NHK教育の
オペラを男女の恋愛視点から解体する番組を見て。
恋
なんて自己妄想にすぎない
とつくづく確信してしまいました。
それで楽しくて
救われていれば
相手が人間でなくても
存在しないものでも
さらに言えばモノでも
たとえば
湯呑み
とかでも成立するんじゃないの。
湯呑みとわたしの恋。
あるんじゃないの。
そして
そこから愛に発展する可能性って
どれくらいあるのだろう
と思うのです。
そこを求めるのって
到底、大変な気がします。
恋だけして、
添い遂げることだってあるわけだし。
富豪のおじいさんが
ぴちぴちの若い子と結婚するのだって
その考えから行くと
ぜんぜん責められない。
むしろ恋モードから行くと
なんかそっちのほうが真実のような気がする。
いま
愛し合って幸せ
というのだって、
どちらかが死ぬまで
本当のことは
分からないんですもの。
懐疑的で不幸せな人間だから
こんなこと思うのでしょうか。
恋とはエゴである。
愛はその反対。
これ私の仮説です。
オペラを男女の恋愛視点から解体する番組を見て。
恋
なんて自己妄想にすぎない
とつくづく確信してしまいました。
それで楽しくて
救われていれば
相手が人間でなくても
存在しないものでも
さらに言えばモノでも
たとえば
湯呑み
とかでも成立するんじゃないの。
湯呑みとわたしの恋。
あるんじゃないの。
そして
そこから愛に発展する可能性って
どれくらいあるのだろう
と思うのです。
そこを求めるのって
到底、大変な気がします。
恋だけして、
添い遂げることだってあるわけだし。
富豪のおじいさんが
ぴちぴちの若い子と結婚するのだって
その考えから行くと
ぜんぜん責められない。
むしろ恋モードから行くと
なんかそっちのほうが真実のような気がする。
いま
愛し合って幸せ
というのだって、
どちらかが死ぬまで
本当のことは
分からないんですもの。
懐疑的で不幸せな人間だから
こんなこと思うのでしょうか。
恋とはエゴである。
愛はその反対。
これ私の仮説です。