ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

吉沢橋を砧線が通っていた

2024年05月05日 23時29分50秒 | まち歩き

 東京都世田谷区玉川二丁目にある東急田園都市線・大井町線の二子玉川駅のちょうど真下のあたりで、野川が多摩川に合流します。そのため、国道246号と東京都道11号大田調布線とが交差する二子玉川交差点から喜多見、調布方面への東京都道11号大田調布線は、通称が多摩堤通りというにもかかわらず、多摩川ではなく野川の近くを通ります。

 都道11号を二子玉川交差点から歩き、新二子橋の下を抜けてコヤマドライビングスクール二子玉川のそばを過ぎると、まもなく、玉川高島屋の北側から中耕地バス停を通る中吉通りと合流します。この辺りから吉沢と言われる場所になります。現在の世田谷区に吉沢という行政上の地名はありませんが、玉川三丁目の西側にあった大字か何かであることは間違いないでしょう。もしかしたら、玉川四丁目、鎌田三丁目、鎌田三丁目にまたがった地名であったのかもしれません。

 吉沢橋は野川を渡る橋であり、吉沢橋交差点を左折して1分もかからない場所にあります。交差点と橋梁との間に吉沢駅があったようですが、今回は見つけられませんでした。ただ、吉沢橋のすぐ北側に、砧線代行バスの東急バスの玉06系統の吉沢バス停(砧本村行きのみ)があるので、その辺りに駅があったのでしょう。 

 橋に玉電のレリーフ(?)があります。実質的に砧線の専用車両となっていたデハ60形の64号が彫られており、「二子玉川園⇔砧本村」という列車の方向板まで再現されています。現在の玉06系統は二子玉川駅から砧本村に向かうバスのみこの橋を渡っており、砧本村から二子玉川駅に向かうバスは全く別の天神森橋を渡りますが、単線だった砧線の電車は砧本村行き、二子玉川園駅行きのどちらも吉沢橋を渡っていました。

 レリーフの下の方に、「野川を渡る吉沢の鉄橋風景 昭和36年 (玉電・砧線)」と書かれた写真付きの説明碑があります。この写真は関田克孝氏が撮影したもので、私も所持している『玉電が走った街 今昔』(林順信編著。1999年、JTBパブリッシング刊)から転載されています。吉沢橋については次のように説明されていました。

 「この橋は関東大震災直後1924年(大正13年)玉電・砧線の開通に合せて架けられた鉄道橋でした。砧線は、現在の二子玉川駅と砧本村を結ぶ約2.2kmの路面電車で、人々の通勤・通学手段としてだけでなく、関東大震災復興のため多摩川の砂利を都心方面に運搬するため大きな貢献を果たしました。しかし、その後車社会の到来とともに路面電車は姿を消すこととなり、1969年(昭和44年)玉電は世田谷線を除き全線廃止となりました。廃止後は道路橋として世田谷区に移管され今日に至っています。この度、野川の河川改修に合せて上流の吉澤橋と新吉澤橋を統合し、新しい吉澤橋に掛け替えました。

 平成19年3月」

 昭和36年を西暦に直せば1961年ですから、今から63年前の風景ということになります。今では野川の両岸に住宅が建ち並んでいますから、想像する、あるいは思い返すのに苦労するかもしれません。右側に進めば砧本村、左側に進めば中耕地、二子玉川園でしょう。

 なお、少しばかり補足をしておくと、砧線は鉄道線であって軌道線ではありません(当初は軌道線でしたが、1945年に鉄道線に転換されています)。また、二子玉川駅周辺はともあれ、中耕地駅から砧本村駅までは併用軌道ではなかったようです。ただ、玉電タイプの車両が使われていたことは確かであり、それが「路面電車」と表現されたのでしょう。

 砧線の跡は、吉沢橋交差点で終わる花みず木通りに続きます。交差点から中耕地に向かうところで歩行者および自転車の専用道路となりますが、そのカーブが電車にはかなりきついものとなっています。砧線は1両編成であったので減速程度で済んだのでしょうが、現役当時に「連結2人乗り」が行われていた玉川線および世田谷線の2両編成では曲がることができなかったかもしれません。宮崎台駅構内の電車とバスの博物館に保存されているペコちゃんことデハ200形では無理であったことでしょう。下高井戸駅の急カーブよりきついのではないかと思われる程ですから。

 上の写真に登場するモニュメントは吉沢橋交差点から中耕地駅跡に向かう途中の玉川三丁目側にあります。花みず木通りの辺りは閑静な住宅街ですが、車道が何とか自動車一台が通れるほど狭く、トラックやバスは到底無理、救急車や消防車でもどうだろうかと疑いたくなるのに対し、歩道は車道の倍程あるだろうというほど広いので、歩きやすいとは思います。ただ、付近の住宅に置かれている車を見ると3ナンバーが多かったので、よくこんな道路を走ったりすることができると感心しました。私が住民であったならば軽自動車を選びますし、それ以前に購入しないという選択肢を採るかもしれません。なお、玉06系統など、東急バスおよび小田急バスは、この花みず木通りの南側を並行する中吉通りか、さらに南の都道11号を走ります。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 用賀の世田谷ビジネススクエア | トップ | 2024年立夏の兵庫島 その1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まち歩き」カテゴリの最新記事