青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

昭和の懐かしい「牛乳瓶受け」

2021-04-03 | 昭和・思い出は色褪せない

僕の小学生入学写真を見ていると、今では見なくなった「モノ」を見つけました。それは「牛乳瓶受け」です。

隣の家の玄関についている「牛乳瓶受け」は、木製でした。昔はどこの家にもありました。

しかし、この高さに固定して、牛乳瓶を配達して入れたら、結構な重さですね。当時は2本とるのが一般的でした。

我が家は「雪印牛乳」を2本とっていましたが、友達には「コーヒー牛乳」や「フルーツ牛乳」をとっている人もいて、羨ましく思いました。僕もねだりましたが、「値段が高いからダメ」とハッキリ言われました。

高校~大学時代にプロティンを混ぜて、1日1リットルの牛乳を身体作りのために美味しく飲めたのは、この時の躾の賜物でしょうか?(笑)


妖精・オリビア・ニュートン・ジョンが目の前に!

2021-04-03 | 素晴らしかった興行・イベント

海外や日本中を仕事で飛び回っていると、多くの著名人に出会います。自分が興味のある人や好きな人に会えると、本当に嬉しいものです。飛行機ならファーストやビジネスクラス、新幹線ならグリーン車を使っているから、そういう出会いも多いのでしょう。

僕が、オリビア・ニュートン・ジョンのステージを初めて見たのは、1976年12月3日・大阪フェスティバルホールでのコンサートでした。S席2800円のチケットは、当時の僕には高額チケットでした。自分のお小遣いで初めて買ったチケットでした。それまでレコードでしか聴いたことの無かった彼女のステージ。白いドレスで子ウサギのようにステージを歩き回る姿は、まるで妖精のようだったのを覚えています。

そして同じ月の大晦日の紅白歌合戦の裏番組では、彼女のコンサートが放送されました。こちらは日本武道館のステージでした。1時間枠の放送でしたが、会場では小さな姿でしか見れない彼女を、じっくり見ることが出来ました。

当時はセットリストをメモするなんてことをしていませんが、分かる限りの曲を記しておくと(順不同)

Take Me Home, Country Roads
Air that I breath
Don't Stop Believin'
Let Me Be There
Pony Ride
Never the Less
As Time Goes By
Love is Alive
New Born Baby
Something Better To Do
Jolene
Have You Neber Be In Mellow
If You Love Me
I honestly Love You

1978年10月24日の来日公演にも行きました。場所も同じ大阪フェスティバルホール。チケット代はS席3800円に値上がりしていました。

そして本物の彼女に会えたのは、2003年4月。25年ぶりの彼女の来日コンサートの時でした。イルカ騒動があり、80年の映画ザナドゥやフィジカルの大ヒットもありましたが、結婚、がん、出産を経験したオリビアは、かつてのアイドルシンガーではありませんでした。

東京フォーラムでコンサートを行ったオリビアは54歳。客席には杏里の姿もありました。街中でのオリビアを、かつての「クリスタル・ボイス」オリビアと気がつく人はいませんでした。カメラで写真を撮りまくる彼女は、少女のようでした。

新幹線で偶然会うことが出来、ほんの少しですが言葉を交わすことも出来ました。



キャリアの中で彼女が1番楽しかった思い出は「シーン・ケリーとジョン・トラボルタと踊れたのは、女性としてラッキーでした」。彼女の人生で大切なものは「1番大切なのは娘。そしてこれまでの恩返しとして、誰かの助けになること。それと平和を見つけること。人の心が平和になれば地球も平和になると思います。」

「オーストラリアで音楽活動はスタートしたの。そしてイギリスへ行き、それなりに成功したわ。そしてアメリカに憧れたの。そんな時、ヘレン・レディに“アメリカで成功したいなら、アメリカに住むしかない。”と言われたんです。そのアドバイスに従って大成功したの。イギリスでコンテストに優勝出来ず、仕事もプライベートもうまく行かなくて決意したの。アメリカ行きを。人生の選択は本当に重要だわ。」彼女の成功の源は、無意識の内に下した彼女の決断と、失意だったのです。恵まれたサクセスロードを歩んできた女性ではありませんでした。

最後に・・・彼女が日本のファンに1番言いたいことは、「本当に長い間、応援してくれてありがとう」・・・この飾らない一言でした。