チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

金沢ピアノ塾の金沢孝次郎氏(1961年)

2017-11-17 23:32:50 | 日本の音楽家

『文藝春秋』1961年9月号よりSONYのオープンリール・ビデオレコーダーの広告です。



写っている先生はピアニスト・教育家の金沢孝次郎(かなざわ こうじろう、1898-1969)氏。ピアノ教育界では有名なかたのようです。



金沢氏が大阪西成区に開いた金沢ピアノ塾ではビデオカメラとビデオコーダー「CV-2000」が活躍していたんですね。先進的。

金沢氏に関する情報をここに追加していきたいです。


シューマンの霊の願いにより発見されたヴァイオリン協奏曲

2017-11-15 16:46:31 | メモ

大作曲家の降霊術はローズマリー・ブラウンだけではありませんでした。



以下、『芸術生活』1969年6月号より(一部変更してあります)。

------------------------

ことの起こりは英国の作家、ジョゼフ・マクロード(Joseph MacLeod, 1903-1984)著の伝記『ダラーニ姉妹(The Sisters d'Aranyi)』が1969年に出版され、この中でシューマンのヴァイオリン協奏曲が死後世に出た不思議な物語を明らかにしたのが始まり。

シューマンは1856年に没したが、その3年前の1853年秋、ハンガリーのダラーニ姉妹【姉妹ともヴァイオリニスト】の大伯父に当たるヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831-1907)がベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を名演奏したのに感激して自分もヴァイオリン協奏曲を作曲した。しかし生前演奏される機会がなく、死後も関係者がその終楽章に難色を示したため、結局、彼の作品集には収められずに永久に闇に葬られる羽目になった。

1907年ヨアヒムが死んだとき、姉のアディラ(Adila d'Aranyi, 1889-1962)も妹のイェリー(Jelly d'Aranyi, 1893-1966)もこうした事情は少しも知らなかった。

ところが1933年、イェリーがコップで霊媒のお告げをいただくという、当時流行したゲームをしているうち、突然思いもよらぬシューマンからの伝言が届いたもの。自分のヴァイオリン協奏曲があるから、それを死蔵せず公開してほしい、とシューマンの霊はイェリーのコップを動かして、つぎつぎテーブルの上のアルファベット文字を示してハンガリー語まじりで自分の思いを訴えた。

シューマンのヴァイオリン協奏曲の楽譜は1937年にヨアヒムの蔵書から見つかり、同年初演された。

------------------------

。。。コックリさんみたいなもんだったんでしょうか。

Wikipediaの記述「アディラ・ファキーリは妹イェリー・ダラーニと同じく、心霊主義や交霊術に興味を持っていた。1933年3月にロンドンで交霊術に参加した際、ローベルト・シューマンの亡霊が現れ、『シューマン本人やヨアヒムの肉声』によって《ヴァイオリン協奏曲》が二人の姉妹に託されたという」とかなり違います。

この件、もう少し詳しく調べてみたくなりました。


指揮者・渡邉暁雄の妻・信子さんと3人の息子さん

2017-11-12 00:25:22 | 日本の音楽家

【2014年7月31日の記事にご家族の写真を追加しました】

『主婦の友』1959年1月号より指揮者・渡邉暁雄(1919-1990)のご家族です。

↑ 左から二男規久雄さん、長男康雄さん、渡邊暁雄氏(当時39歳)、信子夫人(鳩山一郎の五女)、三男民雄さん。

↑ 東京・音羽の鳩山邸にて。音楽之友1956年1月号より。

 

渡邉暁雄指揮日本フィルのシベリウス交響曲全集(CD)を聴きました。1962年の一度目の録音です。聴く前は「きっと技術もイマイチで幼稚な演奏なんだろーなー」とか漠然と思ってたんですが、その予想は完全に裏切られました。日本でも半世紀前からこんなレベルが高く集中力のある演奏してたんですね。CD4枚イッキに聴いてしまいました。特に4番が緊張感が持続する素晴らしい演奏だと思いますた。渡邉暁雄、すごいです!



週刊朝日昭和29年(1954年)2月14日号に、渡邉氏が35歳の頃の、奥さま信子さんへの感謝の気持ちが「内助外助」と題して掲載されていました。シベリウス録音の8年前ですね。

「米国に留学中、当時二つの長男を連れて後から来た家内は毎日のように出掛けて草月流生花を米人、邦人一世二世などに教えていた。僕が学校に行ってる間は家内が子供の面倒をみて、帰宅すると教えに出掛けるので僕が子供の世話をする。つまり、まったく僕の勉強のために毎日を家の内外で働いて居て貰ったわけである。今日でも二人の悪戯坊主(※1)の世話の他に、僕の演奏会があるというと頼みにあちらこちら飛び回ったり一生懸命手紙を書いたりして、情無いけど現状では必要な事である"切符売り事業"に奔走してくれる。いろいろ考えると頭の上るはずはないのにその僕を亭主関白に振舞わせて良い気持にさせて置くところなど、どうも僕よりも人間は一枚上らしい。
 折角梅原先生(※2)の薫陶を受け上野の美校(※3)を開校以来最初の女子卒業生として出たのに、心ならずも、まったく僕本位の生活に入って貰う結果になってしまって、稀にしか絵も画けず、淋しい面も多いだろうと思い、感謝と申訳ない気持を家で直接言うのは癪にさわるから、この際に公式に表明させて戴こう。」

※1 長男・渡邉康雄(指揮者)、次男・渡邉規久雄(ピアニスト)。下の写真はどちらでしょうか?
※2 梅原龍三郎(1888-1986) 洋画家。
※3 東京美術学校(現:東京芸術大学)

この奥さまあっての大指揮者・渡邉暁雄だったんですね!

 

↓ 仲良きことは美しきかな (音楽之友昭和23年11月号)


ヴァイオリニスト・江藤俊哉とご家族(1965年)

2017-11-03 22:54:17 | 日本の音楽家

日本が生んだ天才ヴァイオリニストかつ優れた教育者である江藤俊哉(1927-2008)さんの奥さまとお子さんたちです。 

↑ 左から夫人でヴァイオリニストの江藤アンジェラさん、江藤氏、マイケル君(当時8歳)、カーティス君(9歳)。

『婦人之友』1965年12月号より。

↑ 1979年の雑誌より