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子孫から見た西郷隆盛 in ふたば学舎 on 2017-12-17

2017年12月31日 04時47分19秒 | 神戸情報
2017年12月17日(日)、ふたば学舎で表題の講演がありました。
講師は西郷隆盛のひ孫に当たる西郷隆夫氏で子孫ならではの裏話も聞けた。

日にちも経って記憶も薄れているが印象に残った事項を記載します。

西郷隆盛の基本情報
生誕:文政10年12月7日(1828年1月23日) 鹿児島城下加治屋町 幼名は小吉
父親:薩摩藩の禄47石の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛(1806-1852)
母親:西郷満佐(椎原国紀の娘「政佐」とも) 生誕不詳-1853
兄弟:長女琴、次男吉次郎、次女鷹、三女安、三男西郷従道、四男小兵衛
祖父:西郷龍右衛門
死去:明治10年(1877年)9月24日 49年と9か月の生涯


西郷隆盛は実は西郷隆永というのが本名で、王政復古の章典で位階を授けられる際に
親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名隆盛を届けたためこうなった。
それ以後は父の名で通した。


上の写真は講演会「子孫から見た西郷隆盛」で講演の西郷隆夫氏


上の写真は西郷隆夫氏の略歴 出典:ふたばだより 2017年12月号表紙

西郷隆盛の人間像
「気配り」と「許す」 

モットーは「知行合一」「知って、行ってこそ本当の知恵」
     「敬天愛人」

農業の重要性を認識 生涯、力を注いだ




上の2枚の写真は白板を使用して説明された西郷隆夫氏

西郷隆盛の肖像
 西郷隆盛の写真は一枚も残っておらず、教科書など全ての肖像画及び銅像の基になったのは
 エドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone)作の鉛筆画で、弟や従弟(大山巌)の写真を基に
 描いたものである。
 キヨッソーネの作品として明治天皇像、大村益次郎像も有名である。

西郷隆盛の三人の妻
  Wikipediaより引用 一部年齢を改変
 1度目は嘉永5年(1852)、24歳のとき両親の薦めで伊集院兼寛の姉すが(須賀)と結婚

 2度目は奄美大島の龍郷村で6石扶持一軒家で自炊していた際、島の名家であった龍家の
     佐栄志の娘・愛加那(あいがな、意味は愛子)と結婚。

  32歳の安政7年(1860年)1月2日に菊次郎(後の京都市市長)
  34歳の文久2年(1862年)にお菊(のち菊子、大山巌の弟と結婚)の二人の
  子供をもうけた。この子供たちは庶子として扱われた。

 3度目の妻は慶応元年(1865年)、37歳で岩山八郎太の23歳の娘、糸子と結婚。
  4男3女をもうけ、先の妻、愛加那の二人の子・菊次郎、お菊を引き取った。

 
岩倉使節団で留守中の行政
  留守中に西郷隆盛が主導した政策は以下の通り(Wikipediaより引用)

   府県の統廃合(3府72県)
   陸軍省・海軍省の設置
   学制の制定
   国立銀行条例公布
   太陽暦の採用
   徴兵令の布告
   キリスト教禁制の高札の撤廃
   地租改正条例の布告


明日は元旦です。皆様、良いお年を

 
コメント
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