トンペイ焼き
揚げ茄子の麺つゆかけ(作り置き)
ピクルス(同じく)
グリルチキン(残り物)
サラダ(同じく)
ごはん
昨日の晩ごはんです
作り置き&残り物でラクラク~。
ごはんを炊いて、トンペイ焼きだけ作りました。
トンペイ焼きって、一度しか食べたことがないので、やや妄想料理的な(笑)
味濃い目でおいしくできました。
肉と玉子と野菜で栄養バランスいいし、おかずにもつまみにもなるので優秀です。
これから我が家の定番になりそう。
あの日から5年経ちました。
時間が経過することや、たくさんの人たちの努力で、
立ち直り、少しずつ薄れたり、変わっていくことはあるけれど、
それでも、あの日のこと、あの日からのことを、
すっかり忘れて関係なく生きている日本人なんていないと思います。
2011年の3月11日は5年前のことになったけど、
その影響はまだ現実のものとして続いています。
カンボジアで暮らすようになってもうすぐ丸3年。
日本とカンボジア、それぞれにいいところ、この点ではこちらがいいなと思うところもあります。
先進国だから、母国だからといって、全てにおいて日本が優っている訳ではありません。
その一つとして、ずむり。が思うのは、
「地震に怯えない生活というのはなんて楽なんだろう」
ということ。
カンボジアは地震の起こる頻度がかなり低く、
地面の上に住んでいる限り絶対とは言えないでしょうが、
少なくとも地震を意識しないでも暮らしていけます。
ずむり。は愛知県で生まれ育ち、大人になってからは静岡県に住んでいます。
物心ついた時から東海地震を常に身近に感じながら生きてきました。
「いつ起こるかわからない、明日かも30年後かもしれないけれど、自分が生きている間に必ず起こる」
40年以上、本当にずっと、その前提の下で生きてきました。
子供の頃はただ怯え、大人になってからは常に備えを考える生活でした。
その間に関西や東北に大地震が起こり、日本中が地震を強く意識せざるおえなくなりました。
特に東日本大震災では、地震だけではなく、その後に起こることについても考えなければならないことに気付かされました。
地震はなくせない。
自然の力にあらがうことはできません。
地震が起こる日本という国で生きているからには。
心にも生活にも、地震が起きることへの備え、
身を守り、被害を最小限にする努力と、
乗り越える力は持たなければならないと思います。
そして、
自然からの被害を乗り越えるだけで済むような社会を作らなければならないと思います。
万が一の時に、人の力で制御できない原子力は、使うべきではないと思います。
そのためには、代替エネルギーの開発、
少ないエネルギーを最大限に生かす省エネルギー技術の開発、
そして人の暮らし方や考え方を変えていく必要があると思います。
それが私たちの時代ではかなわなかったとしても、
次の世代を担う子供たちを教育し、考えを伝えていくべきだと思います。
「思います」ばかりの文章になってしまったとおり、これはずむり。という一個人の思いです。
一人一人が自分の考えを持ち、行動していくことが大事だと思います。
日本という、地震の起こる国で生きていくために。
私たちは、強く、賢くならなければなりません。
桜の咲く美しい日本の春を、ずっとずっと、守っていけますように。
揚げ茄子の麺つゆかけ(作り置き)
ピクルス(同じく)
グリルチキン(残り物)
サラダ(同じく)
ごはん
昨日の晩ごはんです
作り置き&残り物でラクラク~。
ごはんを炊いて、トンペイ焼きだけ作りました。
トンペイ焼きって、一度しか食べたことがないので、やや妄想料理的な(笑)
味濃い目でおいしくできました。
肉と玉子と野菜で栄養バランスいいし、おかずにもつまみにもなるので優秀です。
これから我が家の定番になりそう。
あの日から5年経ちました。
時間が経過することや、たくさんの人たちの努力で、
立ち直り、少しずつ薄れたり、変わっていくことはあるけれど、
それでも、あの日のこと、あの日からのことを、
すっかり忘れて関係なく生きている日本人なんていないと思います。
2011年の3月11日は5年前のことになったけど、
その影響はまだ現実のものとして続いています。
カンボジアで暮らすようになってもうすぐ丸3年。
日本とカンボジア、それぞれにいいところ、この点ではこちらがいいなと思うところもあります。
先進国だから、母国だからといって、全てにおいて日本が優っている訳ではありません。
その一つとして、ずむり。が思うのは、
「地震に怯えない生活というのはなんて楽なんだろう」
ということ。
カンボジアは地震の起こる頻度がかなり低く、
地面の上に住んでいる限り絶対とは言えないでしょうが、
少なくとも地震を意識しないでも暮らしていけます。
ずむり。は愛知県で生まれ育ち、大人になってからは静岡県に住んでいます。
物心ついた時から東海地震を常に身近に感じながら生きてきました。
「いつ起こるかわからない、明日かも30年後かもしれないけれど、自分が生きている間に必ず起こる」
40年以上、本当にずっと、その前提の下で生きてきました。
子供の頃はただ怯え、大人になってからは常に備えを考える生活でした。
その間に関西や東北に大地震が起こり、日本中が地震を強く意識せざるおえなくなりました。
特に東日本大震災では、地震だけではなく、その後に起こることについても考えなければならないことに気付かされました。
地震はなくせない。
自然の力にあらがうことはできません。
地震が起こる日本という国で生きているからには。
心にも生活にも、地震が起きることへの備え、
身を守り、被害を最小限にする努力と、
乗り越える力は持たなければならないと思います。
そして、
自然からの被害を乗り越えるだけで済むような社会を作らなければならないと思います。
万が一の時に、人の力で制御できない原子力は、使うべきではないと思います。
そのためには、代替エネルギーの開発、
少ないエネルギーを最大限に生かす省エネルギー技術の開発、
そして人の暮らし方や考え方を変えていく必要があると思います。
それが私たちの時代ではかなわなかったとしても、
次の世代を担う子供たちを教育し、考えを伝えていくべきだと思います。
「思います」ばかりの文章になってしまったとおり、これはずむり。という一個人の思いです。
一人一人が自分の考えを持ち、行動していくことが大事だと思います。
日本という、地震の起こる国で生きていくために。
私たちは、強く、賢くならなければなりません。
桜の咲く美しい日本の春を、ずっとずっと、守っていけますように。