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あしたへ:田老に生きる/1 「世界に出ろ」亡き父の思い胸に いつか海を越えて

2012-07-05 06:53:19 | 日記

この記事みて涙がでた良いこと書くね。毎日新聞ぜひ読んで下さい。
転載
毎日新聞 2012年07月04日 東京朝刊
 海からの風がそよぐ高台でバスを降り、仮設住宅の玄関をカラカラと開く。「来たよ、ばあちゃん」。背中を丸めた祖母がうれしそうに出迎えた。
 岩手県宮古市田老。久保田海世(かいせい)君(12)は今も父の死を嘆く祖母ヤエさん(76)に語り掛ける。「心配しないで。僕がいる」
 生後まもなく家を出た母の記憶はない。父と祖母に育てられ、母の愛を埋めるように、いつも傍らに父がいた。昆布干しを手伝い、休日は一緒に遊んだ。釣りのコツは父から教わり、テレビゲームのヒントは海世君が出した。
 明治と昭和の津波で大きな被害を受けても、先祖たちはこの地に残る道を選んだ。二重に囲った防潮堤が、闘う町の象徴だった。その防潮堤に駆けつけ、漁師の父伸明さん(当時43歳)は波にのまれた。「俺も田老のために働きたい」と志願して消防団に入り、水門を閉めようとしていた。
 震災の日。先生の誘導で高台に逃げた。「休みの日なら父さんを止められたかも」。悲しみがこみ上げたときは「今もそばにいてくれる」と思えば乗り越えられる気がした。「泣きたい時は泣けばいい」と伯母の吉水久美子さん(47)に言われても、涙は流さなかった。
 祖母と一緒に吉水さんの家で暮らし始めた。年の近いいとこもいるのに溶け込めず、遠慮が先に立つ。学校から帰ってすぐ部屋にこもった。ヤエさんも「居候」に気兼ねし、今年に入り仮設住宅への入居を決めた。

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