青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

“謎の”ラジオ放送

2021-04-16 | 昭和・思い出は色褪せない

昔、中学生の時に「MBSヤングタウン」や「ABCヤングリクエスト」を聴くのに、ラジオをチューニングしていると、いろいろな聞き苦しい雑音が入って来ました。誰にでもお分かりなのは、「北京放送」だったと思います。

そういう日本の放送ではない、得体の知れない放送がいろいろありましたが、小学生時代に聞いたその中の1つが、平壌からの日本人向け放送でした。誰か(金日成だったのでしょう)の偉大な足跡のような内容の放送でした。

「北朝鮮は理想的な平等国家」だと、小学校の教師が、ホームルームで生徒に話していた時代です。😱「よど号ハイジャック事件」より前の事です。



その放送の最後には、必ず数字が流れました。オー(5)、サー(4)、サムシビル(31)というように。何かの暗号だと友人の親父さんが言っていました。そして、「こんな国が楽園のわけがない!この数字は暗号だよ」とも。

学校の先生よりも、いろんな経験をしている大人の方が、よほど物事を正しく理解していました。今の世の中で言えば、誰が発信しているのか分からないネットの情報などよりも、自分が経験から知ったことを信じろということ。いつの世の中も、情報の正しさを判断するのは難しいものです。

平壌からの放送、聞いたことのある人いませんか?これ都市伝説ではありませんよ。事実です。僕が子供の頃の話です。

1973年、発売と同時に買ったマックFFは、短波、中波、FMとスリーバンドが聴けたので、いろいろ楽しめました。


針山 ~71年も使っている裁縫道具

2021-04-16 | 昭和・思い出は色褪せない
実家でふと目に付いたミシンの横にあったもの・・
 
この針山は昭和25年、母親が中学を卒業後すぐに洋裁店に勤めた時、そこの先生が作ってくれたもので、それから今日まで71年間使われているものです。僕が物心ついた時からあるので、いつから使っているのかを訊いて判明しました。
 
 
指ぬきもずっと使っているもので、いつからかは分からないけど古いものです。ボタンを入れているカンカンは、僕が子供の頃に使っていた天花粉(ベビーパウダー)のもので、その当時からずっと使っているものです。
 
職人が道具を長く大切に使うということに、とても感銘を受けました。
 
僕は赤ん坊の時から母親の仕事を横で見ていました。仕事をしながらの母親が、文字の読み書きや計算を、物心ついた時から教えてくれました。母親の仕事場のゴミ箱に、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」のガムなどの付録のシールをペタペタ貼り、床に落ちているマチ針を見つけて拾っては、この針山に刺していました。
 
小学校の家庭科の授業での手での裁縫やミシンを使っての裁縫も、僕は先生よりも上手で周囲に驚かれました。針に糸を通して遊んでいたりしたので、1発で通す速さにも驚かれたのを思い出します。血のなせる業なのか、単に毎日見ていたからなのか・・。
 
親子の会話に花が咲きました。(笑)