チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

【追悼】飯守泰次郎、5年ぶりに帰国(1970年)

2023-08-17 09:26:00 | 日本の音楽家

【飯守泰次郎氏は2023年8月15日にお亡くなりになりました】

音楽の友1970年8月号から「飯守泰次郎5年ぶりに初帰国」という記事です。



↑ 1969年のカラヤン国際指揮者コンクールに4位入賞した飯守氏が5年ぶりに帰国して読売日響の7月定期と8月特別公演を指揮。



「彼の海外での5年間のうち、2年間は下積みに努力し、後半はオペラの仕事を中心に研鑽を重ねてきたが、その成功ぶりは、現地の新聞批評などでも裏付けされている。」とあります。努力家!

上の写真も若くていいけど、今の飯守さんのほうがカリスマ性があって数倍カッコええ!



ちなみに自分はこの前、"ブルックナー交響曲ツィクルス最終回"をオペラシティに聴きにいきました(もちろんプレ・トークにも間に合うように)。



前半のテ・デウムにも、後半の9番にも、その誠実性あふれる音楽にいたく感動。日本人にはやっぱし日本人のブルックナーや!



テ・デウムでは特に合唱団がすばらしかったことは合唱団退場時の聴衆の大きな拍手が物語っていました。相当練習を重ねたんでしょうね。

後半の9番も周囲のお客さんたちがグスグス泣いていて、第3楽章では集団心理で(?)自分もとうとう我慢できず涙腺崩壊。客席最前列の、有名なサスペンダーおじさんが首を振り振り一生懸命聴いているのを見たからなおさら。おじさんはもはや音楽の一部なのか⁉︎



オーケストラ退場後も拍手が鳴りやまず、ひとり指揮者だけがアンコールに応えるあたり往年の朝比奈隆さんみたいでした。

いま、こんなに聴衆が熱狂する日本人指揮者がほかにどのくらいいるんでしょうか?引退とか言わずにカリスマッシュな音楽をこれからも聴かせていただきたいです。


練習中の声楽家・田中路子(1954年)+オーストリア映画出演(1935年)

2022-08-20 17:24:09 | 日本の音楽家

【2016年4月22日の記事に田中路子さんの映画出演と引退公演の画像を追加しました】

アサヒカメラ1954年9月号から、神田生まれでヨーロッパで長く過ごした高名な声楽家・田中路子さん(1909-1988)の写真です。

この画像は、アサヒカメラの月例入選写真として紹介されており、三等賞になっています。

一等にも二等にも選ばれなかった理由は「力弱いのは、ピアニストの顔を出してしまったこと」であり、「田中路子の左腕のヒジのところから右を切り捨て、楽譜の左下の端から下部を切り落したら、グッと緊張した作品」になったという評が添えられています。

1枚の写真の構図としてはそうなのかもしれないけど、この外人ピアニストが誰なのか、もしかしたらダンナなのか?等の謎を残してくれた撮影者の名古屋の「内海薫」さんには感謝。

田中路子さんの練習現場にズカズカ踏み込むことのできたアマチュア写真家の内海さんってそもそも如何なるかたなんでしょうか?(調べます)

 

(追記)

アサヒグラフ1935年12月11月号より、田中路子さんが出演したオーストリア映画『恋は終わりぬ』(原題 'Letzte Liebe')の写真です。

ウィーンの音楽生活と悲しい恋愛を描いた映画。

田中さんと一緒に主演した役者(ピアノを弾く男性)は、なんと、シューベルト映画の名作『未完成交響楽』のシューベルト役、ハンス・ヤーライ(Hans Jaray, 1906-1990)。

 

。。。この映画、見てみたかったけど自分が検索した限りYouTube等にはありませんでした。残念。

 

【1962(昭和37)年引退公演】

↑ 「一応の」引退記念公演(1962年12月10日、日比谷公会堂)

たまたま同時に来日したベルリン室内管弦楽団の演奏会にも独奏者として出演されたそうです。

(『音楽の友』1963年2月号より)

ちなみにWikipediaには「1987年のサントリーホールにおける杮落とし公演の特別公演への出演が最後の出演となった。 」とあります。


オペラ歌手・佐藤美子、画家・佐藤亜土親子(1957年)

2021-08-22 10:57:33 | 日本の音楽家

『婦人倶楽部』1957年(昭和32年)7月号のワインの広告です。

写っているのは声楽家・オペラ歌手の佐藤美子さん(さとうよしこ、1903-1982)とご子息で洋画家の佐藤亜土さん(さとうあど、1936-1995)。

↑ 横浜のご自宅だと思われます。赤玉ポートワイン210円。

日本人とフランス人のハーフの佐藤美子さんは日本国内で初めて『カルメン』を演じ「カルメンお美」と呼ばれたそうです。 


昭和のピアニスト・属澄江(さっかすみえ)とザウアー

2021-05-05 20:16:36 | 日本の音楽家

ピアニストの属澄江(さっか すみえ、1910-2001)さんです。



この方は音楽評論家の属啓成(さっか けいせい、1902-1994)氏とご結婚されました。

ちなみに「属澄江」で画像検索するとサボテンの写真がたくさんヒットします。「エケベリア属 澄江」というのがあるらしいです!



昭和16年(1941年)5月5日日比谷公会堂においてリサイタルが開かれています。(『レコード音楽』1941年4月号より)



午後7時30分って、結構遅いスタートですね。

曲目はモーツァルト、ベートーヴェン(31番!)、シューマン、ショパンとナイスなバランスだと思います。



アンコール曲「音楽時計」(印刷されちゃってるけど?)の作曲者「ザウアー」というのはエミール・フォン・ザウアー(Emil von Sauer, 1862-1942)のことで、ネット情報によると澄江さんがウィーンに留学したときの先生だということです。

ザウアーはリストの弟子なので、澄江さんはなんと、リストの孫弟子!

↑ 前列右から3番目、リストのすぐわきに座っているのがザウアー(1884年撮影。属啓成『音楽史大図鑑』より)

 

【追記】属澄江さんの情報が音楽の友別冊『’76 日本の音楽家』に掲載されていました。

ステキな笑顔!福岡生まれの属さんは1934~1937年にウィーンに留学。

上記ザウアーのほかに、榊原直(さかきばら なおし, 1894-1959)、パウル・ショルツ(Paul Scholz, 1889-1944 東京で没)、パウル・ヴァインガルテン(Paul Weingarten, 1886-1948)各氏に師事。

1938年の日比谷公会堂を皮切りに1960年頃まで年一回の独奏会を開き、ラジオ等にも出演されました。

趣味は庭いじり、旅行、高原散策だということです。

【2015年12月17日の記事に情報を追加しました】


新日本フィルハーモニー交響楽団の知ってる人!?(1974年)

2021-02-22 02:31:11 | 日本の音楽家

音楽之友社『教育音楽(中学版)』1974年10月号から新日本フィル演奏会の画像です。指揮は秋山和慶氏。
新日本フィルは1972年設立なので、再スタート2年目くらいの頃ですね。



この写真をながめていたら、指揮者のちょうどうしろに知っている人が写ってる!



↑ この、お休み中の人です。最近テレビで見た?それともどこかで会った!?

 


。。。思い出すのに丸一日かかりました。

小学館「音楽の図鑑」。1973年初版第1刷発行。



この図鑑の「オーケストラの楽器」の章に登場されていました。一番右のかた。

常光誠治さん(1937年広島県生まれ。2021年2月19日にお亡くなりになったそうです)。

 


この本には日本人演奏家の写真がたくさん載っており、お名前や所属している団体をなんとか自力で解明しようとしたのですが、手がかりがなく少し前にあきらめたばかりでした。

追記(2021年3月24日):上の画像の左のオーボー奏者は新松敬久さん。2019年の年末にお亡くなりになったそうです。

また、オーケストラ画像の1番オーボエは鈴木清三さん。コメントありがとうございました!



この人たちは、服装からしても新日本フィルの方々だと判断してもいいですよね? (そもそも図鑑には少しでもプレイヤーの紹介文を掲載してもらいたかったです)

(2015年9月3日の記事に情報を追加しました)