チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

関西歌劇団、朝比奈隆指揮の「蝶々夫人」(1954年)

2015-09-08 23:34:36 | 蝶々夫人

↑ 関西歌劇団の「蝶々夫人」(再演)のパンフレットです。1954年7月22、23、24日。宝塚大劇場にて。

戦後、東京では藤原歌劇団、二期会などが活躍していましたが、関西では朝比奈隆氏が中心となって発足した関西歌劇団が頑張っていました。

↑ 関西交響楽協会がオーケストラと楽譜を提供し、東洋レーヨンの絶大なる後援により衣装を借りずに済んだためリッチ!



舞台では常に「よくわかるオペラ」をモットーに、この公演では、朝比奈隆氏自身が歌詞を口語訳し、しかも実際に歌ってみて、発音上明瞭になるよう改訂を重ねたということです。朝比奈版、きいてみたい。もしかして関西弁?

また、この公演では東京からの客演歌手を一人も呼ばずに関西人のみで上演したそうです。



以下、キャストです(敬称略)。


【蝶々さん】浜田洋子、樋本栄、小島幸
【ピンカートン】竹内光夫、木村彦治

 


【スズキ】市来崎のり子、木村斗伎子
【ゴロー】木村四郎

 


【シャープレス&ボンゾ】横井輝男、楯了三。。。シャープレスとボンゾを同じ歌手に歌わせて省力化を図っているわけですね。
【ケイト・ピンカートン】木村絹子、渡辺?子(漢字が出ません。画像参照↓)

 


【ヤマドリ】多田敦彦
【勅使】太田一夫



写真を見るとまるで歌舞伎のような舞台ですね。演出や衣装・装置の面にもその時代の考証の上に立ったリアルな表現に努め、不自然で観る人が納得のいかないようなことは徹底的に排除したらしいです。

。。。あと、勝手言ってすみませんが、個人的には渡辺さんの蝶々夫人がよかったのではと思います!?

 

(参考↓)第一回公演は椿姫だったんですね。



(関西の昔の歌手たちにはあまり馴染みがありませんが、情報を追加していきます。)


二期会・藤原歌劇団「蝶々夫人」競演~6組の主役(1958年)

2015-04-12 17:21:35 | 蝶々夫人

アサヒグラフ別冊「映画と演芸」昭和33年3月25日号によると、労音(東京勤労者音楽協議会、当時会員7万人)のバックアップで二期会と藤原歌劇団が2ヶ月にわたって「マダム・バタフライ」を31回上演したということです。

↑ 第1幕より。

当時の二期会と藤原歌劇団の主役を洗いざらい繰り出しての上演で、結果的に日本のオペラ界の代表者たちの競演になった、と記事にはあります。

 

以下の画像は6組の蝶々さんとピンカートンです。上から順に第1幕の「愛の二重唱」、第2幕第1場の「ある晴れた日に」、第2場の「さらば、愛の巣」。

【二期会:4組】
柴田喜代子(しばたきよこ、1924-2005)
柴田睦陸(しばたむつむ、1913-1988) ご夫婦での出演。↓

 


大熊文子(おおくまふみこ、1918-2003)
堤温(つつみすなお)↓

 


毛利純子(もうりじゅんこ)
島田恒輔(しまだつねすけ)↓

 


伊藤京子(いとうきょうこ、1927年生まれ)
渡辺高之助(わたなべたかのすけ、1919-2003)↓

 


【藤原歌劇団:2組】
砂原美智子(すなはらみちこ、1923-1987)
宮本正(みやもとただし、1919-2014 宮本文昭氏の父)↓

 


大谷洌子(おおたにきよこ、1919-2012)
藤原義江(ふじわらよしえ、1898-1976)↓





。。。二期会も藤原歌劇団もお互い負けないように頑張ったでしょうね!(ただ、キャストを変えたとはいえ、31回も上演して飽きなかったんでしょうか?)

ところで画像だけで声は聴けないけどどの蝶々さんがお好みですか?やっぱり可憐な蝶々さんがいいですね~


プッチーニ「蝶々夫人」に出てくる日本の歌と田邊尚雄

2014-09-27 15:54:16 | 蝶々夫人

プッチーニに日本の歌の楽譜を送ってあげたという音楽学者田邊尚雄氏(1883-1984)ご本人がプッチーニとのやりとりについて書かれていました。(音楽之友昭和25年12月号)

「一体何うしてプッチニから私に手紙が来たのかというと、その頃徳川頼貞(※1)さんがイタリーへ漫遊された時にプッチニに逢い、談隅々『お蝶夫人』のことに及び、プッチニは徳川さんに『此のオペラは日本音楽の旋律を採り入れたが、今から考えて見ると失敗であったと思う。それは当時は日本音楽の神髄を知らなかったからだ』と話されたという。それで『これから後に東洋の材料を用いて新しいオペラを作る場合には、東洋音楽に精通された人に相談をして、充分な資料を提供してもらいたい。頂度今一つ新らしい東洋のオペラを作って居るから(※2)、誰か然るべき学者を紹介してもらいたい』ということであった。徳川さんは『それには幸い私の友人に田邊尚雄という東洋音楽の研究家がいるから、此の人を紹介しよう。早速私から手紙を出して東洋音楽の楽譜を送ってもらうようにします』と答えられたら、プッチニも非常に之を喜ばれたという。

 そこで徳川さんから早速私に手紙が来て、『之々の理由でプッチニへ至急東洋音楽の代表的なものの楽譜を成るべく沢山送ってもらいたい』という依頼であったので、私は大至急に日本の雅楽や中国音楽の代表的なものの楽譜を取敢えず二十曲ばかり纏めて別封として送り、別に之等の曲の解説を英文で認めて書状にて封じて送った。そこで前記の如くその返状としてプッチニから私にあてて手紙が来た次第なのである。

(註 楽譜はスパイの手紙と間違われ、遂にプッチーニの東洋オペラは再現出来なかった。)

田邊尚雄」


※1 徳川頼貞(1892-1954) 音楽学者。
※2 トゥーランドットのことではないのか?

このブログの記事「蝶々夫人」に続く日本オペラ第2弾?(実現せず)では「蝶々夫人」に日本の歌が出てくるのは田邊氏が楽譜を送ってあげていたためと書きましたが、実はそうではないようですね。プッチーニは一体どうやって日本の歌を知ることになったのでしょうか。

(追記)音楽之友社『学生の音楽事典』(昭和32年発行)の「お蝶夫人」の項には、「プッチーニは駐伊公使、大山綱介夫人から、日本に関する材料を入手し、オペラの中に「君が代」「越後獅子」「さくらさくら」「かっぽれ」「元禄花見踊り」「宮さん宮さん」などの旋律を入れている」、とあります。

 

↑ 三浦環(1884-1946)の蝶々さん。カワイイ!昭和11年歌舞伎座にて


プッチーニ:「蝶々夫人」に続く日本オペラ第2弾?(実現せず)

2014-05-24 17:41:15 | 蝶々夫人

プッチーニのオペラ「蝶々夫人」って1955年に日伊合作の映画になっているんですね。

配役は蝶々夫人(八千草薫)、スズキ(田中路子)、五郎(高木清)、坊主(小杉義男)、ヤマドリ(中村哲)、ピンカートン(二コーラ・フィラクリデ)、シャープレス(フェルディナンド・リドンニ)ということで、是非見てみたいです。

↓その映画の宣伝用イラスト(国際文化画報1955年3月号より)

↓ピンカートンの野郎~っ!

ところでこの蝶々さんには日本の歌が結構出て来ますが、音楽学者の田辺尚雄氏(1883-1984)がプッチーニに日本の曲の楽譜を送ってあげていたんですね。

プッチーニは「蝶々夫人」を書いたあとで、日本を素材にしたものをもう一曲作ろうと思ったので、資料として日本的な特色のある楽譜を送ってほしいと田辺氏に再び依頼してきたそうです。

田辺氏はいろいろ取り揃えて送ったが届いたという返事はプッチーニからなかったそうです。

ちょうどこの頃第一次世界大戦にあたっていたので検閲にひっかかり、開いてみたら見慣れない楽譜が出て来たので、これは怪しいと弾いてみると、まるっきり聞いたことのないような不思議な音がしたので、てっきり暗号ということで没収されてしまったのだろうというわけなのです。(武川寛海著『続音楽史の休日』音楽之友社214-215ページ)。

 

もう一つ、プッチーニが日本を舞台としたオペラを作っていたとしたらまたかわいくてかわいそうな女性が出て来てたんでしょうか?実現しなくてつくづく残念です。

(追記) 田邊尚雄さんご本人によると、ちょっと事情が違うようです。→プッチーニ「蝶々夫人」に出てくる日本の歌と田邊尚雄


プッチーニ「蝶々夫人」初演大失敗の中の救い

2014-04-19 23:47:20 | 蝶々夫人

 プッチーニの「マダム・バタフライ」の初演(1904年2月17日水曜日、ミラノ・スカラ座)はこれ以上ないほどの悲惨な大失敗だったらしく、そのためこの新作の上演はその晩限りでひとまず中止されなくてはならない羽目に陥りました。

 ところがその頃ジェノヴァの町に一人の熱心なプッチーニ崇拝者がいて、この出来事に憤慨した上、折しも生まれたばかりの娘の名前を「バタフライ」とつけて市役所に届けました

 これを見た市役所の係員が「失敗を記念するような名前を付けるのはやめた方がいいのでは?」と言ったのにもかかわらず、その人は結局頑張り通しました。

 するとこの出来事を耳にしたプッチーニは大変この純粋な真心に感動して、ぜひその赤ちゃんを見たいと言ったのだそうです。

 そこで約束の日に、このプッチーニ崇拝者はバタフライちゃんだけでなく、一族の全員を引き連れてやって来ました。

 そのあとでプッチーニは「あれほど大勢の客に接したのは生まれて初めてだった」と笑って言ったということです。その後、この歌劇はわずかな改訂を加えられて再演され非常な成功を収めました。

(大田黒元雄『洋樂夜話』大正14年より)

バタフライちゃんはきっと幸せに育ったことでしょうね!