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県内各党、支援の構図ほぼ固まる 共産は熊坂氏 知事選

2014-09-26 16:49:29 | 政治

 

県内各党、支援の構図ほぼ固まる 共産は熊坂氏 知事選

 

 任期満了に伴う10月9日告示、同26日投票の知事選で、県内各党の支援の構図がほぼ固まった。共産党県委員会、県労連などで組織する「みんなで新しい県政をつくる会」は23日、幹事会を開き、脱原発を明確に打ち出す元岩手県宮古市長の新人熊坂義裕氏(62)の支援を決めた。既に新党改革が熊坂氏支援を表明しており、共産が知事選で他党と相乗りするのは昭和51年以来、38年ぶりとなる。
 これまでに民主、社民両党県連、公明党県本部が前副知事の新人内堀雅雄氏(50)の支援を決め、自民党県連も近く総務会で正式決定する。告示まで約2週間に迫る中、各党の戦いの構図がようやく固まり、選挙戦に向けた動きが本格化する。
 「みんなで新しい県政をつくる会」の幹事会では、県政継続の観点から内堀氏を推す意見もあったが、中央政界で原発再稼働を推進する自民との共闘は困難と判断した。当初は独自候補擁立を模索したが、実現しなかった。同会は24日に県庁で記者会見を開き、熊坂氏支援を正式発表する。
 維新の党は21日に結党したばかりで、10月に発足する県総支部で対応を決める見通しだ。

( 2014/09/24 08:26 カテゴリー:主要 , 福島県知事選 )


セアカゴケグモ、東京で初めて確認 三鷹のマンションや公園で十数匹

2014-09-26 09:20:52 | 日記

朝日新聞デジタル 

セアカゴケグモ、東京で初めて確認 三鷹のマンションや公園で十数匹

投稿日: 2014年09月26日 07時19分 JST 更新: 1時間前
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東京都三鷹市で発見されたセアカゴケグモ=東京都提供 | 朝日新聞社 

セアカゴケグモ、都内で初めて確認 三鷹で十数匹

東京都は25日、三鷹市のマンションで、毒グモのセアカゴケグモが都内で初めて確認されたと発表した。近くの公園でさらに十数匹が見つかったが、いずれも三鷹市が駆除し、健康被害は出ていないという。

都によると、24日午前11時ごろ、同市下連雀9丁目のマンションの住民から「1階の自宅の庭で、セアカゴケグモのようなクモを見つけた」と通報があった。保健所がクモを持ち帰って環境省に確認を依頼したところ、25日にセアカゴケグモと判明したという。

環境省によると、豪州原産のセアカゴケグモは1995年に国内で初めて大阪府で見つかって以降、34府県で報告されている。雌が神経毒を持ち、体長は1センチほどで、攻撃性は低いが、かまれると頭痛や筋肉痛などの症状が出る。都は「素手で捕まえたり、触ったりしないで」と呼びかけている。

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東京都三鷹市で発見されたセアカゴケグモ=東京都提供

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(朝日新聞社提供) 

朝の連ドラ「花子とアン」 「蓮子」のラジオでのスピーチは圧巻素晴らしかった

2014-09-26 07:32:30 | 日記

転載

【昨日の朝の連ドラ「花子とアン」。「蓮子」の ラジオでのスピーチ】~私たち国民は国や政治家が右傾化してる現実にない「ブレーキ」をかける義務がある。

【昨日の朝の連ドラ「花子とアン」。「蓮子」の

ラジオでのスピーチ】

「蓮子」のラジオでのスピーチは圧巻素晴らしかったですね。
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今の右傾化してる政府の動きに、少しでもブレーキがかかる事を期待したいなあ・・。

そう思って観ていました。


戦争中は、国民をマインドコントロールしていた軍部。
浮世とは簡単に統制出来るものです。

多くの犠牲をだして、戦争に負けて、国民はようやく「平和の尊さを」知る事になった。
そんな歴史をまた繰り返さなで欲しい・・。そう、強く感じました。共感した人も多いのでは・・。ないのかなあ。と思っていましたら、Facebookの友がやはり見逃していませんでした。 その友の文を紹介します。

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【平和の守り方】

「花子とアン」主人公の友達であり、「蓮子」こと実在の人物「柳原白蓮」
昨日の番組中
「蓮子」のラジオでのスピーチは圧巻だった。この件も実話だ。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「私が今日ここでお話ししたいのは平和の尊さでございます。
先の戦争で私は最愛の息子純平を失いました。

ーー(中略)ーー
子を失う事は心臓をもぎ取られるよりもつらい事なのだと私は身をもって知りました。
もしも女ばかりに政治を任されたならば戦争は決してしないでしょう。
かわいい息子を殺しに出す母親が一人だってありましょうか。

ーー(中略)ーー
最愛の子を亡くされたお母様方、あなた方は独りではありません。
同じ悲しみを抱く母が全国には大勢おります。
私たちはその悲しみをもって、平和な国を造らねばならないと思うのです。
私は命が続く限り平和を訴え続けてまいります。」
△△△△△△△△△△

【今現在の日本の平和をどう守るのか?】

最近、「中国に侵略されないように武力を」、「周辺国に舐められないように」、「平和なんて理想ばかり言っていても」、「日本も積極的平和主義で国際紛争に関わるべき」などという人が増えているようだ。

でも、日本は太平洋戦争で敗戦国として学んだはず。
戦争がもたらすものは、「悲しみ」や「憎しみ」しかないということを。
敗戦国だからこそ戦争の虚しさをより深く実感できたのだろう。

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「戦勝」「敗戦」どちらの立ち場にも「戦争による尊い犠牲があるから、今の平和がある。」という人はたくさんいる。しかし、この「尊い犠牲」という言葉には、大きな欺瞞がある。もちろん遺族からすれば、「かけがえのない尊い命」。
大切な人の「生」そして「命」に「意味」を持たせたいのは当然のこと。
しかし、「戦死」「戦争による死」は事故や病気、自然死とは大きく違う。
なぜなら、人の「殺意」によって、命を奪われるからだ。しかも、戦場などでは自らが死へと向かってゆく。

「国」という大きな力によって、「戦争」を正当化したものと信じ込まされ、時には「命を落とす」ことさえ美化された、異常な社会に流され。それが、「尊い犠牲」と美化されることによってごまかされてしまうのだ。

人々を戦争へと導いた国や政治家の責任を。

スクールで取材した、戦場での過酷な体験をしたおじいちゃん達。その多くが証言してくださった。「若い人たちが犬死させられた」、「よく『天皇陛下万歳』とか『お国のために喜んで死を』なんてこと聞かされたけど、みんな戦地で死ぬ前にそんなこと言わない。」、「みんな『お母さん』とか『死にたくない』とか言いながら、涙流して死んでいった。」 
「まだ若い普通の青年、家族のある普通のお父さんとか本当にたくさんの普通の人たちが、戦死したり、餓死したり、病死したりした。」何人ものおじいちゃんが、涙を流して話してくださった。
「戦争」という不条理で不毛な、愚行の中で尊い命を落とすことは「犬死」に他ならない。
いずれにしても「敗戦」したのだからその死は「戦果」にも繋がっていないし、「戦争に勝てれば良かった」ということでもない。

「国」や「政治家」によって導かれて、普通の人たちが命を奪われたのだ。
だからこそ日本人は敗戦を通して学んだのだ。この蓮子のように。
蓮子たちのような人たちは、大切な人の死を「尊い犠牲」として肯定するのではなく、「犬死」として受け入れた。「悔恨」「悲しみ」として。
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「私たちはその悲しみをもって平和な国を造らねばならない」と。
その死を美化するかどうかという死に対する理解の違いは、「完結した命としての死」と
「未来へといのちを繋げてゆく死」との違いといっても良いのかもしれない。
前者は美化されやすい。「平和」のためには犠牲も必要だという美化。
戦時中と何ら変わりのない、「戦争」を肯定し、国や政治家の責任を隠し、結果的に「平和」を奪うことに繋がる美化として。
後者には私たちの責務が伴う。「平和」を守るため努力という責務が。
その努力は、「武力」や「力」によるものであっては、決してならない。
その先にあるのは「憎しみ」や「悲しみ」であり、お互いに感情的になり、エスカレートしてゆくだけであるから。
国や政治家は、「武力」や「力」ではなく、「対話」という外交努力を地道にすべきである。
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そして私たち国民一人ひとりは、国や政治家が誤った方向へ走らないように、ブレーキをかけたり、国民が短絡的な方向へ流れないように周囲に想いを伝えたりといった地道な努力を、心折れることなく続けなければと思う。
さらに言えば、その努力こそが数多くの戦没者の死を「犬死」ではなく、本当の意味での「尊い犠牲」とすることができるのではなかろうか。

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない