青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

西城秀樹 ☆総数50枚以上の復刻CDリリースが決定!

2021-04-26 | 青春の音盤

2018年に亡くなっても、未だ人気の衰えない西城秀樹。今のタレント達と違って長身で、僕の小~中学校時代、女子の人気を集めていても腹も立ちませんでした。(笑)今も僕の友人の女性たちの中では、ヒデキの人気は抜群です。

中古レコード店に秀樹のレコードが並ぶ時、その値段たるや凄い高額。しかも保存状態も抜群。ファンがいかに大切に持っていたかが伺い知れます。しかし、レコードでは聴くことが出来ない人が多いのも事実。そんな今も熱いヒデキLOVEのファンの皆さんへのビッグ・ニュース。

2021年3月でデビュー50年目を迎えたヒデキ。その50周年に合わせて、オリジナルアルバム、ライブアルバム、カバーアルバムなどなど、総数50枚以上の復刻リリースが決定!今後2年間にわたって順次発売していくことになりました。

復刻第1弾は、早くも2021年 6月18日 に発売。1stアルバム「ワイルドな17才」(’72年11月)、「青春に賭けよう」(’73年3月)、「エキサイティング秀樹」(’73年10月)「傷だらけのローラ」(’74年9月)、「恋の暴走 / この愛のときめき ~エキサイティング秀樹 Vol.5 」(’75年6月) の計5枚。

数十年の間、大切に保管されてきたというオリジナルマスターテープの音源に、世界で活躍するスタジオエンジニア・GOH HOTODA が最新デジタルマスタリングを施し、高品質な「Blu-Spec CD2」としてリリース。CDのパッケージも、オリジナルのアナログレコード発売当時を思わせる紙ジャケット仕様を採用。

続く復刻第2弾は、2021年9月には6枚目以降のオリジナルアルバムを発売予定ということで、ヒデキファンは今後2年間は嬉しい悲鳴を上げつつ、財布と相談するという日が続きそうです。

昨年12月末に発売した「少年隊」のDVD-BOXは、現在既に完売!オークションに出ればプレミア価格になっているだけに、ヒデキファンは可能な限り予約した方が良さそうですね。

ヒデキのDVD-BOXなどをソニーミュージックで購入して来た方は、今回もそちらからなら購入すれば、ポイントも使え特典も付きますよ。

ワイルドな17才
オリジナル発売日:1972/11/5
品番:DQCL-3701
収録曲:
1:恋する季節
2:君と僕と恋と
3:若いふたりの海
4:チャンスは一度
5:愛がほしいのに
6:ラブ・ミーいつまでも
7:恋の約束
8:メドレー(時には母のない子のように~いつも神の御心を)
9:母と子の絆
10:好きになった女の子
11:君を忘れない

青春に賭けよう
オリジナル発売日:1973/3/25
品番:DQCL-3702
収録曲:
1:青春に賭けよう
2:恋の女神
3:できないよ!
4:子猫とネズミ
5:絶叫
6:奇蹟の薔薇
7:新しい朝
8:星から来た男
9:夏の日の出来事
10:旅は気ままに
11:神よ
12:泪の首飾り

エキサイティング秀樹
オリジナル発売日:1973/10/5
品番:DQCL-3703
収録曲:
1:情熱の嵐
2:別離の風景
3:奪いたい人
4:色づいた果実
5:君がいる限り
6:素足のふたり
7:ちぎれた愛
8:ふたりの秘密
9:野をかける少女
10:孤独のふたり
11:禁じられた恋
12:愛の犯ち

傷だらけのローラ
オリジナル発売日:1974/9/15
品番:DQCL-3704
収録曲:
1:傷だらけのローラ
2:季節のうつり変り
3:世界は僕らのもの
4:愛と友情
5:浮気なお前に
6:淋しがりやの君
7:激しい恋
8:涙がとまらない
9:悪夢
10:薔薇の鎖
11:君と自由に暮らせたら
12:昼下がりのバラード

恋の暴走/この愛のときめき~エキサイティング秀樹Vol.5~
オリジナル発売日:1975/6/25
品番:DQCL-3705
収録曲:
1:恋の暴走
2:さよならの宿命
3:海辺の駅へ
4:青春の挽歌
5:灼熱のサンバ
6:ブギインザブギ
7:この愛のときめき
8:夕やけ雲
9:愛の叫び
10:土曜の夜
11:翼があれば
12:悲しき誕生日


鈴木英人氏のイラスト・カセットレーベル

2021-04-26 | こんな「モノ」ありました!

FM雑誌には必ず付いていた、カセット・レーベル。

雑誌「FM fan」や「週刊FM」の付録レーベルは、「こんなデザインのものを、自分のお気に入りのカセットに使う人がいるの?」と思うような絵やデザインのもの、今で言う著作権フリーのどこにでもあるような景色の写真が主流でした。

ところが後発の雑誌「FM STATION」は違いました。今となっては80年代を代表する鈴木英人氏のイラストを、表紙やカセットテープ・レーベルにしたのです。これでFMオタク以外の層も、FMに参入!雑誌の売上は伸びました。

ところが、更なるFM黄金時代の到来・・とはなりませんでした。

結果的には一般リスナーが、曲を頭から最後まで流すスタイルよりも、情報やDJのお喋りを求めたせいで、FMも民放ラジオと同じように、曲が途中でDJトークに切られたりして、マニアの録音向きではなくなってしまい、エアチェック文化の崩壊を呼んでしまいました。

しかし、街で広がったレンタルレコード、レンタルCDも、マニア向けや海外アーティストのレンタルは不可だったりして不便を感じている間に、ダウンロード、配信と音楽文化のあり方はどんどん変わり、高音質な無料視聴の方法や楽しみは70~80年代のような繁栄を失い、TVから音楽番組が消え、大勢が1つの楽曲を聴く機会が失われました。結果、昔のように年齢を問わず誰もが知る本物のヒット曲や、時代を代表するヒットが生まれなくなりました。

ラジオ~FM放送の黄金時代に流行した、懐かしい鈴木英人氏のイラスト・カセットレーベル。まだ持っています。


昭和の「ままごとあそび」

2021-04-25 | 昭和・思い出は色褪せない

これぞリアル「三丁目の夕日」の世界。何と僕が「ままごと」中!(写真中央ゴザの上の男の子が僕。)

母親が2階の物干し(ベランダ)から撮影。

み~んなご近所の子供たち。年齢もバラバラです。地面は勿論アスファルト舗装ではありません。だから地面に釘を刺して陣地取りをしたり、穴を掘ってビー玉遊びに興じたり出来ました。

子供の頃に、男の子も女の子も一緒になって、年齢もバラバラの子供たちが一緒に遊ぶことで、僕らは社交性、上下関係、いろんな知識を身に付けて来ました。今の母親の監視の下で公園で遊ぶのとは違い、子供同士であちこち行動範囲を広げたり、人の家に上がり込んで挨拶を覚えたり、毎日が学びの刺激に満ち溢れていました。

子供たちには上下関係があり、みんな平等なんていう子供社会ではありませんでした。ズルいこと、人の嫌がることをすれば報いを受ける。誰もが自分の長所を活かして、みんなの輪に自分から入っていかなくてはならない子供社会がありました。親や先生が「みんな仲良くしなさい」と言っても、どんくさい子、暗い子、自分から行動しない子は輪の外へ追いやられる。子供は残酷でした。

今は時代が変わり、子供社会も変わりました。大人たちが子供の安全を求め過ぎて、子供の成長を止めてしまったと僕は感じます。みんなが同じを良しとしてしまい、外で遊ぶ場所も遊ぶ仲間も少なくなる時代の変化もあって、子供たちは身体を動かすこと、大勢の輪の中に入る機会を失い、ゲームに走ってしまいました。今の子供たちと昔の子供たち、逞しさが全く違います。生命力を感じたのは、明らかに昔の子供たちです。

馬飛びが危ないと禁止になったし、今の若い人たちは、壁に向かって両手を広げて立ち、背後からボールを身体スレスレに壁に投げつけられ恐怖を味わう罰ゲーム「はりつけ」や「死刑」なんて言葉を知らないのではないでしょうか?


百貨店 お菓子売り場

2021-04-24 | 昭和・思い出は色褪せない

いよいよ明日から3回目の緊急事態宣言。多少の不便や閉塞感、政策への批判もあるでしょう。しかし、自分と自分の大切な人の命を守るためだと考えれば、当たり前のこと。某国が本当にミサイルを撃ってきたら、誰もがシェルターを求めたり、狙われた大都市から離れるハズです。変異ウイルスを慣れたからと舐めていたら、病院に入院出来なかった人たちが、数週間後に自宅で亡くなっていたのを発見・・というニュースを見ることになります。道端でマスクもせずに酒宴をしている人は、現在のインドの死者の火葬状況の映像を見ればいい。「明日のあなたの姿です」。

さて、いつもの懐かしいブログに戻りましょう。

百貨店についての僕の1番古い記憶は、地下の食料品売り場。そこにあった目方(重さ)で値段を決める、お菓子コーナーです。このテーブルが回転して、見ているといろいろなものが目に入って来る。近所の駄菓子屋のお菓子とは、随分品格が違うように感じました。ものすごい高級感というか、キラキラ輝いて見えました。

アラカンの方なら、こういう売り場は記憶に残っていると思います。僕は「ラムネ菓子」と「チョコ菓子」がお気に入りだった(と思う)のですが、皆さんは?

でも、なかなか両親が買ってくれなかった・・・ことを付け加えておきますね。(笑)


ブルーノート ~懐かしいジャズ喫茶(京都)

2021-04-23 | 昭和の喫茶店

僕と同じ青春時代を過ごされた方、少し年下の方でも、京都・河原町通りの「ブルーノート」を知っている方は多いと思います。

このお店は1962年に開店、名曲「レフト・アローン」のピアニスト、マル・ウォルドロン等の海外のジャズ・プレーヤーが、店内の狭いステージで演奏したこともあった、京都の老舗店でした。高校生の時に喫茶店として足を運び、とても入り難いお店でした。珈琲代もお昼なのにテーブルチャージを取られて、値段も高かった!大学時代に理解したのですが、ここはジャズ・バーだったのです。

社会人になってからも何度か足を運び、ここのステージでドラムを叩いたこともあります。

95年にオーナーが60歳の若さで亡くなった後も、お店はそのままの形で継続。僕が関東に出るまでは京都に行けば必ず寄っていました。僕の子供も小学生の時に連れて行っているのですが、覚えていないだろうな~。

東京から大阪に帰って来た10年前に訪問した時、ピアノの鍵盤を模したカウンターも、ブルーノートのレコードのレーベルをデザインしたコースターも、3000枚と言われるレコード棚も、何も変わらず健在でした!しかし、店番の兄ちゃんが、「レコードのかけ方が分かりません」と、CDで誤魔化したのは許せなかった。(笑)マッキントッシュのアンプやタンノイのスピーカーが泣いていましたよ。💦「禁煙」のご時勢に逆行するように、喫煙がOKだったのは仕方が無い。僕も最初にここを訪れた時は吸っていましたが、僕が止めただけのこと。

お店の入り口から、お店そのものが、高校時代と最後に訪れた2015年とで、ほとんど変わっておらず、まるでタイムスリップしたように感じることが出来る雰囲気が嬉しいお店でした。京都・河原町通りにありましたから、足を運んでいた方もいらっしゃるのではないかと思いますが、誰か思い出をお持ちの方いませんか❓

そんな名店でしたが、惜しくも2016年2月に閉店。理由は集客数の減少。でも、その後オーナーの実家のある奈良に移転し、現在もそちらでは営業しているそうです。京都のジャズ喫茶も、残りはほんのわずか・・。