「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

授業評価2

2008-02-24 21:12:59 | 授業
授業評価、自由コメント編。諸般の事情からコメントそのままというわけにはいかないので、趣旨をできるだけ変えずに再編したものである。後ろの数字は同種のコメント数。まずはポジティブなコメントから。

ハンドアウトに関して
・ハンドアウトは役にたった。(7)
・全訳課題が役に立った。
・要点のまとめがよくできる。(3)

穴埋めプリント(教科書本文の重要表現箇所を(  )抜きした教材)に関して
・穴埋めプリントは役に立った。(7)

単語テストに関して
・単語テストは役に立った。(11)

授業手順に関して
・勉強の仕方などの話が参考になる。(2)
・リード・アンド・ルックアップが役に立つ。(2)
・フラッシュカードが有効。(3)
・前時の復習から授業が始まるのがよい。
・英問英答が役に立つ。
・授業の進行がスムーズ。


続いて、授業で改善したほうがよい点としてあげられたもの。言い訳がましくなるが、私なりの応えを併記する。

・英語の知識に関する話をもっとしてほしい。
・文法をもっとやってほしい。
→ 一定の授業時間の中で、生徒の皆さんが主体になる学習活動と指導者の側からの説明のバランスをとる必要があります。今の次点ではなるべく説明をコンパクトにして、授業中の学習活動を増やせば学習効果が上がるのではないかと考えています。
 ただし、定着のための活動は一人でもできなければなりませんし、上級生になるほど知識の幅も必要になると思いますので、学年が進むにつれ徐々に説明の時間も増えていくでしょう。
 文法に関しては私の授業以外でも扱っていますので授業ではできるだけシンプルにすませたいと思っています。もちろん授業時間以外での質問は物理的に可能な限りいくらでも対応します。

・少し授業のテンポが速すぎる。間違いを直す時間が足りない。
→ 授業進度の制約から、どの活動にも十分に時間が割けていません。また、個々で行う活動にはスピードに個人差もあります。時間がないときには、約3/4の人が活動を終えたら次に行くようにしています。

・ハンドアウトのレイアウトにもっと工夫を。
→ 実は、ハンドアウトを作るときにどうやって一枚に押し込もうかいつも悩んでいます。できるだけ使いやすいハンドアウトになるようにさらに改善していくつもりです。

・CDが欲しい。
→ こういったコメントが出るのは好ましい勉強ができている証拠だと思います。3月に入ったらCDは販売されます。

・最初の指導手順の方がよかった。
→ その気持ちはよくわかります。おそらく、最初の手順を続けていた方が定期テストの結果は良かっただろうと思います。しかし、ある程度勉強のやり方がわかったら、そこからはあえて手を離すことも必要だと考えました。最初の手順は自転車の補助輪のようなものだと理解してもらえれば幸いです。

・字が汚い。
→ その通りですね。ハンドアウトを板書代わりだと思ってください。もし重大なポイントで板書が読めないことがあれば、その場で指摘してください。

・絵が下手。
→ 下手な絵でも文脈から理解できるはずだと思い、あえて上手に描いていない場合もあります。(負け惜しみ?)

・訳を配って欲しい。
→ 個人的には条件がクリアできれば訳は配る方が良いと考えていますが、指導者間の訳に対する考え方の違いがボトルネックになっています。とりあえず、今のスタイルで全く本文の意味がわからないということはないと思われます。一つの妥協点だと思ってください。

授業評価1

2008-02-24 17:19:50 | 授業
授業評価の概略と考察など。勤務校では以下の共通フォームで授業アンケートを実施している。数字は肯定的回答の割合。


皆さんの授業に対する取り組みについて

1) 授業には意欲的に取り組んでいる・・・89.5
2) 授業の予習をしている・・・97.4
3) 授業の復習をしている・・・28.9
4) 授業に集中できている・・・89.5
5) 課題や提出物をきちんと出している・・・86.8
6) 授業の前には着席している・・・78.9
7) 授業の疑問点は質問している・・・34.2

担当者の授業について

8) 授業はわかりやすい・・・84.2
9) 授業進度は適切だ・・・86.8
10) 授業開始・終了時間は守られている・・・73.7
11) 指導者の声は聞き取りやすい・・・81.6
12) 板書は見やすい・・・34.2
13) 質問への対応は適切だ・・・89.5
14) 発表や作文の機会が十分にあった・・・76.3
15) リスニング力の向上に配慮があった・・・86.9
16) 小テスト、ハンドアウトが役立った・・・97.4


この数字に関する私の感想・反応など。

1) ほとんどの皆さんがよくやってくれていると思います。
2) 予習中心学習の重要性をよく理解してもらえたと思います。
3) その分、復習に手が回せない様子が伝わってきます。
4) ほとんどの皆さんがよく集中できていると思います。
5) 予習プリント等、課題もよくやってくれています。
6) 始業が遅れ困るという現状はないと認識しています。
7) 授業の仕組みからいって質問は出にくいのかもしれません。

8) もっと日本語で説明をという意見があります。バランスは再考の余地があります。
9) いろいろな制約があるので・・・難しい部分もあります。
10) やや意外な数字。小固まりを繋げる授業なので時間と切れ目を合わせにくいから?
11) これは意外に高めでした。早口、滑舌の悪さ申し訳ないと思っています。
12) ここは予想通り。ハンドアウトが板書だと思ってください。
13) 痛み分けですね。
14) 何を作文と捉えるかで数字が変わりそうです。
15) リスニングの「問題集」は来年には導入する予定です。
16) この数字の高さにも驚きました。

次回は細かいコメントについて。

Free The Children 2

2008-02-14 21:43:59 | 授業
グローバリゼーションにより、先進国の有力企業は国際的に通用する競争力を求められる。そして、効率向上を求めて経済活動の一部を海外に移動することを目論む。

例えば、国内の生産工場を閉鎖し海外へを移転する。移転を受ける発展途上国は経済の活性化を期待して工場誘致を歓迎し先進国大企業の経済活動に有利な条件を整える。

その結果、法整備は不十分なまま発展途上国に生産工場が設けられる。生産工場は直営のものもあろうが下請けのものもある。当然、労働環境は劣悪である。

発展途上国においても競争原理は働き、より安価な労働力・より従順な労働者である低年齢者を雇用する動きが加速する。これにより、大人の労働者は雇用の機会が減少する。

また、労働環境の悪さのため低年齢労働者も早いうちに不健康になる。健康状態が悪化した労働者は早期に解雇される。

若年のうちに解雇された大人が生きていく保証を得るもっとも簡単な方法は、子供をもうけ働かせて収入を得ることである。親は家族が生きていくために、働ける年齢になればできるだけ早く子供を労働現場へ送るのだ。

労働現場へ送られた子供は教育を受けることができない。また、働くほどに健康は蝕まれ親と同じ道へと追いやられることになる。


まさに悪循環である。


一方先進国にも問題は起こる。

生産拠点を海外へ移出されると国内の雇用は減る。また、国内の同種の生産活動はコストの面で海外に張り合うことができず廃業へと追い込まれてしまう。

・・・先進国内でも「格差」が拡大する。


児童就労の問題は単に幼い子供に重労働を課して残酷だというだけにとどまらない。ちょっと想像力を働かせるだけでもこれだけ根の深いものだということが分かるだろう。

もちろん、これが総てではない。児童就労問題は環境問題や望ましくない民族主義の台頭にもつながっているのだ。


私は素直なところ、教えている生徒に今すぐに政治活動を起こして欲しいと思っているわけではない。しかし、少なくとも先進国の有利な条件の下で勉強ができる自由が与えられていることの有り難みを十分に感じて欲しいとは思っている。

将来、この社会のリーダーになるはずの彼らには自分の側にいる人だけでなく、遠く離れた場所にいる人、さらに時間的に遠い未来の人たちへの責任も感じて欲しいのだ。


重たい話になってしまい申し訳ありません。週末はロッド・エリス大先生の話を聞く予定です。通算で4回目。今回は最新のTBLT論ということでとても楽しみです。

Free The Children 1

2008-02-14 07:08:57 | 授業
英語Ⅰの授業は児童就労を題材にした課にはいる。この問題と闘うために、まだ12歳の少年の頃に Free The Children という団体を作ったカナダ人、Craig Kielburger の話である。

スキーマ作りのためネット上の児童労働の悲惨な現実を訴えた記事を前時に渡しておいた。

Part 1はクレイグ少年が初めて児童就労問題と接点を持つ新聞記事の話。パキスタンで就労児童として4歳から働き続けた Iqbal Masihという少年が、児童就労反対運動を起こし、そのために銃殺されたのである。

授業はいつものようにテンポ良く進む。単語テストからファーストリーディングで読み聞かせ。そのあとは簡単な英問英答による内容確認。最近は時間節約のため教科書を開けたままなので、生徒は答えを本文から探そうとするのだが、それでも多くの生徒が答えるときには教科書から目を切って答えている。ちょっとしたことだがとても大事なこと。この1年の成果が出ているようでうれしい。

その後は読解の重要ポイントを確認した上、フラッシュカードを使いチャンクでまとめた語彙の音読。本文訳の確認。

本文訳の確認は完全に個々の活動。スラッシュで切った本文をコラムナー形式で立てに連ねその右に予習として訳を書かせている。授業では机間巡視の上予習ができているものだけに訳例をわたし自分の訳と見比べさせる。

生徒が訳の確認をしている間に、たいていは次の再生活動に使う質問などを板書するのだが、今回はかわりに児童就労問題の根の深さをフローチャートにして板書。題材が重たいときには表面的な理解だけではどうしても物足りないのだ。

「ストライクだけを打つ」

2008-02-10 21:45:42 | 授業
「今はストライクだけを打つことを考えている。」

NHKの「プロフェッショナル」、正月特番でのイチローの言葉だ。ストライクだけを打てば誰よりも上手く打てるはず。それができれば技術などいらない・・・。


私は授業で多くの小物を使う。ハンドアウトも1時間で最低1枚は必ず配る。年間のハンドアウト数を比べると勤務校の中でダントツでトップだと思う。高校で毎時間手作りのフラッシュカードを使っている人もそう多くはないだろう。

・・・が、今年度の半ばにハンドアウトの数を半減させた。準備が面倒になったのではない。効果が少ないから止めたのでもない。むしろ、効果が高いから止めたのだ。


私は過去何年か、「楽しい授業」、「分かりやすい授業」ではなく「できるようになる授業」を目指して授業改善を試みてきた。その結果、授業中の学習活動を増やすこととなった。

生徒は学習活動の効果を実感できれば活動に真剣に取り組むものである。つまり、これをやればできるようになりそうだと感じさせることさえできれば総て上手くいくと思っていた。そして、少なくとも表面的には上手くいっていた。

ところが・・・、万事快調とはいかなかった。私の持つクラスはその科目の成績はよいが、裏科目(つまり、英語ⅠであればOCⅠ)の成績は思わしくないのである。更に悪いことに実力テストの成績も芳しくない。

もちろん、ここで言いたいのは裏科目のことではない。問題はこの結果を自分がどう捉えるかだ。そして、ひとつの考えにたどり着いた。

・・・生徒は自分の授業に甘えていないだろうか。

私はできるだけ効率的に学ぶ方法を生徒に提示した。生徒は提示されたとおりに動き何とかなりそうだと感じた。そして、実際に比較的楽に望ましい成績が残せた。

しかし、本当はどうなのか。私の授業を受け学年平均の成績を取った生徒と、手助け少なくして自分で工夫し試行錯誤してなんとか平均点を確保したものと、長い目で見てどちらが有意義な勉強をしたのだろうか。


指導技術はどれだけ知っていても知りすぎということはない。しかし、それをどう使うかは別問題だ。本当に生徒のことを考えれば、効果的な指導技術ほど慎重に小出しにする必要があるのではないか。差しのべる手は最小限にして、あとは生徒の自主性に任せる忍耐がおそらく必要なのだ。

「ストライクだけを打つ」

単に、「やはり基礎・基本が重要」というだけではない。技術があるからこそ、その技術に頼りすぎないことの大切さを教えてくれる言葉のような気がしている。

なぜその活動か・・・

2008-02-08 22:17:30 | 授業
全国で盛況の英語教育セミナー、ワークショップに参加する。発明の才に富む達人講師が簡単に準備でき、且つ授業で受けそうな学習活動を紹介する。さあ、みんなでやってみましょう! 会場は大いに盛り上がり、「ほら、上手くいったでしょ。授業でもぜひ活用してください。」 

・・・で、現場に持ち帰り、やってみたら上手くいかない。「あの人は自分とは違うのだ。やっぱり、あんな方法じゃあできるはずない。」

あるいは‐‐‐‐

・・・早速、現場でやってみて、けっこう上手くいった。「生徒はノリノリ、活き活き活動。さすがは達人講師、いいこと教えてもらった。」

いわゆる、「真面目な側」の人々の話を聞いても、以上のような両極端の結論に行き着くことが多いような気がする。でも、本当にこれでいいのだろうか。

何であれ授業中に教育的活動を行う際には、その活動の理解が不可欠だろう。つまり、
① 何を目的としてその活動を行うのか 
② その目的を果たすためには本当にその活動がベストなのか 
③ その活動の長所と短所は何か
④ その活動を行う際に注意すべき点は何か
などを指導者が把握してないなら本当に有益な教育活動にならないのではないだろうか。

例えば、「音読をさせたいと思ってはいるがうまくいかない。ちゃんと音読させるにはどのような工夫が必要だろうか」といった悩みを聞いたりする。このような悩みを打ち明ける人は、なぜ音読させなければと自分が思ったのか真剣に考えているだろうか。

学習者は音読の効果が実感でき、それが有益だと思えばその活動を厭わないものだ。音読に真摯に取り組まないのは、英語力はつけたいが、なぜ音読しなければいけないか分からない、つまり音読の効果を疑っているか、英語力をつけたいなど端から思っていないかのどちらかだろう。

前者であれば音読の効果を学習者に実感させるプロセスが必要だろうし、後者であれば音読指導自体の意義を指導者の側が再考する必要があるだろう。

逆に、一見すると生徒が熱心に活動している場合も曲者だ。生徒が熱心に活動したからといっても良い授業だとは限らないからである。授業の狙いは英語力の向上のはず。生徒の熱中度と教育的効果は必ずしも比例しない。

活動が先にあるのではない。つけたい力に応じた教育活動があるだけだ。

何年か前、教育実習生を受け持ったときのことである。授業にシャドーイング活動を組み込みたいと言ってきた。おそらく大学で、注目の新しい学習法などと聞きかじってきたのだろう。なぜシャドーイングなのかを聞いても明確な答えは返ってこなかった。当然、授業で使っていただくわけにはいかなかった。