しいのです。
なるほどと感心したり
私もそう思っていたと共感したり。
自分の考えを整理できたりします。
腹のたつこともあります。
その主なポイントは2点。
①嫉妬にまみれているだけの浅い批評
②尊敬が感じられず対象をを見下している批評
①については
お金持ちでチヤホヤされていて
で一見苦労してなさそうな人に対して
群がる
Yahooのニュースコメント欄に書き込まれているようなヤジです。
批評になりもしないただの悪口もたくさんありますが、
一見批評を気取って、
結局、「羨ましい」以外に何もよめない文章なども紛れていて
びっくりします。
読んでいるこちらが恥ずかしいです。
「もてたい」「お金がほしい」「チヤホヤされたい」
という感情は
ぜんぜんあっていいし、
そこから発信され表現されることは
プラスになることもたくさんあります。
ただ感情の吐露だけは
いただけません。
頭をつかいなさい。
先生が言っていたよ。
②については、
一言で片付きます。
「おまえやってみろ!」
です。
いくら批判しても批評しても
叱咤しても
そこに対するリスペクトがなければ
言ってはいけないと思います。
結局あれこれ批判的なことを言う人は
わたしを含め基本、できないんです。
その対象物と同じだけの才能など
ないくせに
偉そうに話しているのです。
それを絶対に忘れてはいけません。
わたしも気をつけます。
みんなも気をつけよ。
ディベートの先生が
「批判眼をもちなさい」
とおっしゃっていました。
何でも疑うくせをつけろと。
ありのまま受け入れるのではなく、
頭をつかいなさい。
という意味だったのでしょうが、
もともと天の邪鬼のわたしは
それでまた調子をこいて
世の中を斜めに見るようになりました。
自分であれやこれ批評するのも好きですし、
人の批評もよく見ます。
自分の性格の悪さにほとほと呆れることもありますが、
他人のそれについても
ドン引くことがあります。
批評というのはプロでもアマでも
他人の見方
ものの考えた方
を知ることが楽しいのです。
なるほどと感心したり
私もそう思っていたと共感したり。
自分の考えを整理できたりします。
腹のたつこともあります。
その主なポイントは2点。
①嫉妬にまみれているだけの浅い批評
②尊敬が感じられず対象をを見下している批評
①については
お金持ちでチヤホヤされていて
で一見苦労してなさそうな人に対して
群がる
Yahooのニュースコメント欄に書き込まれているようなヤジです。
批評になりもしないただの悪口もたくさんありますが、
一見批評を気取って、
結局、「羨ましい」以外に何もよめない文章なども紛れていて
びっくりします。
読んでいるこちらが恥ずかしいです。
「もてたい」「お金がほしい」「チヤホヤされたい」
という感情は
ぜんぜんあっていいし、
そこから発信され表現されることは
プラスになることもたくさんあります。
ただ感情の吐露だけは
いただけません。
頭をつかいなさい。
先生が言っていたよ。
②については、
一言で片付きます。
「おまえやってみろ!」
です。
いくら批判しても批評しても
叱咤しても
そこに対するリスペクトがなければ
言ってはいけないと思います。
結局あれこれ批判的なことを言う人は
わたしを含め基本、できないんです。
その対象物と同じだけの才能など
ないくせに
偉そうに話しているのです。
それを絶対に忘れてはいけません。
わたしも気をつけます。
みんなも気をつけよ。