チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ショスタコーヴィチ「幻の」弦楽四重奏曲2曲(1960~1962)

2016-10-31 22:27:07 | 何様クラシック

NMLでショスタコーヴィチ「未完の弦楽四重奏曲」からの1楽章を初めて聴いてビビりました。こんな個性丸出しの曲を何故今まで知らなかったのかと。ちょっと得した気分。

2003年にショスタコーヴィチ・アーカイブから発見された草稿(“Quartet No. 9/I” と題されたAllegretto楽章。結局は交響曲第13番のものとなる作品番号113がとりあえず与えられている。変ホ長調)をもとにロシアの作曲家、Roman Ledenyovが補筆完成。2005年1月17日にボロディン弦楽四重奏団によって初演されました。


↑ アレクサンダー弦楽四重奏団の演奏。

このCDの解説書によるとショスタコーヴィチは1960年代初頭に2つの弦楽四重奏曲を完成、もしくはほとんど完成。しかし両方ともボツになってしまいました。

【1つ目】1960年末にはショスタコーヴィチは友人のIsaac Glikmanに「この新しい四重奏曲はロシア風スタイルになるだろう」と語ったが、問題が生じ、数週間後には「第9四重奏曲を完成させたが非常に不満足で健全な自己批判から発作的にオーブンで焼いてしまった」と伝えたそうです。

【2つ目】1962年にショスタコーヴィチはプラウダ誌の記者に「第9四重奏曲を計画している。オモチャと屋外での遊びについての子供の作品で、2週間以内に完成する」と述べたそうです。しかしながら彼の新しい四重奏曲を要望していたベートーヴェン四重奏団のメンバーが出来上がり具合をショスタコーヴィチに伺っても先送りにされ、結局は日の目を見なかった。

1964年の春には「公式の」弦楽四重奏曲第9番が発表されます。だがそれが「ロシア風スタイル」でも「子供の作品」でもなかったため、まったく別系統の作品として後の学者たちを悩ませてしまった。上記2003年に発見された楽章は果たしてどちらの四重奏曲のプランに基づく楽章なのか?

。。。何度かアレクサンダー四重奏団の録音を聴いてみたところ、ショスタコーヴィチにしては表面的な優しさが前面に立っちゃう音楽かもしれないけど自分には全く「子供の作品」に聞こえませんでした。だから消去法では「ロシア風」なんだと思います。もしかしたら全然関係ない作品なのかも(我ながら退屈な結論~)


2人のピアニスト、イングリット・ヘブラーと瓜生幸子の生写真

2016-10-30 23:17:28 | 来日した演奏家

日本とオーストリアのピアニスト、瓜生幸子さんとイングリット・ヘブラー(Ingrid Haebler、1929年ウィーン生まれ)だと思います。



この生写真がなぜか自宅にありました。右のほうに日本人らしき人たちが写っているのでヘブラーさんの何度目かの来日時に撮影されたものでしょうね。情報を追加していきます。

 

(参考: 『芸術生活』 1967年1月号よりヘブラーの同じ時に撮影されたと思われる画像2つ)


東京・銀座スキヤ橋のレコードショップ、ハンター(1960年)

2016-10-25 22:44:36 | オーディオ

1960年頃の雑誌から、銀座の数寄屋橋にあったレコード屋「ハンター」の広告をいくつか集めてみました。


↑ スキヤバシ・ショッピングセンター2階にあったんですね。中古レコードの買取りをしていたことで有名だったそうです。ブックオフの走り?

 


↑ 大特売1,000円。みなさんスーツで身を包んでいらっしゃいますね。

 


↑ 繁盛しています。

 


↑ 意外と店内は狭い?右奥がクラシック・コーナーか。

 


↑ 右上にバックハウスの写真。その下にいる学生さん、すごくマジメそう。応援したくなります。

 

。。。レコードが熱い時代だったんですね。


作曲家アンドレ・ジョリヴェ初来日(1959年)

2016-10-16 21:38:25 | 来日した作曲家

パチンコにはまったことで有名なフランスの作曲家、アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905-1974)が初来日したときの様子です。レコード音楽雑誌『ディスク』1960年1月号より。



↑ NHK交響楽団を指揮して自作を演奏。

 



↑ ピアノ協奏曲「赤道」の演奏。ピアノは北川正。1959年11月28日(土)都市センターホール(東京都千代田区平河町)。おそらく日本初演。

このピアノ協奏曲をあらためてNMLで聴いてみましたけど、正直、自分の耳には馴染まないなーって感想でした。作曲当時はかっこええ斬新な響き(特にリズム)だったのかもしれませんが、いま聞くとそれが裏目に出てちょっと古臭いような?この曲のなかで唯一気に入ったのは中間楽章Andante con moto 9分間のうちの、さらにド真ん中の、唐突にめっちゃ美しい、たったの3分弱。静かで穏やかな雪の夜のようでアルファ波出まくり。別世界連行パワー強し。対比がナイスなのかもしれないけど、全曲この調子でやってくれてたらよかったのに。。

 



↑ まだパチンコを知らないジョリヴェ。1周回っていつかジョリヴェ・ブームが再び来るかも!?


1960年代・クラシックベストセラーレコード(「レコード・マンスリー」より)

2016-10-16 00:11:12 | メモ

毎月の新譜レコードを紹介する「レコード・マンスリー」という横長の月刊誌が何冊か手許にあります。

そのうち、1960年代のクラシック・レコードの売れ行きランキングを年代順に4つ並べてみます。


↑ 1962年3月号。当初は「Music Monthly」という名前だったんですね。来日直前のヨッフムのシューマン/シューベルト交響曲第4番。

 



↑ 同じく1962年3月号より。運命、未完成、新世界などの超有名曲が並びます。この中では15位「オテロ」全曲が目立ちます(カラヤン/デル・モナコ?)。お金持ちか清水の舞台系のかたが買ったんでしょうね。

 

 

↑ 1965年6月号。カラヤン強し。それと「四季」が2枚ランク・インしていますね。自分としては石丸寛/コロムビア・プロムナード管による名曲集を聴いてみたいです。

 

 



↑ 1967年12月号。超有名曲ばかりが売れる時代を脱したのか、ニールセン「不滅」が3位。R.シュトラウス、マーラー、ブルックナーも入ってきています。

 

 



↑ 同号より解説。「各社が一様に直輸入版に力をいれてきた」んですね。納得。

 



最後に、1968年8月号です。表紙は海野義雄氏。ドイツグラモフォンからレコードを出していたとは知りませんでした。しかもイッセルシュテット指揮。これも聴いてみたい!

 



↑ ここでもイ・ムジチ「四季」が1位。トゥーランガリラ(小澤)が何気に8位に入っています。

 

 

↑ アンセルメの幻想交響曲が3位に入っているのは来日中だったからなんですね。



。。。この「レコード・マンスリー」、当時のクラシック音楽の動向を知る上で貴重。他の号も見たくなりました。