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沖縄慰霊の日 翁長知事「辺野古反対」表明 翁長知事の平和宣言全文

2015-06-23 20:16:28 | 戦争立法
朝日新聞より転載


「辺野古に新基地建設は困難」 翁長知事の平和宣言全文

2015年6月23日13時04分

 70年目の6月23日を迎えました。

沖縄はいま
沖縄慰霊の日 翁長知事「辺野古反対」表明

 私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀(まれ)に見る熾烈(しれつ)な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。

 それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。

 戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。

 しかしながら、国土面積の0・6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に様々な影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。

 沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。

 特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。

 そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。

 国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。

 政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。

 一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど悲劇が今なお繰り返されています。

 このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

 戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人達の「万国津梁(しんりょう)」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。

 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子ども達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。

 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。

4歳「スパイ」の汚名 沖縄戦 渡野喜屋の悲劇

2015-06-23 09:22:27 | 戦争立法
東京新聞より転載

4歳「スパイ」の汚名 沖縄戦 渡野喜屋の悲劇

2015年6月22日 朝刊


全身に飛び散った手りゅう弾の破片が、今も体内に残るという仲本政子さん=大阪市で

 太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民が根こそぎ軍事作戦に動員された。このため、投降する住民を日本兵が「スパイ」と見なし、殺害する事件が相次いだ。背景には、軍事機密の漏えいを防ぐ法律があったが、被害者のほとんどは正当な理由もなく、口封じのために殺された。加害者側の日本兵も飢えや恐怖に追い詰められていた。そんな中で起きた残虐な行為が、戦争の陰惨さを浮き彫りにする。 (安藤恭子)


 七十年前、全身に飛び散った手りゅう弾の破片が、今も体をむしばむ。「私は、四歳で『スパイ』として処刑された」。沖縄県読谷村(よみたんそん)出身の仲本政子さん(74)=大阪市=は、悲しげに笑う。日本兵が住民を虐殺した「渡野喜屋(とのきや)事件」で生き残った。


 一九四五年五月、米軍に捕らえられた仲本さん一家は、県北部の渡野喜屋(大宜味村(おおぎみそん))の集落に収容された。村議だった父が、米兵にもらった食料をほかの人に配るのを、山に隠れた日本兵がじっと見ていた。


 「おまえたちは、こんないい物を食っているのか」。兵隊たちは夜中、一家が休む民家に踏み込んだ。仲本さんは母と兄、妹の四人で、砂浜に連行された。数十人いた周りも年配者や女性、子どもばかりだった。


 「アメリカの捕虜になって、恥ずかしくないのか!」。兵隊が怒鳴り、「一、二、三」の合図で手りゅう弾を何発か投げ込んだ。二歳の妹は死んだ。日本兵が引き揚げた後、米兵が倒れていた仲本さんを箱に入れ、テントに運んだ。


 父は別の場所で、首に短刀を突き刺されて殺された。両ひざは丸くくりぬかれ、「日の丸だ。勲章だ」と日本兵が持ち帰ったという。血の海に浮かぶ遺体を見つけた母と兄は、あまりのむごさに気絶した-。


 これが、仲本さんが二十歳の時、兄から打ち明けられた話だ。三カ月後、兄は心を患い、入院した。


 「渡野喜屋はスパイ集落」という密告が事件のきっかけだった。「私たちがスパイだなんて殺す言い訳だ。戦争は悪魔を生む。人間を信じられない私は、今も暗闇の中にいる」。仲本さんは苦しみを明かす。


 事件の正式な調査は行われていない。県史編集委員の大城将保(おおしろまさやす)さん(75)は、真相を知ろうと証言を集め、「飢えに苦しんだ日本兵が、食料強奪のために集落を襲った。スパイへの過剰な警戒もあった」と結論づけた。少なくとも死者は三十~四十人と推測する。


 背景には軍事上の秘密を漏らせば「死刑」と定めた「軍機保護法」があった。しかも、軍の内部文書では、沖縄の方言を話す人や敵のビラを拾った人まで、処刑することを認めていた。


 渡野喜屋のように、スパイとされた住民が殺された事件は、大城さんが確認しただけで四十六件ある。


 「住民がスパイの汚名を逃れるには、投降せずに自ら死ぬしかない。住民虐殺と集団自決の根は同じ。コインの表と裏だよ」。大城さんは、住民の四人に一人が死んだとされる沖縄戦の悲劇をこう解き明かす。


 <沖縄戦> 1945年3月26日、米軍が慶良間諸島に上陸して始まった。4月1日に本島に上陸。日本軍は住民を巻き込む持久戦を展開し、「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の猛攻を受けた。県の推計によると、沖縄戦の死者は20万人余。内訳は県外の日本兵6万6000人、米兵1万2500人に対し、住民の死者が9万4000人と上回り、沖縄出身の軍人・軍属も2万8000人亡くなった。沖縄を守備する第32軍司令官、牛島満中将が自決し6月23日、沖縄本島での組織的戦闘は終わった。


除染の廃棄物 高速道路使った輸送始まる

2015-06-23 07:57:54 | 原発
転載
NHK
除染の廃棄物 高速道路使った輸送始まる
6月22日 20時16分

福島県内で進められている除染で出た土などを仮置き場から中間貯蔵施設の用地内に搬入する作業で、22日から一般道に加えて高速道路の常磐自動車道を使った輸送が始まりました。
環境省は、福島県双葉町と大熊町に建設が計画されている中間貯蔵施設の用地内に設けられた「保管場」に、市町村の仮置き場にある除染で出た土などの廃棄物を試験的に搬入する作業をことし3月から行っています。
22日からは東京電力福島第一原子力発電所の30キロ圏内にある広野町にある仮置き場からの搬出が始まり、作業員が、廃棄物が入った袋をトラックに積み込み放射線量を測定しました。
このあと、トラックは常磐自動車道を広野インターチェンジから常磐富岡インターチェンジまでのおよそ17キロの区間を走行し、大熊町の「保管場」に廃棄物を搬入しました。
除染で出た廃棄物の輸送はこれまで一般道が使われてきましたが、今後、仮置き場が離れている場合は高速道路も利用されることになります。常磐自動車道は原発事故の避難区域を縦断するかたちで、ことし3月に全線で開通し、国は今後、双葉町と大熊町にインターチェンジを新たに設置する方針で、廃棄物の輸送での利用の増加が見込まれています。
環境省「事故防止徹底で安全性確保」
環境省福島環境再生事務所の小沼信之調査設計課長は「今後、離れた市町村からの輸送では住民の生活圏に近い一般道よりも高速道路を利用したいと考えている。事故防止を徹底し、安全性を確保していきたい」と話していました。

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない