チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

マーラー「復活」:合唱練習参加の感想とギルバート・キャプラン

2015-10-31 20:17:49 | 第九らぶ

自分のことですみませんが、ことしの年末はもちろん第九も歌うけど、別団体の「マーラー復活を歌う会」に誘われて、「参加しますっ」て即答しちゃったんです。以前CDで夢中になった曲だし、第九より歌うところが少ないからすぐマスターできるだろう、ぐらいに正直見くびっていたところがありました。

しかしながら、素人にとってはその難しいこと、予想を超えていました!(自分はテノール2)

そもそも、地元の第九の会は「やさしい」から指摘されたことがなかったのですが、自分は合唱団の一員としての発声が全然できていないことを思い知らされました。喉に力が入りすぎて耳障りな硬い声。。イチから出直し中。

次に第5楽章の合唱の出だし。アカペラなので、スーっと正しい高さの声を出すのが絶対音感ゼロの自分にはすんごく難しいし緊張で胃が痛くなります。直前のピッコロ、フルートの音を頼りにするしかなく、小さく「アー。。。」ってささやき声を出しつつ声の高さを忘れないようにキープしていたら他のパートの人にニラまれました。

そして何より、「復活」の最終楽章の最後は人を感激で泣かすように作られているため、合唱団側としても泣くのをこらえられない。。この前のオーケストラとの初めての練習のときは、オケが思ったよりずっと上手だったことも手伝ってラスト、聞かせどころの「生きるために死ぬんだ」からの、ただでさえ高くて裏声にならざるを得ない部分は涙と花ミズでオネエ声になってしまいました。本番前までに涙を涸らしておかねば。

ところで、今回の楽譜はギルバート・キャプラン版を使っています。例の、復活専門指揮者。



3番以降の曲を聴いてしまったあとは「復活」はガキっぽい音楽に思われ、キャプランって何故この曲に固執するのか?飽きないのか⁇とか生意気にも疑問に思っていたんですが、今回実際にナマ・マラ2の世界に少しでも入ってみて、キャプランさんの気持ちが判ったような気がします。思いだしてみると、自分にはマーラーの交響曲というか全クラシックの曲の中でも「復活」ほど感動させられた音楽は他にないんです。

ちょっと前にリリースされたヤンソンス・バイエルン放送響の感動的ライブCDでもこの版が使われているし、キャプランさんの行動は決して道楽息子の余興ではなかった!?

↑お顔もマーラーに似てきました

キャプランさんは2016年1月1日にお亡くなりになりました。でも間違いなく復活してますよね。


ピアノ2題~スタインウェイ、ベーゼンドルファー

2015-10-31 00:13:47 | 楽器

アメリカの雑誌"Theatre Magazine"1920年3月号から、スタインウェイの広告です。


神々の楽器(The Instrument of the Immortals)。

このピアニストは誰でしょうか?

 


次に、アサヒグラフ1958年8月23日号より、ベーゼンドルファー製の「革新的な」ピアノです。

↑ 草月会館にて。57年前だけどまだあるかな?

記事によると、このピアノは1956年、ウィーンの産業デザイン委員会が革新的なピアノを目指してデザインを公募し、最優秀なものをベーゼンドルファー社に生産させたものだということです。

カラーもさることながら、前足が何かをお願いしている揉み手もしくは昆虫を連想させてカワイイ!


ブルックナーの恋

2015-10-29 20:31:41 | 日記

アントン・ブルックナー(1824-1896)はロリコンだったという噂です。実際にはどうだったのかを調べていると『音楽家の恋文』(クルト・パーレン著 池内紀訳 西村書店)という素晴らしい本に出会いました。

モーツァルトからベルクまで27人の作曲家の書いたラブレターについて書かれているんだけど、ブルックナーの章、むっちゃ薄っ!

『アントン・ブルックナーは九度、相手の愛を願った。そして九度、拒否された。』

1851年【27歳】ルイーゼ・ボーグナー16歳
1866年【42歳】ヨゼフィーネ・ラング17歳
1869年【45歳】カロリーネ・ラープル17歳
1885年【61歳】マリー・デマール17歳
1889年【65歳】リーナ・オーピツ18歳
1890年【66歳】?・ヴィースナー17歳
1891年【67歳】イーダ・ブッシュ19歳
1891年【67歳】ミーナ・ライヒル18歳
1892年【68歳】アンナ・?16歳

 

この中でイーダちゃんとだけはうまくいきかけたらしいのですが、彼女はプロテスタントだった(ブルックナーはカトリック)のでダメになったらしいです。。惜しい

しかし、この作曲家の音楽と同様、純粋かつ一貫して同じところを目指しているような気がします。

『九つの愛は一つとして実らなかったが、かわりに九つの交響曲がこの世に生まれた。』

 

↑ 成熟した女性から目を反らしている、との冗談を囁かれ続けるウィーンの市立公園にある胸像

(2013年11月29日の記事に属啓成氏撮影の写真を追加しました)


「もうピアニストはいらない」(題名のない音楽会、1983年)

2015-10-28 23:12:05 | メモ

フォーカス誌1983年2月4日号より「もうピアニストはいらない」と題された記事からです。

↑ 1983年2月6日に放映された「題名のない音楽会」です。パソコンにピアノを弾かせての「皇帝」。荒谷俊治指揮東京交響楽団。

高澤嘉光氏(当時・電気通信大学助教授)が制作したコンピュータ・プログラムによるそうです。今から32年も前なのにすごい!

でもどうせなら「皇帝」だけでなく、人間では演奏不可能な、88鍵を同時に叩くとか、65536分音符連打、みたいなピアノが壊れそうな曲もやってもらいたかったです。

どっちにしろ最初からどんな音を出すか決まっててハプニングのなさそうなコンサートは面白くないから行きたくない~。ピアニストがいらない時代になってなくてよかった!


サン=サーンス~銅像と最後の演奏会出演

2015-10-25 23:45:58 | メモ

『レコード音楽』1935年10月号に、サン=サーンス(Camille Saint-Saëns, 1835-1921)の写真が2つ載っていました。

↑ 1900年、アルリー・キャリュエット(Arly Caruette 綴り?前列右)夫人がサン=サーンスの銅像を作って贈呈しました。画像はディエップ (Dieppe)における贈呈式です。サン=サーンスが見上げています。

ディエップのどこでしょうか。これ? 設置場所を移動したんですかね。

 

↑ 1913年11月6日、欧州大戦出征兵士義捐演奏会に出演したサン=サーンス。これが彼の最後の演奏会出演になったそうです。指揮はピエール・モントゥー。GAVEAU(ガヴォー)のピアノ。

。。。サン=サーンスって長生きしたんですね。