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48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

歩いて今治市内観光をするバカ

2020年09月27日 00時15分04秒 | 旅ラン
9月21日 月曜日 歩いて今治市内観光をするバカ

ゴールしてから30分ほどは、皆さんの応援に回り手を振ってました。でもさすがに体の臭いが気になって来たので、エイドの皆さんに荷物を預かっていただき、目の前の「喜助の湯」に飛び込んだ。
いやあああああ最高!
特に歯を磨きたくって仕方が無かったので、歯ぐきから血が出るくらい磨きました。
お風呂から出てゴールエイドに戻り、荷物を受け取って皆さんとお別れ。お世話になりました!他の大会にも出させていただきます!その時お会いしませう!

と別れたのは良いが、朝の10時である。ホテルのチェックインまでどうすれば良いのだ?
1、 公園やベンチで寝る(昨年今治城でやった)
2、 マンガ喫茶で寝る
3、 市内観光する
昨年と違い足にマメは無いので、歩くのには支障は無い。疲れてるだけだ。という訳で市内観光をすることにした。要はこの男は貧乏性なのだ。
駅で市内の観光マップを頂いたが、一番行きたいと思ったタオル美術館は、14キロも先にあるので、簡単に行けない。直通バスが無い、タクを使うしかない。一瞬「歩いて行こうかな?」と思ったが、余りにもバカな発想に自分自身に呆れた。
仕方が無い。昨年と同じく今治城でも見るかあ。と歩き始めた。

まずは造船の街今治のシンボル「巨大スクリュー」を見る。ここまで2キロ歩いた。しんどい。

道に迷いながら、港にあるナマズみたいな建物を見に行った。こりゃあ何じゃあ?
名前を見たら「みなと交流センター」とありました。なーんだ公民館か。「なまず公民館」と名付けよう(笑)。
そこから今治のアーケードをうろうろする。大半の店が閉店してゴーストタウンになっております。そうこうしてるうちに今治城に到着。

ここでグルグル回りながら写真撮影。観光客に混じってあちこちをうろうろ。今治城を見学した後は、国際ホテルを見て駅前に戻った。
あかん、俺って何してるんだ。
徹夜のウォーキング大会で80キロ(正確には77キロ)歩いた後、また歩いてるやん(後で計ったら、観光で7キロ歩いておった)。
俺ってバカかもしんない。

今治駅前のサイクリングターミナルには、大きなテーブルとベンチがあるので、そこでうっぷしてホテルのチェックインまで休憩。私の隣には、部活帰りの高校生達が、「明日試験だあー!」と叫びながら皆で勉強してました(笑)。
大道塾のOYJ@60様に、「今治は焼き鳥が名物ですよ」と聞いてましたので、チェックインの際フロントに、お勧めのお店を聞いたところ、近くにあるとの事。
よし、一休みしたら行ってみよう。と思ったが、つい寝入ってしまい起きたら夜の11時半(驚)。結局コンビニへ行って弁当と酒で済ませた(泣)。しくしく。

いかんいかん、こんなんでは今治を体感した事にはならん。全然ダメではないか。
という訳で、翌朝5時に起きて、5時15分から昨日とほぼ同じコースをランニングしてみました。上の写真は早朝の今治駅です。誰もいません。

夜明けのプロペラです。昨日とは顔が違う(笑)・・・なんて言ってますが同じですよ同じ。

夜明けのナマズ公民館です(笑)。ここも昨日とは雰囲気が違う・・・同じだ(笑)。
この男、要は汗をかきたいだけではないか。

夜明けの今治港です。昨日この海を渡って来たと思うと感慨深い。これは本当の感情(笑)。

夜明けの今治城です(笑)。ここは3回目なので見飽きた(笑)。
うーむ同じコースでも徒歩とランニングの違いはあるものの、あまり新鮮味が無い。違うコースにすればよかったかもしれん。
旅ランが好きで記事によく書いておりますが、昨日歩いたコースをもう一度走るのって、やはり記事的に面白くない。「今治旅ラン」は失敗だったと思う。何か書く気が起こらん。
やはり「初めての街・初めての路」という新鮮さが無いと、ワクワク感が無いので筆も進みません。記事の写真も同じのを2回載せるしかないのだ。今治は素晴らしい街なのですが、街を体験しようとする私が安易に考えてました。
やはり無理してでも、昨日観光ランをしておけばよかった。

とはいえ、昨日来島海峡大橋で空手の練習をした際、今まで味わった事の無い満足感があった事を思い出しました。
そうだ、旅先の名所でも景色のいい場所でもいいから、自分の気に行った所で、いつものルーティンワーク(格闘技のです)をするのは新鮮じゃん。

海上保安庁の巡視船近くの芝生広場で、空手のシャドーです。2分を3セット。わははは気持ちいい!

柔道を休んでしまったので、エア打ち込み100本です(笑)。これも気持ちいい!
やりたいことをやれば良い、って事に気がついた。
よし、ホテルに帰って一寝入りしてから、福山に行こう!

今治の早朝ラン7キロ、シャドー・エア打ち込み稽古30分ほどでした。今回の記事は中途半端です。ごめんなさい。
「これを書こう!」「このテーマで書きたい!」というものが無いので、自分でも面白くありませんでした。ずびばぜん。

次号予告、福山で体力の限界を味わうオジサン

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自分の田舎を走るのは何年ぶりだろう?

2019年12月31日 21時23分39秒 | 旅ラン
12月29日 日曜日 自分の田舎を走るのは何年ぶりだろう?

昔お世話になった親戚が亡くなった。葬式には間に合わなかったが、土曜の昼から実家の三重県志摩市に帰り、仏壇に手を合わせに行ってきました。
亡くなったのは叔父ですが、秋に会ったのが最後です。寿命を全うしたので、悲しいという気持ちはあまりありません。が、私を実の子のように可愛がってくれた叔父さんなので、「この人の親戚で良かったなあ」という感慨はあります。
田舎の親戚も段々皆亡くなっていきます。うちのオヤジが死んだのは59歳の時で、私は当時まだ学生でした。あと3年で死んだオヤジと同じ年齢になると思うと、
「俺もジジイになったなあ」
ええい、まだ老けるのは早いわ。まだまだやりたい事が沢山あるので、当分はガンガン動き回るぜい!
実家に帰って久しぶりにランニングをした。朝の日差しを浴びながら実家のある志摩市大王町波切の集落を出て、隣の船越集落まで走る。上の写真は船越の浜です。風も無く波も無く、暖かくて走りやすい。
私の住んでる愛知県西尾市も田舎ですが、この志摩市は「30年後には自治体消滅」が噂される地方都市です。特に市の中心部から離れると、限界集落だらけ。空き家ばかりです。
西尾市ならこんな天気の良い日なら、時々ランナーや家族連れと出会うのですが、出会うのは車か乳母車を引いたお婆さんばかりでした。
足を延ばして志摩町片田の浜まで足を延ばす。いい天気だなあ。
私が走ってると、地元民の年寄りが、奇異な目で見てくるのには参った。ランナー自体がほとんどいない位の田舎なので、珍しいのかもしれん。
ここで片田稲荷にお参りした。賽銭箱に100円玉入れるという、私にしては大判振る舞い(笑)。ここで折り返して帰りましたが約1時間8キロのLSDでした。

帰りの車で、「どうやったら老けずに済むか」という事を延々と考えておった。くだらないとはいえ、オジサンは若作りに必死です(笑)。
会社でも同年代の50歳代は、「動けない・反応が遅い・頑固で融通が利かない」人が多い。俺もその中に入ってるんだろうなあ(笑)。
気を若く保つには、やはり美しい女性の目を気にしないと、格好までだらしなくなってしまうのだ(注:嫁を除く)。まずは姿かたちを整えるべし!
とりあえず家に帰ったら白髪染を(笑)。

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大阪出張 大阪城と中之島を走る

2019年09月14日 05時15分41秒 | 旅ラン
9月9日 月曜日 大阪出張 大阪城と中之島を走る

仕事で大阪に来ております。かつて大阪に住んでいた人間ですが、仕事で行くのは東京が多く、西に来た事がありません。
「せっかく来たんだから走ろう!」
と考えるのは、ランナーの性かもしれん。

夜の9時に長堀橋のホテルを出発。そのまま松屋町(まっちゃまち)を駆け上がって本町通に出てから。大阪城を目指します。
あかん、土地勘鈍ってもうた。
松屋町は玩具の問屋街なので、大学時代にサークルの合宿用に、大量に花火を買い付けに来た思い出があります。
しかし何だな、やたら外国人が多い。夜中でも旅行鞄持ってうろついてる外人さんがいっぱい。昔の汚い大阪はどこ行ったんやあ?
あちこちにいた浮浪者は、ちょっとしかおらんやないかー。
と考えつつ走って、NHK大阪を通り過ぎて大阪城の南のお堀に到着。思ったほどランナーが多くない。たまにすれ違うくらい。
うーむ、もっと多いのかと思ってた。これではうちの近くの安城公園の夜のランニングコースの方が、人数は多いのではないか、と思うくらい。
ランニングに適した内堀通りです。全然ランナーがおらん。
皇居の周りのランニングコースを、ユーチューブで見た事がありますが、あの狭さに比べたら、むっちゃ走りやすいです。もったいない!
ライトアップされた大阪城です。でかくて素晴らしい!
岡崎城と比べると、インドのタタ自動車とぐホンダNSXぐらい差がある(←比べるなよ)
西尾城と比べると、西尾市佐久島連絡船と護衛艦ひゅうがぐらい差がある。
東条城(うちの近所にある、戦国時代の砦跡)に比べると、うちの嫁さん(身長148センチ)と、人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアントぐらい差がある(笑)。
内堀から見た大阪ビジネスパークの高層ビル群である。私が25歳の時に、ゴジラにぶっ壊された(笑)。

ランナーは少なかったけど、ウォーキングの人や、御堀で夜釣りの人が多かった・・・って、看板に「釣り禁止」とデカデカと出てるやないかあー!
大阪人のモラルの低さは、そりゃあもう低い事は昔から分かっております。今回のランでも、車が来ていないと赤信号を無視していく人がいっぱい。ほぼ全員が無視してた。律儀に守っていたのは私ぐらい。うーむ。

天満橋の大阪マーチャンダイズマートビル(略称OMMビル)の横を通り、中之島に入る。
OMMビルは、私が小学生の頃は大阪で一番高く、よくオヤジに連れて行ってもらったなあ。あれから50年経つのか。
中之島は夜の散歩の方々がチラホラおられました。ビジネス街なので平日の夜はこんなもんなのかな?
暑いけどとにかく気持ちが良い。昨日のマラソン大会での熱中症が嘘みたいです(笑)。
新潟在住の仮装ランナーYOU様は、仕事柄日本のあちこちを出張で飛び回っておられ、出先で「旅ラン」を良くされております。出張は大変だと思いますが、ちと羨ましいです。
知らない道・知らない町・知らない地方を走るのって、わくわくするじゃないですか。きっかけがあれば、どんどんあちこちを走ろうと思う。
「東海道ラン」「伊勢湾一周ラン」「矢作川ラン」「豊川ラン」ってのは、そのきっかけ作りです。
有名な中之島公会堂です。ここの交差点のベンチで休憩。休憩している私を、女性ランナーが追い抜いていきました。
淀屋橋から御堂筋を北上して梅田に向かって走りました。梅田に近づくにつれて人が多くなり、ついでに酔っ払いも多くなってきました(笑)。皆キタ新地や東梅田界隈の雑居ビルで飲んでるのかな?わははは。
人が多いので走るのはやめて歩いてます。
曽根崎警察を過ぎてから、東梅田駅の地下街に入り、そこからUターンして地下道を南下していきます。梅田第二~四ビルの地下道は、全く人がいない状態でしたので、思いっきり走りました。
地下街を全力疾走する経験なんて、滅多に出来ません。気持ちいい~。

地下街を出て御堂筋を南下し、本町筋からホテルに戻りました。約1時間50分12キロの観光ランでした。
都会を走るのは、やはり夜が一番気持ちええですなあ。夜景を見ながら走るのは最高に良いです。昼間の都会は排気ガス等で嫌いだけど、東海道ランも都会部分は夜ランにすればよかったのかもしれません。
旅ランは最高!

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猫になりたい

2018年08月14日 08時26分44秒 | 旅ラン
8月12日 日曜日 実家の漁師町は猫の天国であった

お盆休みです。昨日の空手の練習後は、高校生の息子を連れて実家に帰りました。
渋滞で7時間かかった。愛知県の飛島付近から、三重県の鈴鹿近くまで延々と続く渋滞。
実家に帰るのも一苦労です。
さて翌日息子を叩き起こし、実家近くの港町をジョギングした。風があり海は結構荒れてました。子供の頃はこの海岸で泳いでたのですが、今は地元の小学生でも学校のプールでしか泳ぎません。確かにこんな波では素人は死ぬ。
集落を駆け上がっていくと、いるわいるわ。猫がわんさか。
野良猫です。野良といっても漁港なので食べる魚はごまんとあります。地域で飼ってるようなものです。
私と息子を見ても、全然逃げません。細い道で車も通らないので、道の真ん中で寝てる豪の猫もいる。
部活と学校のカリキュラムで、寝る時間も削ってる息子は、
「羨ましい!俺も猫になりたい」
格闘技と会社の仕事で、寝る時間も削っている私は、
「羨ましい!俺も猫になりたい」
このくそ暑い中、猫を見ながらジョギングしてたお盆休みであった。
ああ、猫になりたや。

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箱根で火がついたおっさん

2016年03月30日 20時22分37秒 | 旅ラン
3月27日 もっと走りたかった箱根

夜中に花粉症で起きる事は全然ありませんでした。ホテルリカーブの空調設備は完璧です。久しぶりにぐっすり寝れました。
5時半に起きて、早々に着替えてホテル近くを走ってきました。7時15分から朝食の時間なので、6時半までには戻って温泉で汗だけでも流したいので。大慌てで出発。
こんなコース。最初はホテル裏側の別荘地を走ってたのですが、ちょっと物足らないので、昨日行ったポーラ美術館への坂道にチャレンジ!
この坂道、マジできついです。
ほぼ前傾姿勢で、景色は見る余裕がありませんでした。峠にある美術館に到着した時は息も絶え絶え。
この2週間の花粉症の打撃で、ほとんど走っていない且つ体が弱ってるので、目に見えて体力が落ちてるのがわかります。
鈍ってるなあ。

さて本日の旅ランは、45分6キロだけであった。朝食後は時間があまり無いので、もう一度風呂に入ってからチェックアウト。
箱根を出て東富士五湖道路から富士パノラマラインを通って、裏富士を見ながらぐるっと富士山を一周しようという計画。もちろん途中でも観光します。
観光の記事を書いても受けないので、普通の記事はスルーしますのでご容赦のほどを。
裏富士である西湖辺りのドライブインで撮った写真である。ここからは鳴沢氷穴に向かいました。
江戸時代の夏の将軍様に献上する氷を保管していた穴ですが、頭をゴチンとぶつけて、目から火花が飛び散った。
近くの富岳風穴である。ここは氷柱のライトアップが綺麗でした。写真上手く撮れません。観光客でいっぱいでした。中国語も飛び交ってました。英語も飛び交ってました。
大阪弁も飛び交ってました(笑)。
おまけです(笑)。青木ヶ原樹海で、杉の大木に正拳突きをする、お約束のオッサンです。
この格闘技バカは、いつもいつもこんな事ばっかりしとる。写真を頼んだ息子は、嫌そうな顔をしてました。
精進湖辺りの道で撮った富士山です。この辺りまで来るとより一層はっきりと見えてきました。私たち以外も路肩スペースに車を停めて、写真撮影してる旅行客がいました。
朝霧高原の道の駅で撮った富士山です。こっちも綺麗だったのですが、反対側の山が凄かった!
うーむ、もしかしてこの山を、ウルトラトレイルMt.FUJIの選手は走るのか。
ウルトラトレイルMt.FUJI(以下UTMFと略す)は、国内最高峰のトレイルマラソンでして、超エリートランナー2400名が、富士山の周りの山160キロを2昼夜かけてはしるという、とんでもない大会です。
仕事関係で知り合った人が、このレースに参加しております。鉄人達のレース。ユーチューブで検索すると動画が見る事が出来ます。
世界は広いです。凄い人はいっぱいいます。
白糸の滝を見学し、ここも外国人観光客が沢山いた。白人が多かったですねえ。ロシア人グループがソフトクリーム食ってたな(笑)。
白糸の滝から見た富士山です。ここらへんから高原地帯を出て人家が多くなってきます。
でもこんな所を自転車でツーリングしたら気持ちいいだろうなあ。
今年から子供が進学し、あまり私達夫婦の相手をしてくれなくなります。土日も遊んでくれないでしょう。親たる私も子離れして、一人でツーリングをしてみようかなと。
テント積み込んで、野宿しながら富士山一周かあ。やってみたいなあ。
最後は三保の松原で富士山を見ようと思ってたら、全然見えず(笑)。中国人観光客のパワーに圧倒されてから、家路につきました。

帰りの高速で運転しながら考えていたのですが・・・火が着きました。
箱根でランニングされていた多くのランナーさん達を見てますと、今の私の停滞状況ではいかんなと。
昨年秋からのマラソン大会は、子供が受験という事もあって、参加数を大幅に減らしておりました。しかも今年は毎年出てる知多のウルトラが開催されない事もあって、何かこう欲求不満が溜まっております。
ああ暴れたい(笑)。汗をかきたい、ひいひい言いたい(←変態か?)。
UTMFの選手に比べたら私なんぞ鼻くそランナーなのですが、それでももうちょっと出てみようと考えております。

実は6月の「乗鞍天空マラソン」ですが、仕事の忙しい時期とも重なってるので、参加を躊躇しておりました。でも火が着いてしまったので(笑)、帰って早々に参加の申し込みをしました。
ダメだったら辞表を書いて・・・ってのは嘘(笑)。仕事は・・・まあ何とかなるわい(笑)。
それまで体重を4キロぐらい減らそうと思います。これが一番しんどい!

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箱根仙石原を走る52歳のおっさん

2016年03月29日 19時38分57秒 | 旅ラン
3月26日その2  箱根仙石原を走って、中国人母娘に道案内をした

私の趣味に「旅先でジョギングをする」という旅ランがあるのですが、きっかけは10年近く前に韓国に旅行に行った時、興味本位でソウルの街中と漢江を走ってみた事です。
夜にアメリカ軍基地の横を走ってみたり、漢江にかかる全長2キロの橋をいくつも走ってみたりと、刺激的で面白かったのがきっかけ。
普段とは全く違う景色の中を走るのは、そりゃあもうとてつもなく気持ちが良い。
仕事が中々休めないので、旅行自体が少ないのですが、行った先は必ず走っております。外国はまだ2回しか行った事が無いのですが、仕事の出張とか用事で地方に行った際は、毎回ワクワクして走ってます。
多くのランナーさんも、「旅ラン」を趣味にしてる方がおられるんですね。リンクさせていただいております方も何人かおられますし、「旅ラン ブログ」で検索すると出るわ出るわ(笑)。
今回も家族の冷たい視線を浴びながら、箱根の仙石原を走ってみました・・・というのが、家族も誘ってみたのですが、私以上に花粉症がひどい嫁と子供は、
「絶対にやだ!」
・・・やっぱりそうなるかあ。

リカーブ箱根というホテルを3時半ごろ出て、5キロ先の芦ノ湖畔の桃源台に行って帰ってくる計画でした。途中のススキの広大な野原を見て走ってみたい・・・
野焼きされてました(笑)。ススキが全然無し。後ほど調べた所、3月中旬に野焼きが行事としてあるそうです。まあ何とタイミングが悪い(笑)。
野焼き後の景色も中々でんな~。
テロテロと走って、林の中の坂を上ったり下がったりしております。ここいらへんは保養所や別荘などが点在してる地域。昼以降陽射しが出てきましたので、汗も結構吹き出しました。
細い歩道を走っておると、前方のバス停に観光客2名がおりまして、すれ違う時に、
「スイマセン、道をオシエテください」
と片言の日本語で尋ねられました。外国の女性2名です。見た目は日本人と変わらないので、多分中国系の人だと思います。お年寄りと30代くらいの女性。
「この旅館にイキタイデス。場所がワカラナイです」
プリントアウトしたらしい案内には、バス停近くのプリントアウトした大きな案内が書いてあって、バス停徒歩4分と書いてある。
「ごめんね。私も旅行者なので、全然わかんない」
と言うとがっかりした模様でした。
うーんうーんうーん、探してみるかあ。
「その用紙ちょっと貸して」
プリントアウトされた用紙の端に、旅館の連絡先と思われる番号が2つあったので、自分の携帯で電話してみる。・・・・・ダメだ、つながらん。
「徒歩4分という事は、多分近くだと思う。ちょっと探してくるから、ここで待ってて」
申し訳なさそうに二人は謝ってくる来る。
まあ仕方が無い。時間もあるし見つけてみよう。
バス停から数百メートル南下して、大きなホテルを見たが名前が違う。枝道もあったがこちら方面はその旅館はなさそうだ。北上して戻り、
「こっちには無さそうです。反対側に行ってみましょう」
と北側に行くと100メートル先で地域地図を見つけた。
「もしかしてここじゃない?」
「ソウデス。この名前です」
長寿湯と書いてある旅館だ。よっしゃあ!大体の位置が分かった。
お年寄りの女性がゆっくり足を引き摺りながら歩いてきた。
「お母さん足がワルイの。でも助かりました。アリガトウゴザイマス」
うーんうーんうーん・・・・・・・・・わかったー!旅館まで送り届けてやるわあ!
お母さんの手を引っ張りながら道を行くと、分岐点から先は舗装路ではなく遊歩道で、しかも傾斜が無茶無茶きつい。ほとんど登山道だ。
「ちょっと待ってて、見てくる」
登山道を駆け上がると、そこに建物がありどんぴしゃ!
足の悪い年寄りには無理だ。大きく回る道は・・・見た所数百メートル大回りである。
戻って娘さんにその事を伝える。娘さん困ってしまった。
うーんうーんうーん・・・・・・よっしゃあー!俺が担いでったるわあ!
遊歩道の階段を、年寄りを肩に担いで登るのはしんどい。たった50メートルの距離なのだが、汗が噴き出してきた。もう限界という所で登り切り、そこが建物の入口であった。
「ちょっと待ってて、娘さん引っ張って来るから!」
中国語でしきりに恐縮するお母さんをガードレールにもたせ掛けてから、坂道を下る。娘さんは大きなキャリーバックを持っていて、登山道の途中で大奮闘である。
「荷物ちょうだい!」
とキャリーバッグを引ったくって駆け上がりお母さんの所に運ぶ。娘さんもようやく追いついた。
「ココデス。名前がアリマス。とてもとてもアリガトウゴザイマス」
何度も頭を下げる母と娘に照れくさくなったので、逃げるように離れてしまったのだが、今考えたら娘さんは結構美人だったので、写真ぐらい撮っておけばよかったなと後悔する(笑)。決して若い女性だから助けたのではない、という事をはっきりと言っておく。
桃源台に向かう県道を走りながら、あの娘さんは日本語話せたから出稼ぎかも。溜めたお金で親孝行で温泉旅行かもしれんなあ、などと考えてしまった。人それぞれ人生有りですなあ。
さて山を駆けていくと30分後に桃源台のロープウェー駅と遊覧船折り場の建物に出た。
ここで夕陽を見ながら休憩。
ここで白髪の夫婦のジョギングを見ました。凄いなあ、お年寄りで旅ランかあ。いやはや50の若造の私は脱帽です。
折り返して北側を見ますと、噴煙が上がっておるのを見ました。あの方向に火口があるのか。本日は噴煙のせいだと思いますが、ロープウェーの一部が休止しております。
さて帰り道は同じ道では面白くないので、別荘地の中の道をくねくねと行きました。静謐な森の中で気持ち良かったです。
が途中道に迷って10分ほどうろうろして、ようやくホテルの建物を見つけて帰ったのは2時間15分後でした。
12キロぐらいしか走ってないのですが、中国親子の道案内と、自分が迷路のような別荘地で迷ってしまったので、思いのほか時間を食ってしまった。
その晩はバイキング・・・このホテル(リカーブ)の飯は美味かった!結構食通の嫁さんが絶賛しておりました。確かに美味い。建物は古いけど飯は3つ星です。
疲れてたのでお爺ちゃん・嫁さん・私・息の4名は10時を待たずして轟沈した。
明日は、「ぐるっと富士山一周、青木ヶ原樹海で正拳突きをするオヤジ

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箱根5区に大興奮するT岡一族

2016年03月28日 19時38分39秒 | 旅ラン
3月26日 箱根5区に大興奮する家族

連休3連休などが中々取れないので、今まで一家揃って旅行をした事はあまり無い。息子の卒業and入学祝に、箱根に一泊旅行をしてきました。
一泊って・・・三連休は取れない(笑)。しくしく。
普通の旅行記なんぞ書いても全然面白くないので、そこらへんは適当に流します(笑)。
朝6時過ぎに出て新東名を東京方面に向かいます。途中の静岡SAでガンダムのショーウィンドーがあったので、パチリ!
反対側の下りSAにはガンダムショップがあります。聞いてはいましたが見るのは初めて。ガンダム世代としては嬉しいですな。
車窓から富士山が見えて、家族一同満足満足。

最初は御殿場から直接箱根に入る予定だったのですが、陸上競技部で駅伝やってた息子(ただし補欠)が、
「箱根駅伝のルートを見たい」
と希望を出したので、箱根をぐるりと回り込んで一旦小田原に出て、国道一号線から箱根に向かいます。
箱根湯本駅近くの小田急ロマンスカーである。もうこの時点で、
「5区かあ!ここから登りだー!」
「湯本駅前だあ!」
「ロマンスカーが並走しとるぞー!」
と家族は大興奮である。
ちなみに私・嫁・子供の3人はランナーなので当然大興奮。爺ちゃんもマラソン観戦は大好きなので興奮しております。
">「函嶺洞門だあああああー!」
「写真撮れえ!」
知らない人が聞いたら、「だから何?」ってなもんですが、駅伝の中継でいつも見ている私達にとっては、重要なポイントです
80年前に造られた落石防止洞門で重要文化財になっており、現在は迂回路が作られたので、今や通る事は出来ません。当然5区のルートも・・・いやもうやめておこう(笑)。ランナーなら知ってる事なので説明はパス。
「踏切だあ!」
「小涌谷踏切?」
踏切一つで興奮状態である。昔ここの線路で足をくじいたランナーが・・・やめておこう。ランナーは知ってるうんちくだ。
これはすれ違う猛スピードの車を撮ったものである。
まずほとんどの所で歩道が無い。路肩が全然無い。しかもテレビで見るより遥かに凄い急斜面である。
「こりゃあ、普段は走れんコースだわ」
気をつけないとバンバン飛ばす車に引っ掛けられてもおかしくは無いのだ。それほどすごいコース。
漫画家の喜国昌彦さんがこの5区のコースをジョギングして、その事を作品に書いておられたが、普通の人は危なくて出来ないと思います。
斜面のきつさはハンパではありません。大平台の急カーブは車のエンジンも悲鳴を上げてました。家族で一致した意見は・・・
「この傾斜を走る駅伝の選手は凄い!」
と思ったらランナーの集団を追い越しました。何?この人達?下から走って来たのか?
凄い!
どこかのランニングクラブさんでしょう。やっぱり真似して走ってる人はいました。脱帽です!
さて5区のゴール近くの駅伝博物館はパスしました。ユニフォームと各大学の幟を見ても面白くないので、箱根の関所を見学する事にしました。
関署で写真を撮ってると明らかに異様な服装の一団が・・・ランニングクラブさん達である。Tシャツ半パンで歩いとる(笑)。
観光地を見ているという事はマラニックですね。この人達以外も沢山のランニング集団マラニック集団を20組近く見ました。土日を利用してクラブで泊りで走りに来たのでしょう。
ランニングのブームは凄いですね。ちょっと車で走っただけで沢山おられました。首都圏の人って桁が違います。
さてホテルは仙石原にあるので、芦ノ湖畔を見ながら移動。チェックインまで時間があったので、嫁がかねてから行きたかったというポーラ美術館に行ってきました。
凄い豪華な建物で、あまりの上品さに私はびっくり。
退屈なのでお茶でも飲もうと併設のカフェに行き、コーヒーを頼んだら700円もしたのでびっくり!
しょんべんしたくてトイレに入ったら、便器のデザインにびっくり!
「ああ堪能した。どの美術品が良かった?」
と聞く嫁に、
まさか「便器のデザインが素晴らしい」とは言えず、黙って車に乗り込みホテルに向かったオヤジであった。

次回、「オヤジ、花粉症にもめげず箱根仙石原を走る!」

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うちの先祖は海賊(和寇)だったらしい

2016年01月08日 20時14分41秒 | 旅ラン
1月4日 実家の近くを走る

1月3日の新春矢作川マラソンを終わったその日、夕方から三重県志摩市の実家に帰りました。混雑を予想してたのですが、伊勢湾岸・東名阪自動車道・伊勢自動車道を避けて、節約も兼ねて伊勢湾をぐるりと囲む23号線で帰りました。休憩しながらだったのですが、4時間半で帰れました。
途中で四日市のコンビナートを通過するのですが、工場地帯は物凄い灯りでして、映画「ブレードランナー」の世界。このコンビナートはいづれは旅ランしてみたいなと思ってます。

さて翌日8時から、近くの海岸を走ってきました。いつもなら絶景ポイントがいくつもある熊野灘に面した太平洋側を走るのですが、今日は愛知県の渥美半島知多半島を眺める、伊良子水道側を走りました。

実家から国道を北上し、島茶屋(しまじゃや)という、昔から続いてる丘の上の茶屋から海岸を目指していきます。ちょうどここらへんが、旧阿児町と旧大王町との境になります。
現在ではお茶屋さんではなく、小さな駄菓子屋さんが有り、アイスとジュースを販売してます。夏場は結構皆さん足を止めておりますね。古くて風情があるので、近くのコンビニよりアイスは売れてるかもしれません。
畔名(あぜな)から海岸に向かう。ここは死んだ親父の在所です。ホントに小さな漁村。いつもなら北側に渥美半島が見えるのですが、本日は霞みがかって見えませんでした。
昨日以上にポカポカ陽気です。春みたいな気温なので、汗がダラダラです。
さて志摩の海岸線には、「近畿自然歩道」という自然路があるのですが、場所によっては表示が不確かで、土地勘の無い方は道に迷う事必定です。畔名から次の名田(なた)までは、小山の中を通るトレイルがあるのですが、表示が不確かなので行けませんでした。私も昔何度か通った事のがあるのですが、思い出せませんでした。

場所によっては手すりや階段が崩壊してる箇所もあります。作りっぱなしで手入れをあまりされてないようですね。もちろん使う人間もほとんどいません。だから文句も出ない(笑)。
えっ?私が言えばいいって?
元々自然路なんて「余程の所で無い限り、手すりなんぞいらん。階段なんぞいらん!」と普段から言ってる人間ですから(笑)。夏場に草刈りだけしてくれればよろしい。

隣の名田です。ここもホントに小さな集落。
浜まで出て漁師小屋から写真を撮ってると、おばちゃんに話しかけられた。
「観光のひとかえ?」
「波切から走って来たんやわ」
「なんや地元の人かいな。波切からって遠いやろう。よく走ってこれたなあ」
「正月は食い過ぎたんで、痩せんといかんやわ」
方言丸出しの会話である。基本的に三重県の南勢・伊勢志摩・中勢地方は、イントネーションは関西弁に近いです。単語がかなり独特なものがあります。
「あんたもテレビでやってる箱根みたいな走る選手かいなー」
・・・いえ(汗)・・・まあマラソンなんて知らん年寄からしたら、箱根の選手もマラソン大会でバカやってる人間も同じようなもんだろうなあ。
「テレビに映るようなのは知らんけど、田舎の小さなのには時々出とる。ほれ、春にスペイン村でマラソンやっとるやろう。昔出た事があるんやわ」
「ほおー、お兄さんも選手なんかあ。凄いわなあ」
この年寄りの頭の中は、「目の前にいるT岡=箱根のランナーと同じ」という図式に違いない。向うは日本でも上から数えて500人千人の人達。私は全国1千万をこえるランナーの下から数えた方が早い人間です。箱根のランナーとの間には、999万人がおります(笑)。
年寄の夢を壊すといけないので(説明するのがめんどくさいので)黙っておりました。
断崖絶壁の上に建つ大きな建物は、バブル期に建てられたリゾートマンションです。多分ガラガラだと思う。
再び海岸線から離れて丘を走り、最終の目的地・波切漁港を目指します。適度なアップダウンがあるので、汗が止まりません。正月なのでほとんど人もいません。
波切漁港をぐるりと回ってから、地元のお地蔵さんを参って来ました。有名な汗かき地蔵です。
江戸時代に漁師が海で網を引き揚げると、何とお地蔵さまが引き上がったそうです。
このお地蔵さんが白い汗をかくとめでたい事が起こり、黒い汗をかくと悪い事が起こるという言い伝えがあります。
波切に小学生時代に住んでおったのですが、毎年2月の終りに「地蔵祭り」が開催されて、街のメイン通りには出店がわんさか出ていたのを覚えております。
その隣の思案地蔵さまが祀られております。思案地蔵は江戸時代末に起きた「波切騒動」で亡くなった人々を供養するため,当時の仙遊寺の住職によって発意されたものです。
天保元年(1830)幕府直轄地の代官所への納入米を積んだ船が大王島沖で難破した。沖を漂流中の難破船を漁民が発見、船中の大量の「濡れ米」を持ち帰る。
翌年、役人が夜更けに覆面をして波切に取り調べに出張。里人は強盗と間違え役人一人を殺してしまいました。庄屋以下14人が江戸送りとなり、牢死し、475名の村民が罰せられた・・・。

というのが「波切騒動」という事件です。これは表向き。
「えー!難破船の米を持ちかえっただけで、14名の死罪って!」
と思いますが、これには裏がありまして・・・。
・・・・・・
漂到物を拾う習慣が古くから見られていたが、天保元年(1830)大きな問題を起こしたことがあった。
その年の10月、中国の御城米300石を1300石積の船に積み込み江戸へ下る途中、波切の村人達が、その米を奪い取り、船には石を積んで沈め、難破船の如く見せかけたのである。
鳥羽の郡奉行も印形をおして書類を大阪の奉行へ回し、船頭はさらに大阪で取調べをうけたのだが、はしなくも船頭の口から偽装難船であることが暴露された。それまで波切では毎年5、60艘の難破船があるのだが、本当の難破船というのはほんの5、6艘に過ぎず、後は船頭と馴れ合いの上の擬装難船であった。もしこれを船頭が承知しないときは残らず殺してしまったということである。
ところがそれまでの擬装難船は民間の荷を積んでいるものに限られていたので、荷主のほうもそういう不正をかぎわけることは難しかった。それが今度は御城米を取ろうというのである。庄屋の久右衛門は今まで公儀のものをとった例が無い。したがって危険も多い。もし露見でもすると命を失うような事になるから、今回は思いとどまった方がよかろうと村人を制止した。
しかし年寄りをはじめ村一統の者はこういうことをするのに公儀だからといって恐れるところはないではないかとて、久右衛門の制止を押し切ってことを決行したのである。ところが、村の中がよく結束していてこそ悪事も外へもれないが、村が二つに割れては、秘蜜がいつまで秘密のままでおれるはずは無い。伊勢の悪党どもがこれを聞いて10人ほどで党を作り、武士に化けて波切へ乗り込み吟味を始めた。島中の者はいろいろ陳弁したが許さず、江戸表へ召し捕ってゆこうとおどした。それをやっと100両ほど出して内密に許してもらったが、この役人は偽役人であり、事件は納まったわけではない。
悪党どもはこれに味を占めて、今度は顔ぶれを変えて乗り込み、住民達が、すでに吟味もあってことは住んでいるというのを『この方より外に公儀から役人を使わした事は無い。それはきっと偽者であろう。きっと吟味を遂げて、そのものどもを召し取るであろう』とまことしやかにだまして、又金を取って立ち去った。
こうたびたび金を取られてはさすがに村中も困り、骨折りも空しくなって何の益も無い事になるから、この後はたとえ公儀の役人でも、ことごとく打ち殺して海へ投げ込もうではないか、と申し合わせた。
そういうこととは知らず、代官所多羅尾の手代村上は足軽2人と2人を連れて波切へ乗り込んできたのであるが、ちょうど夜に入ってのことで、土地の様子のわからぬままに、民家の戸をたたいて庄屋の家へ案内を請うたが、知らぬと答えてろくに返事もしない。2、3軒をたずねたが皆同様なので、手代はおこってに家の男を叩かせると、家の男は『人殺しだ、助けてくれ』と大声で怒鳴った。すると村中は申し合わせのしてある事とて、太鼓鉦をならして集まってきて、足軽とを1人ずつたたき殺してしまった。手代は刀を抜いて大勢を相手に切り結んでいたが、力尽きて頭に2箇所、股に2箇所、その他にも傷を受けて、ほうほうの態で逃れて浜にうち倒れていた。そこへ村人がまた押しかけてきて海へ投げ入れようとしたが、手代は気丈の者で『お前達を城米を盗み、狼藉をしつつなお身をまっとうしようと思うのか。私は公儀から吟味に来たもので、元来米を盗み取ったのだから、米が別状なければ命にかかわる事はあるまい。頭取の者2、3人は罪はのがれがたいから遠島くらいにはなるだろう。しかし今私を殺してしまえば、皆死罪になってしまうであろう。私はいまさらいのちを惜しいとは思わないが、よくよく考えてみよ』といった。しかしいきり立っている者にはその言葉も耳に入らず、撃ち殺して海へ入れようとわめきたてるところを、年寄りのものが『露見したうえは頭取の流罪はやむを得まい、命にはかえられぬから助けてやれ』といって差し止めた。今一人生き残った足軽も村人に取り巻かれて命が危うくなったが、『罪を重ねて命を失うような事をするのは自業自得だ。はやく私を殺して罪を重くするがいい』と大声で叫んだので、皆ひるんで手を加える事ができなかった。
このことが鳥羽へ注進され、さらに藤堂家にも出陣を促し、3000人の武士が波切村を取り巻き、住民700人を召し取って取り調べのうえ関係のうすい300人は許し、残り400人は一応牢屋へつながれたのである。
こうしてそれぞれ罪名も決まり、多くの犠牲者を出して事件は落着するのであるが、これが偶然の出来事ではなく、慣習化された略奪のほんの露頭の一部に過ぎなかったことは、事件の進行の途中におけるいろいろの出来事でも察せられる。
「日本残酷物語第1部 貧しき人々のむれ」(平凡社)より
・・・・・・
とこれが真相(笑)。村全体で強奪と殺人を犯しておったらしい。うちの先祖様は略奪強盗犯だったのかあー!
元々が九鬼義隆という戦国時代の和寇(海賊)をしていた地域なので、江戸時代になっても同じような事を繰り返してらしい。うちの先祖様は人間のクズだったんだー。
200年前の事です。

ここから延々と続く緩い坂道を登り、実家に帰りました。ひいい、暑かったあ!
と約10キロ、1時間半の歴史の旅であった。

午後は別の所を旅ランしましたので、それは別記事で(笑)。

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伊勢神宮を走る

2015年08月19日 23時05分04秒 | 旅ラン
8月16日 その2 伊勢神宮を走る

午前中の続きです。昼前に愛知県に帰るために実家を出ました。
でもちょっと寄り道。受験の子供の為に、伊勢神宮で学業のお守りを買いたかったのです。
今更ながらですが、親に出来る事は神頼みしかない(笑)。
伊勢道路を出た所の伊勢市総合グラウンドに車を止めて、そこから市内の内宮・外宮を走ってみました。本日2度目のラン。果たして足は大丈夫か?
神宮専用の駐車場は大混雑しておりますが、少し離れた総合競技場の駐車場は結構空いております。そこに車を停めてジョグの格好をしました。カメラに小銭・ペットボトルホルダー、これで内宮と外宮さんを回る予定です。
陸上競技場では、トラックを使って市民の記録会をしておりました。私もジョギングシューズだったので、参加者と間違われて入口の関係者から記録会の案内をいただいてしまいました(笑)。すんません!
五十鈴川の橋を渡っておはらい町通りに入る。五十鈴川は多分日本で一番綺麗な名前の川だと思う。実際に水質も良くて、人家のある下流はともかく、神宮のある中流、ほとんど人家が無く神宮領である上流は、ものすごくきれいです。
おはらい町通りはまだ空いておりましたので、てくてく走っておりました。
普通の民家を通り過ぎると観光地特有の数奇屋造りの土産物屋が出たー!
おかげ横丁に入口です。ここから内宮さんの入り口までは観光客が多くて走れません。仕方がないので流れに沿って内宮さんに向かう。
両サイドでいろんな物が販売されておりますが、結構値段が高いのです。干物なんて波切漁港で買う値段の3倍近くします。伊勢うどんが750円って高い!市内のうどん屋では350円で食べれますよ。でも仕方がないかもしれません。商売商売!
内宮さんの入り口に架かる橋の手前です。アジアの言葉が飛び交っております。海外からの観光客が多いですねえ。外国の人も神宮なんかに来るんだ。ちとびっくりしました。
内宮の通路はやたら広いのですが、もちろん神域を走るわけにはまいりませぬ。走ったら罰当たりです。
奥の宮殿です。外からしか写真撮れません。中は撮影禁止。柏手を打って拝礼し、家族の無事を祈る。賽銭100円(←もっと出せよ)。
お守りの販売所があったので、「学業のお守り」を1個買う。お守りがいらない位、頭が良ければ良いのですが、現実には神頼みです(笑)。
廻りに合わせてゆっくり動いたので、久しぶりに内宮のあちこちを見る事が出来ました。久しぶりにパワースポットにて充電させてもらいました。
私はもともと宗教とか精神科学とか全然受けつけ無い性格なのですが、子供の頃から時々来る伊勢神宮だけは別格です。ここに来るとストーンと何かが落ちるように感じます。

さて内宮を出て入り繰り前のロータリーから、御幸道路を通って走ります。この通りも古いです。江戸時代からある通りです。
途中の祖霊廟から古い井戸の奥へ繋がるほそい道を行く。この道は鼓ヶ岳という伊勢市市街地の南側にある300mの急な山に登る道です。15年ほど前に走って登った記憶があります。確か記憶では30分ほどで登れたので、今回も久しぶりに登ってみよう。
がこんな表示が(笑)。神宮領なので登れん。昔と違って厳しいです。
伊勢市の半分近くを占める神宮領には、野生のシカも沢山います。私も何度か見た事があります。
市街地を走る御木本道路をてくてくと走って行きます。伊勢自動車道の高架をくぐり、暑い中を観光客の車を横目にLSD。暑いなあ~。
内宮から5kmちょっとで外宮に到着!ようやく折り返し地点ですが、ここで外宮内を散歩。
外宮さんも結構観光客が多かった。天気も曇ってきましたが木陰が涼しい~!ここでもパワーを充電。30分ほどあちこちを参拝してうろうろしておりました。
外宮から内宮へ戻るのに、古市街道を行きました。江戸時代に使われていた外宮~内宮を結ぶ旧道です。この道は一見普通の住宅地を通ってる道なのですが、あちこちに旧跡が残っております。
途中の効果で赤い伊勢志摩ライナーを観ました。初めてです。

へえー、芝居小屋の跡地なんだあ。「人が集まる所に文化が発生する」とはこういう事なんですねえ。
ここは古い参拝者向けの旅館跡地です。細い路地に入り組んでおります。お参り客用の古い旅館です。麻吉旅館と言いまして、創業から二百年経っており、文化財に指定されております。
街道沿いには小さなお寺や神社も沢山あります。写真の長峰神社は、神楽を舞った芸能の神、天細女命が祭られています。普段は参拝者も少なくひっそりとしています。今日は地元の小さな盆踊り会場です。こういうのってほのぼのするなあ。
この街道は数年前に走った事があるのですが、残念ながらその当時は走るのに専念しておったので、景色など見る気持ちが少なく、こういう記憶がほとんどありません。景色を見ながら走り始めたのはここ数年の事です。

この時点でぽつぽつ雨が降ってきました。曇ってきたので急に涼しくなってきております。真夏日は10kmを超えるとばてるのですが、今日はそんな事はありません。快調に進んでおります。もう夏は終りなんですねえ。
古市の資料館の案内版です。資料館は無料だったのですが、全身汗だくでぐちゃぐちゃだったので、ちと遠慮しました。
この案内によると、この通りには芝居小屋・遊女や女郎屋などが軒を連ねていたそうです。ほうぼうに跡が残ってます。
巨大常夜灯です。写真ではわかりにくいのですが、高さがそれぞれ5~6mあります。
行きに素通りした内宮近くの猿田彦神社に戻りました。
昔々の26年前、私が大学生で親父が生きていた頃に、親父・お袋と3人でここでお祓いを受けた事があります。
当時志摩で小さなホテルを経営していた親父は、事業拡張でレストランを出したんですけど、これが見事に大失敗。たった2年で店を閉めました。閉めた直後にお祓いを受けた事を覚えてます。
その1か月後に、莫大な借金を残して親父が死んだ(笑)。
ぐわー!5万円もお祓いのお金出したのに、何の効果も無かったやんかー!
その後、親父の赤字だらけの会社と借金を整理するのに半年かかりました。えらい苦労させられた。

最近ようやくあの当時の事を、冷静に振り返れるようになってきました。
当時の会社整理の期間中、寄ってくる人間は欲のかたまりばかり。特に親父の親族の欲深さはひどいもんでした。表面上は良い事ばかり言いながら近づいてきて、まるでハゲタカみたいでした。幸いな事に借金も権利も会社も手放すと同時に、欲深オジサンおばさん達は、すっといなくなりました(笑)。そりゃあ見事なもんですわ。今では全然付き合いもありません。付き合いのあるのはオフクロの親戚だけです。
私の宗教不信・理念や綺麗事に対する疑り深さは、ここが原点です(笑)。

普段から綺麗事を公言してる人間ほど、いざという時に欲に流されますねえ。ホントにそんな人間ばかりでした。10人の中で流されないのはせいぜい2~3人ぐらい。私も流されないように他山の石としたいです。

綺麗事と言えば前の空手の流派も綺麗事ばっかしだったな。ただし真面目な先生方が多かったのも事実で、あのとんでもない事件の後に、「先生」「指導者」とかいう地位を捨てて辞めてしまった人が7割ぐらいいました。皆嫌気がさしてしまった(笑)。
7割という数字は、当時の先生方の大半が欲に流されない人であるという証明でもあり、その人達の真面目さを示してると思います。
逆に事件に目をつむって残ってる指導者も3割方いるわけで(笑)・・・まあ残るのは個人の自由なんだけど、辞めた人間からすれば、「先生」「指導者」という肩書に未練がある人達であると、思われても仕方がないかもしれません。

話が外れてしまいました。そういうトラウマをブツブツと考えながら走ってました。
おそらく私が精神分析を受けると、ある部分で非常に特異な人格が出ると思います。普段は普通の人と変わりないと思いますが、やはり経験からくるトラウマに近い所では、少し変わってるというか異常な所があるのでは・・・。
こういう部分が伸びて行って、抑えが利かなくなる位になった時、人は皆犯罪者や社会的不適格者になるんでしょうか。
幸いにして犯罪に走ることなく(笑)、モラルに反する事無く、他人様にほとんど迷惑をかけずに生きてきましたが(嫁さんには迷惑かけてると思う・・・)、内に秘めたる異常性というものは、自分でも自覚しており、誰もが大なり小なりあるのででしょう。

先日のブログにて、「9条ババア」と書きましたが、知り合いにも9条を支持してる人が沢山おります。ですから9条を支持してる人が全員嫌い!というのではありません。
正確に言うと「9条を他人に押し付ける」人が嫌いなのです。9条に興味が無い・9条に反対する人を、まるで悪人のように非難する人が大嫌い。
「自分の正義を他人に押し付ける」人が一番嫌いなのです
これは右も左も関係ありません。
ヘイトスピーチする人と、9条に反対する人をボロクソに言う人は、同じ穴のむじなです。
「自分の考えと異なる人を、人間扱いしない」・・・これが差別を生み、異民族を虐殺し、戦争への入り口だと思ってます。

また話が外れてしまった(笑)。
小雨の降る中、陸上競技場に戻りました。

歴史のある古い街中を走るのって、凄く面白いですねえ。いつか京都を走ってみたいなあと思います。あそこは歴史の積み重ねが凄いから、走るより歩く方がいいかもしれない。
こんなコースです。ほぼ伊勢市内を横断しております。本日の神宮ランは、およそ15km。

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萌えキャラ「碧志摩メグ」

2015年08月17日 19時57分19秒 | 旅ラン
8月16日 志摩大王崎を走る

実家に帰った翌日は、朝7時半から実家の廻りを走ってみました。うちの実家は典型的な観光地であります。
家を出て東にある港や灯台に向かって走っていきます。途中国道から外れて、ごちゃごちゃした街中を走ります。写真は私が通った波切小学校の相撲場土俵。
今は知りませんが昔は相撲が盛んな地域で、中学校にも相撲部があり全国優勝した事もあります。その時は町内をパレードしまして私も観に行きました。45年前だったかなあ。
今は少子化で当時の生徒数の1/3です。一学年一クラスしかありません。
土俵もあまり使われた形跡がありません。寂しいですねえ。
1kmほど行くと海岸に出ました。陽が出て眩しい。海だけど風が無く全然涼しくない。
灯台にある高台に駈け上がっていきます。汗がダラダラ。写真は途中の展望台から撮ったもの。朝が早いので観光客は全然居ません。
灯台の真下から撮りました。ここで休憩。
志摩市は人口5万5千。10年前に合併しました。それまでは志摩郡の5町に別れておりました。実家があるのは旧大王町でして人口は8千人。家屋の2割が廃屋という過疎の町です。
もちろん年寄りばかりなので、ジョギングしてる人なんて見かけた事がありません。走ってる私を見て、ずれ違う年寄り連中は、ポカンとして見ております(笑)。
先島の波切神社です。ここでは色んな事で御世話になっております。賽銭を上げてパチリ。
神社内の鯨石です。取れたクジラの胃袋から出た石です。これホント。
港に行くと、何軒かの干物屋さんが商品を並べておりました。出来たての干物が安いので、お立ち寄りの方は是非波切漁港の干物をよろしくお願いします。
港を出た後は、地元で過ごした小学校時代を思い出しながら、あちこちを走りまわっておりました。

先日ネットで調べてのですが、志摩地方も遅まきながらゆるキャラと萌えキャラを作って、PRしております。ゆるキャラは「しまこさん」といってちと気持ち悪いのですが(笑)、萌えキャラはネットで評判が良い。
これが志摩観光協会のホームページなんですわ。萌えキャラの名前は「碧志摩メグ」。こりゃあ受けるなあ。
ところが地元の婦人団体と思しき人達から、いちゃもんが付いた。卑猥であると。
・・・うーむどうやら婦人運動をしてる人達からすると卑猥らしいのだ。さっぱり理由がわからん。別にええやんか。
よくわからんが署名までしてるという。でも観光協会や市は完全無視してるらしい(笑)。
まあどこにもいちゃもん付ける市民運動家というのがいるからなあ。
口の悪い私は、このいちゃもんを付けてる市民運動家の婦人たちを、「市民ババア」と呼んでおります。この市民ババアってのは、日本全国あちこちに出るんだ(笑)。それの行きつく先が「9条ババア」です(笑)。
志摩市の市民ババアさん達よ。こんな下らん事に「卑猥だ」なんていちゃもん付けるより、市内にある売春島(渡鹿野島)を何とかしなあかんのと違うの?公然と売春をしてる観光地があるというのは恥ずかしいと思うけど、そっちの方が大問題と違うの?

という訳で、またもや真面目な人達に嫌われる事を書いてしまいました(笑)。わはははー!
家に帰ってシャワーを浴びて、オカンと別れて愛知に帰りました。途中で伊勢神宮へ寄ったけど、それはまた別の記事で。
本日の午前中のランは、7km約1時間のマラニックでした。気持ち良かったー!
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先進国首脳会議・サミット会場を走ってみた

2015年08月16日 23時31分09秒 | 旅ラン
8月15日 先進国首脳会議・サミット会場を走る

15~16日は実家に帰っております。私の実家は三重県の志摩市です。
風光明美な限界集落です(笑)。というのは冗談で(一部ある)。
実家に帰る途中、近くの賢島という小さな島を走ってみました。そう、来年の先進国首脳会議・サミットの開催場所なのだ。
志摩市の中心部にある阿児町の阿児アリーナ公園に車を停めました。懐かしい公園です。嫁さんが近くのイオンで買い物をしてる時、子供と遊んでた公園です。10年前とちっとも変らん。
そこの公園の入り口の掲示のぼりもサミットが。市役所・駅・銀行・商店街はバンバンあるらしいです。
ここから国道に出て南下し、賢島を目指します。
さてサミット会場の志摩市賢島とは・・・ウィキより
英虞湾に浮かぶ島で最大の面積(約0.6814km2、周囲7.3km)があり、本州との間は最近部で10m未満である。近鉄志摩線が本州から島内に入り込み、島中央部に終点賢島駅がある。島内には、志摩マリンランド、志摩観光ホテル・賢島宝生苑などのレジャー施設、賢島港などがある。このほか、大手企業の保養施設も島内には点在している。人口は126人。
写真の左側が賢島で、真ん中の建物が会場となる志摩観光ホテル。通称「しまかん」である。しまかんについては、後ほど詳しく書きます。
賢島に架かる2つの橋の一つ、「賢島橋」から見た光景。綺麗ですなあ。小さな島で、橋が2本しかありません。橋を封鎖してしまえば警備は非常に容易です。観光施設・宿泊施設はいっぱいあるのですが、他の地域から皆さん通って来られております。
近鉄沿いの国道を走って、駅の手前の踏切を渡り港に行く。写真は唯一の商店街です。こんなしょぼい商店街にも、アメリカ大統領が来るのであろうか(笑)。
やはりあちこちに幟が立っております。
その奥には離島への定期船乗り場と、観光船「エスぺランサ号」乗り場があります。まあまあカッコいい船ですね。名古屋港にある金のシャチほこ号や、白鳥の形の観光船よりはずっといい(笑)。
港をぐるっと回って駅に戻る。賢島駅は志摩線の終着駅なので、5ホームあります。なんと新型車両しまかぜが2編成もおった!
という事で急遽駅中心部に走り、写真をパチリ!ホーム内では乗客がカメラで写しておりました。人気者です。
駅から北上して水族館「マリンランド」前です。私が小学生時代に出来た水族館で、45年近く経っております。この古い水族館も、おそらくリニューアルするかもしれません。少なくともペンキなどの化粧工事はするでしょうね。
もう一つの橋、賢島大橋から見た真珠養殖のいかだです。
これがサミット会場の志摩観光ホテル、地元民は「しまかん」と呼んでます。
皇族の方々が伊勢神宮に来られた時のホテルです。いわゆる宮内庁御用達というもの。
「・・・海に突き出た志摩観光ホテルのダイニングルームも、この数分間は、窓際に座った人影が紅いシルエットに縁取られ、夕日が沈むにつれ、その紅い縁取りが次第に淡くなり・・・」
山豊子著「華麗なる一族」の最初の部分である。主人公一族が食事をする超有名なシーン。
関西財界御用達でもあるホテル。
ふざけた事に、うちの嫁は「ここでディナーを食べたい」と言っております。
ついでに、「あんたの稼ぎでは無理だ」とも言っております。
私は、「金があっても、愛知の田舎の素性もよくわからん女が、入れるわけがない」と言い返しております。
ここに出入りされる人達から見れば、六本木ヒルズなんぞハナクソであります(笑)。
西の県道廻りで帰ろうとしたのですが、写真のようにあちこちの企業保養所がクモの巣のように入り組んでおり、道に迷いました(笑)。俺はホントに地元民か。
これから1年近く、建築屋・植木屋・工事屋・布団屋・人材派遣・警備会社・・・ありとあらゆる業種の人達がてんてこ舞いになると思います。志摩市だけでは調達は無理なので、三重県全域から動員されるでしょう。志摩市や伊勢志摩では、安部内閣の支持率は非常に高いです(笑)。
「理念よりも現実」
あー書いちゃったよ。こんな事書くと、理念が好きな脳内麻薬お花畑の人達から嫌われるだろうな(笑)。
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波切大王を走る(ジョギング編)

2015年01月12日 23時52分11秒 | 旅ラン
1月11日 実家近くを親子ラン

昨日土曜日、仕事を終わってから、子供と一緒に伊勢志摩の実家に帰りました。
晩飯を食って夜の9時に家を出て、夜中の1時に到着。
さて車中では寝てはいけないので、コンビニにてお菓子とジュースを大量購入し、運転しながらポリポリバリバリ食っておりました。
「いかんなあ、減量中なのに。でも居眠り運転よりは・・・」
と言い訳。
実家に帰ってオカンの晩飯を断りきれずに食う。ぐあああああ~太る~!

10時から子供と一緒に実家の観光地を走りました。久しぶりに親子で走ります。昨日の食い過ぎ分を消費せんとあかん。
もちろん陸上部の息子は、ガンガン走ろうとしますが、
「今日は観光ランだから、真面目に走るなー!遅い俺に合わせて走れ」
と言ってある。はたして息子はオヤジを置いてけぼりにするか?
まずは集落を港まで抜けるコース。リアス式海岸特有の、海から小山や丘がすぐにある地形なので、集落も狭い場所に密集し、家と家の間の道も細いです。昔の自動車が無かった頃の家がいっぱい。自動車があっても、坂は石畳みなので当然使えません。
その為若い世代は港街から離れた国道に近い広い所に家を建てるので、旧街はゴーストタウンとなっております。3軒に1軒は廃屋らしい。
ここら辺は複雑な谷筋や斜面に、家が密集してる地区なので、屋根瓦がいろんな方向を向いており、昔から写生をするために、大阪や名古屋から沢山の絵描きさんが来られています。確か私の出身高校の美術部も、ここに夏合宿で来て絵を描いておりましたっけ。
いくつもの石畳みの階段を下りて港に出る。
この港は昔はそれなりに栄えていたのですが、今や漁船の数も少なくなり、埠頭には空いたスペースがかなり見受けられるようになりました。漁業もやはり輸入物に押されております。漁港の奥には観光名所でもある干物屋さんが軒を連ねており、買い求める観光客がおりましたが、昔に比べて減少しております。

街の先端にある小山の堤防に行ってみると、そこは釣り師たちがいっぱいいました。他県より来た釣り師よりも地元の釣り師が多いで、皆さん原付で格好もラフです。大抵のオジサンが首にタオル巻いてる(笑)。
写真は堤防先端の票路灯台とうちの子供。
標高40mの山を駆けあがって、太平洋に突き出た小山の公園に駆け上がってみた。
見てください、この絶景!今日は霞んでおりますが、かすかに神島の向こうに愛知県の知多半島・渥美半島の丘陵地帯が見えます。天気が良ければ富士山も時々見えます。私も子供の時に何度か見た事があります。
公園から樹海の歩道を通って波切神社へ。ここで賽銭を上げて参拝。
祈る事はもちろん・・・「世界征服!」・・・嘘ぴょん。
階段を駆け下りて浜に出て、そこから仰ぎ見た大王崎灯台です。外洋航路向けの断崖絶壁にそびえ立つ大型灯台で、観光客が沢山訪れる施設ですが、400円かかるので諦めました(笑)。
これも反対側から見た灯台です。人がいると思ったら・・・銅像でした(笑)。
「絵描きの像」らしいのですが、何故かおみくじが結び付けられておりました。何で?
絵描きの像がある展望公園から、西側を見た景色です。左側の先端である志摩町麦崎まで走る予定をしております。
お土産物屋さんがひしめく坂道を降りるが、半分は空き家でした。過疎の村ですねえ。
ここからは海岸の断崖を走る道に沿ってアップダウンを繰り返します。風が強くて汗はすぐに乾きます。
もう景色が良くて最高!気温も高めで気持ちいいです。小学校から横道にそれて共同墓地で墓参り。死んだ爺ちゃん婆ちゃん親父のお墓に参ってきた。

ここからは近畿自然歩道というコースで、米子の浜という絶景の遊歩道を行く。
が絶景だったが遊歩道は崩壊しており、こんな状態であった。
もうボロボロですね(笑)。2年前に走った時はここまで酷くは無かったのですが・・・箱物作って手入れをせず・・・ですわ。普通のトレイルで良いものを、レンガなんて使うからこうなる(笑)。
企業でも余計な施設や物を作ると、メンテナンスが大変です。メンテナンスコストが発生するものはなるべく作らない方が良いのです。作るならメンテナンスフリーでないと維持できません。
お役所とか公務員とかは、そういう発想が無いのでしょうか?

手すりです。はっきり言ってこんなモノいらん。無駄な物作って朽ちてる。
森の中から見た米子の浜です。ここが一番のお気に入りの風景。
誰もいない穴場です。ここから林道を通って国道に出てから、隣の集落である船越の浜目指して走る。途中に遊歩道の看板があった。
「何これ?初めて見た。よおし降りてみよう」
と断崖絶壁の細い道を恐々降りてみたら、綺麗な海岸であった。
手つかずの自然です。うちの田舎にはこういう所が有ります。でも崖の細い道を降りていかなければいけないので、多分物好きしか来ないと思う。わしも高所恐怖症なので二度と来ない(笑)。
国道を降りて船越集落の前浜。太陽がまぶしいくらい綺麗。
しばらくして「近畿自然歩道」の表示があり、大きな湿地帯を回るコースがあります。ここは「大野池」と言って海の川の水が注ぎ込む手前の沼があり、淡水と海水が混ざっております。
結構広い沼でして、海女さんお小屋がある小さな海岸に出てそこから先が・・・無い!10年前に何度か走った記憶を探しても、途中からぼうぼうの草で覆われていて、遊歩道自体が崩壊しておりました。
写真は海岸を遊歩道を探してうろうろする子供。どこだあ!他に道はないのかあ!
うーむここも手入れされてへん。
「仕方がない。引き返すかあ」
これには私も子供もブチブチと怒る。ってのは、途中でも立派な看板があるにもかかわらず、行けないのは管理者の責任ですよ、これ。
1.5kmを再び戻る・・・これで気持ちが切れてしまいました。
深谷水道です。と言っても水道ではなく水路の事。元々陸地だったところに水路を設け、英虞湾と太平洋を結びつけた運河です。
気持ちの切れてしまった親子は、志摩町の入り口のコンビニで水分補給し、船越の集落を突っ切って実家に帰りました。
約2時間半、16kmのプチ旅ラン。
「お父さん面白かったねえ」
陸上部で決まった練習コースを、毎日死に物狂いで走ってる子供にとって、こういう走り方は初めてで面白かったそうです。
その後、婆さんを誘って近くのホテルの温泉に行き、たっぷりと浸かってきた。
先程のコストを考えない・メンテナンスを考えない「近畿自然歩道」について、思った事を書かせてもらったが、その最たるものが本日行ったホテル温泉施設「アクアヴィラ伊勢志摩」である。

こんな外観(近鉄ホームページより)。
現在は近鉄が買い取って経営してますが、元々簡保の宿の超豪華版ホテルで、約20年前に建設されたもの。毎年莫大な赤字を垂れ流して、小泉内閣当時の郵政民営化でその後近鉄に売却されました。
簡易保険で金を集めてどぶに捨てた典型例(笑)。何百億捨てたのかなあ。

とにかく「旅ラン」は面白い!いつも同じコースを走るってのは、私の性に合いませぬ。
いろんなあっちこっちを走ってみたい!

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近鉄湯の山線を走る

2013年08月13日 02時59分25秒 | 旅ラン
8月12日 月曜日 近鉄湯の山線ラン

昨日仕事後に車を飛ばして三重県の実家に帰りました。
で朝から用事を済まそうとしたのですが、時間が空いた。
「よし!御在所に登るべえ!」と考えて、車を湯の山温泉方面に向けたのですが・・・四日市から湯の山に行く国道が大渋滞!動かん!
のろのろ・・・登山口まで15kmなのに何時間かかるんや?
てな訳で、急遽某量販店の駐車場に車を停めて、ジョギングに変更した。

国道に並行して近鉄湯の山線が走ってます。終点の湯の山温泉駅まで線路沿いを往復12kmほど走った。
しかし凄い渋滞だなー。走ってると、渋滞車列の家族連れから見られる見られる(笑)。確かにこんな暑い中、走ってるやつは珍しいでしょうね。
出発は桜町駅付近で国道沿いを行く。が気温の高さと渋滞の排ガスで、急遽線路沿いの脇道に逸れる。
田舎の道で気持ちが良い・・・ってこの暑さは尋常じゃない。最初のペットボトルは20分もたなかった。
菰野駅を過ぎ、中菰野駅を過ぎ・・・写真をパチリ。
大羽根園駅を過ぎて国道に合流し、ゆるい登りで湯の山温泉駅に着いた。
ロータリーのタクシー運ちゃん達の視線が突き刺さる・・・快感(笑)。

道路は渋滞なのに、駅前は誰もおらん。やはり炎天下には出てくる人はいないのか?
しっかしこの炎天下で走る奴ってバカだよな・・・って思って、家に帰ってリンク先のマラソンランナーブログをチェックしたら、30km・24km・3時間走・・・そんな奴らばっかりであった。
俺以上のバカがいっぱいいた(笑)。

帰りは緩やかな下り坂なので楽であった。
往復1時間40分12kmの、旅先でのRUNでした。知らない街を走る旅ランって楽しいねー!日本全国いろんなとこを走ってみたい。

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ホノルルマラソンに出ます(3年後) 宣言

2013年05月15日 07時01分15秒 | 旅ラン
5月9日 ハワイ最終日 
3時半に起きた。ホテルは静まり返っており、通りを歩く者はいない。
手早く洗顔し、持物を確かめてホテルを出る。
昨晩ホテルのパソコンからプリントした、ホノルルマラソンの地図を見ながら走る。
今日の目的は、ホノルルマラソンのコースを、ざっと辿ってみようと思ってます。西側のコースはほぼ走ったので、東側の折り返しまで行けたら行きたい。
通りは明かりが着いているものの、昼間に比べて人が少ない。ワイキキ近くでも浮浪者が多い。
ビーチを離れると、誰もいなくなった。私一人黙々と走ってます。ダイアモンドヘッドのサーファーもいない。
風も全然ありません。ひたすらマイペースで走ってます。
道からは何も見えんかった。写真も撮らんかった。ダイアモンドヘッドの周回道路を行くと、北側の山にある高級別荘地の夜景が見えた!
めっちゃ綺麗!
「よっしゃあ!写真じゃあ!」
だああああっ!何じゃこの写真はー!
すいません。昨日の良い写真を撮ったオヤジの天狗の鼻は、見事へし折られました。ちゃららさんの何倍も下手くそになってしまった。

周回道路を右折し、北側の住宅地を進んで行きます。
アメリカの住宅地の道路って広いんだなあ。日本だったら確実に4車線だよ。それを2車線しか使ってない。
日本と全然違うなあ。
一例を上げると、名古屋市の郊外緑区の南部は、1960年代に開発された住宅地です。1年ほど営業でこの地区を回ったことがありましたが、それはえげつない。
一軒家で敷地が20坪、建坪15坪・・・なにこれ?車1台のスペース。畳半分の庭。こんな家がぎっしり。一生働いてこれかー。
ちなみに我が家は敷地300坪、建坪は120坪。典型的な田舎の農家です。それでもアメリカの郊外の住宅地にはかないません。
走りながら大学時代に習った講義を思い出した。
・・・日本は高度成長期に、生活圏に対してのインフラ投資をほとんどせず、もっぱら産業面でのインフラ投資しかしてこなかった・・・その結果が、ウサギ小屋のマイホームである・・・
国民の生活を犠牲にして産業は発展し、経済大国になった。犠牲になった世代たちは、犠牲とは気が付かずに、ノスタルジックに過去を回顧し褒め称えるのである。
その典型的な番組が、NHKの「プロジェクトX」(笑)。
皆さんはこの番組を見たことがありますか?
会社の研究所に3ヵ月も泊まり込み、研究したとか。そんな話がゴロゴロ。
表面の美談に隠れて、おそらく過労死がゴロゴロあったと推測します。でもそれをリアルタイムで体験した人は、まあ一種の洗脳状態にあるわけで、懐かしんでしまうんでしょうね。
自分の作った会社や高度成長を自慢するのではなく、豊かな生活・家族を作ってそれを自慢してほしかった。
だから私は、「プロジェクトX」を見ると、複雑な思いがするのです。捻くれてます(笑)。
走ってるといろんな事を考えますね。

住宅地を走り、何度か曲がってフリーウェイ(高速道路)に達した。実際のホノルルマラソンは、このフリーウェイを通って行きます。が今回のオヤジは、高速道路を走るわけにはいかないので、ここで無念の折り返し。ホテルから1時間40分、15kmの地点であった。
折り返したのは良いが・・・道に迷った(笑)。
夜なので東西南北がわからん。うわああどないしょ!
多分こっちではないか?
いやこっちか?
あちこちを10分ほどうろうろ。
その時夜が少しずつ白々と明けて来た。って事はあっちが東だ!
南のダイアモンドヘッドはこっちだ。
という事で無事高級住宅地の迷路から脱出、元の展望スペースに。
今日は雲が出ているので、日の出はこんなんでした。
本日の走行距離は、3時間半約30km。
ハワイでの走行距離は、累積76kmに達した。我ながらアホだと思う。

帰りの飛行機で考えた。
今まで、
「ホノルルマラソンに出たい!」「東京マラソンに出たい!」
というランナー達の声に対して、
「けっ!ミーハーな!」
と思ってました(皆さんごめんなさい)。

所が偶然にもホノルルマラソンのコースを、試走する事によって、考えを改めました。
「こりゃあ、良いコースだわ」
とにかく景色は絶品です。このコースに匹敵する絶景のん日本の大会は、少ないかもしれません。少なくとも私が出た東海地方の大会は、ほとんど負けた(笑)。
絶景のコース + 異国の情緒 + 初心者でも楽しめる + 家族旅行に最適・・・こりゃあ人気が出るの当然です。私に関して言えば、美女による目の保養が(笑)。
今まで家族を海外に連れて行った事などありません。仕事仕事で国内旅行も無い。
皆すまんのう。お父ちゃんは反省してる。
幸にしてうちの家族は、お爺ちゃんを除いて、全員マラソンランナーです。今年は無理としても、2~3年中には家族でホノルルマラソンに出たい!

家に帰って嫁に相談しました。嫁も大賛成です。
応援のお爺ちゃんも連れて行くとして、4人で100万かかります。が我が家にはそんな余裕がありません。
3年計画で貯めます(笑)。3年後は子供も高校1年なので、受験ではありません。
無駄遣い出来んなあ。

3年後、ホノルルマラソンに出ます!と宣言する。当然仮装で(笑)

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ホノルルを走るオヤジ その2

2013年05月14日 01時11分45秒 | 旅ラン
5月7~8日(?) ハワイにて
さてさて2日目は団体行動があるので、朝ランをした。
朝5時に起きて、ダイアモンドヘッドに行って、朝日を見るつもりであったが、寝坊した(笑)。
ホテルを出たのは、6時半であった。すでに明るい。

昨日と同じコースを走る。
ホテルを出て、ワイキキビーチ沿いの遊歩道をジョグ。観光客はほとんどおらず、朝の散歩とランナーしかいない。
昨日以上に気持ちの余裕が出てきたので、走りながらランナーを観察する。

昨日のブログにも書いたのだが、まずは太ったオジサン・お姉さん。
医者から、
「あんた、このまま行くと糖尿になるよ!」
と脅されたと想像できるような方たち(笑)。
巨体が揺れてます。足首か膝を痛めるかも・・・と思わせるぐらい。
始めてから日が浅いのでしょう。フォームなんてモノではありません。ぐちゃぐちゃ。
ウェアも普通のTシャツが多く、スポーツ用ではありません。

その次は、私とよく似た体形の筋肉オヤジ。しかもガンガン飛ばしてます。ありゃあすぐばてるぞ。距離も短いのでしょう。5キロぐらいか。
格好は、下はショートパンツ、上はタンクトップか裸(笑)。さすがはハワイ、裸でも注意されません。
女の人は、スポーツブラにショートパンツです。胸の大きい人が多く、揺れるので目のやり場に困ります(笑)。
フォームは・・・はっきり言ってあまりきれいじゃありません。上下の揺れが大きく、頭が上がったり下がったり。でもパワーで走り切っちゃうんだろうなあ。
このタイプの方は、ほとんどの方が音楽聞きながら走ってました。皆iPodみたい。頭に直接装着するウォークマンタイプはほとんどいません。

その他ごく少数の走り込んでるタイプがいました。このタイプの格好は万国共通です(笑)。「なんとかMARATHON」というプリントTシャツ。キャップ帽・ナイキかアシックスのシューズ。
で体型もスリム(笑)。しかも無茶速い。
白人さんに多かったです。

ダイアモンドヘッドをめぐる坂道は、びっしり駐車。皆サーファーです。
先端の展望スペースで屈伸して写真を撮ってたら、白人のオッサンランナーに声を掛けられました。どうやら私が着ているマラソン大会のTシャツを見て、興味を持ったらしい。
さて私はこのオジサンと3分ほど会話したのだが、会話と呼べるものではない事を、あらかじめ記しておく。何度も聞き直し、単語の羅列で答えた(笑)。
「お前のTシャツ、なあに?」と白人オヤジ。
・・・すまん、英語で書けん。単語を聞き取って、おそらくこんなんやろかと思って日本語で書いてます・・・
「私日本人旅行者。これはマイカントリーのマラソン」・・・えーと大会ってどう言うんだっけ?その時着てたのは、つい最近出た「かがみはらシティマラソン」のTシャツ(笑)。
「お前は、ホノルルマラソン出るのか?(or出たことがあるのか)」、多分どっちかだと思う。
・・・えーと出たいってどう言うんだっけ、あいうぉんちゅ・・・あー忘れた。
「イエスイエス、あいうぉんちゅ Take ホノルルマラソン」
これで合ってたかあ!
何とか通じたらしい。オジサンはニコニコして私の肩を叩き、おそらくこう言ったであろう。
「ペラペラ・・・そこで会いましょう・・・」
だったと思う。
「Nice talking to you」
高校時代に習った唯一覚えているフレーズで、サヨナラしました。
あー汗びっしょりかいたー!緊張したー!
別れてから気が付いた。写真撮り忘れた(笑)。

朝の海がきれいだったので、昨日のようにダイアモンドヘッド1周はせず、そのまま折り返した。

公園の近くで休憩取ってると、10人ぐらいの中国人観光客に呼び止められ、道を聞かれた(らしい)。らしいと書いたのは、中国語で聞かれたのでちんぷんかんぷん。何で中国語で聞くねん。中国人に間違えられたのか?
「アイドント ノウ」
すまんのう。

ビーチの遊歩道に行くと、女の子3人組の日本人観光客から、
「エクスキューズミー、カメラ・・・えーと」
「はいはい、大丈夫ですよ。シャッターですね」と日本語で答える。
女の子はびっくりして、
「日系人の方ですかー!助かりました」
違うよ、日本人だよ(笑)。まあ格好が現地人と変わらんので仕方がないと思うが・・・。
私の格好は、ショートパンツにタンクトップ(日本人観光客は着ません)、サングラスにランニング用のベルトポーチです。現地のランナーと変わらん。
女の子は熊本のOLさん3人組だとの事。サービス業で、GW明けに休みがあるので、同僚で遊びに来たらしい。うちと同じだ(笑)。
説明はしたが、わざわざハワイに旅行に来て、走ってるのが理解できないみたいだ。
「ハワイでランニングですか~?選手なんですか~?」
いや違うのだが・・・ああ説明がめんどくさい。走ったり山登ったりする事って、一般の人には理解しがたいんでしょうね。
「今度は彼氏と来なさい」
と言ったら笑われました。
仮装せずに女の子に話しかけられたのは初めてです。ってカメラのシャッター頼まれただけだろうがあ!

この日は仲間と市内を行動。で終わり。走行距離約10km。

昼はダイアモンドヘッドに登頂した。その時の、記念写真がこれ。

3日目 5月8日
本日の起床は5時。薄暗い中5時半にホテルを出て、西側の街中に向けて走り始めた。昨日とは逆方向である。
走りながら、こっちに来た事を後悔した。むっちゃ浮浪者が多い。
女の人だったら、ビルの間に引きずり込まれてもおかしくない。怖いよー!
ホノルルマラソンの受付でもあるコンベンションセンターに着き、そこからアラモアナショッピングセンターをぐるりと回る。この頃から空が明るくなってきた。
ここまで約1時間ぐらいか。
帰りは行きに来た通りを避けて、運河沿いの遊歩道を走りました。

ひたすら真っ直ぐの5kmです。
運河の終点から公園を横切り、またもやダイアモンドヘッドへと走る。
で昨日白人オヤジと会話した展望台で、夜明けを撮影。

今日はダイアモンドヘッドを1周して帰った。走行距離20km。約2時間半。

昼からはツアーに参加し、オアフ島をぐるりと回りました。
その時に、ガイドさんにお聞きしたのだが、私が3日間にわたって走ったコースのほとんどは、ホノルルマラソンのコースと同じであるという事。なるほど。
夜はワイキキビーチを、3往復走った。約1時間くらい6kmぐらいかな。

明日は帰国日だが、暗いうちに起きて、ダイアモンドヘッドを越えて、ホノルルマラソン折り返し地点に行けるまで行ってみよう。
もうすぐ50歳、オヤジの異国での冒険である。
本日の走行距離16km。

と2日目3日目のルポはここまで。
しかしハワイまで来て、俺って何やってんだ。
会社の同僚は、アラモアナにショッピングに出かけたりしてました。私も1時間ほど付き合ったのですが、元々ブランド品とかには興味がないので、全然面白くなかったです。
ワイキキビーチも綺麗だとは思いましたが、いかんせん人が多すぎる。
話が外れますが、私の住んでる愛知県西尾市吉良町には、「吉良ワイキキビーチ」と呼ばれる海岸がありまして(笑)。それよりは凄く良かったです。
モノホンのワイキキビーチは人が多い。
吉良ワイキキビーチは、藻とクラゲが多い(笑)。
それよりも郊外をジョギングしていた方が、何倍も面白かったです。
2日目に熊本から来たOL3人娘の反応は、やはり一般の人の反応です。ハワイまで来て走ってるのって異常ですよ(笑)。
3日目は、島を一周する自然廻りのツアーに参加したのですが、時折買い物や休憩時間に、景色をボーっと見るのが一番でした。
こんな海岸の岩や、
登山してる人間にとって垂涎のこんな山や、

最高ですね!こういう所を自転車で走ってみたい!
日立の「この木なんの木」で正拳突きです(笑)。バカです。ご心配なく寸止めです。木は傷つけてません。

私のブログ友達で、ポッキー俊さんという写真の上手な方がおられます。その人にはかないませんが、少しは写真の腕前も上がったかな?
少なくとも、ブログ村で写真の下手さ加減で私のライバル・ちゃららさんには勝ってると思いたい(笑)。
お二人のブログは、私のリンクから入れますので、ぜひご覧になって下さい。
このオヤジの天狗の鼻は、翌日見事にへし折られる事になります(笑)。
この写真はおまけ。美人だ!この日も美人を見て、ホテルのビーチバーで飲んだくれてた。

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