チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ベルリン・フィルとN響合同演奏(カラヤン指揮)1957年

2014-05-31 16:21:58 | 来日した演奏家

小学館の音楽の図鑑(新学習図鑑シリーズ26・1973年)にベルリン・フィルとNHK交響楽団の合同演奏(曲目は運命交響曲)の写真が載っていました。

 

1957年(昭和32年)11月22日、東京都体育館(1954年完成、現東京体育館)にて。11月4日から始まった日本公演の最終日だったそうです。両楽団のメンバーはこれを機に交流を深め、お互いが来訪する際にはなにかとサポートに努めることになったということです。(佐野之彦著「N響80年全記録」文藝春秋157ページより)

それにしてもオーケストラって人数多けりゃいいってもんじゃないですよね?コントラバスだけで17人もいます。まとまり悪そう。。それと東京体育館じゃ音も良くなかったでしょうね。。たくさん客が入るから儲かったかも。

(左上にテレビカメラがいるので放映されたんですね。録音はあるのかな?)


ブダペスト四重奏団が1952,54年と続けて来日したワケ

2014-05-27 21:55:46 | 来日した演奏家

あのブダペスト四重奏団が、1952年の秋に来日公演したばかりなのに、翌々年の1954年1月にはもう再来日しています。ポール・マッカートニーっぽ?

↑ネット上でも有名な、映画『ゴジラ』(1954東宝)のDVD本編が始まってから4分後に映るチラシ。「再度来日」の字が見えます。


矢継ぎ早の再訪にもかかわらず、54年2月2日(火)、3日(水)の日比谷公会堂は両日とも満席だったそうです。このへん、室内楽という地味な分野にも興味を持っていた当時の日本のクラシック・ファンには尊敬の念を禁じ得ません。

特に公会堂の第二夜は「現代音楽特集」として、バーバー、バルトーク(6番)、ミヨー(12番)のすべて日本初演という意欲的なプログラムだったらしく、招聘元のNHKもなかなか味なことやってくれてたんですね。今からするとあんまり現代音楽っぽくないしむしろ楽しそうですけど。

ところで52年、54年とたて続けに来日したのにはワケがありました。
なんと、1952年来日巡演中、岡山で第1ヴァイオリンのヨーゼフ・ロイスマンが、9月12日、演奏会を終えた帰途自動車をよけようとしてドブへ落ち、左手首の骨にヒビが入ったので予定を打ち切って14日朝に帰京、ロイスマンは聖路加病院で入院治療、快癒まで1か月の静養が必要と診断され、24日には本拠地のアメリカへ帰ってしまったらしいのです(週刊朝日昭和29年2月7日号及び音楽之友昭和27年11月号)。【※↓1952年来日公演日程・曲目】
翌々年の来日はいわばその埋め合わせだったんですね。

「ロイスマンが怪我をしたということで私達(日本側の関係者)は心配して、医者を呼ぶとか、あらゆる手を尽せるだけやりたいと大騒ぎしてやっていると、他の3人は至極のんびりと写真を撮るとか、そこらを歩き回ったりしていたらしいです。そして我々が非常に心配しているのを見て、お前ら何をそんなに心配するのかと言われる。これからの演奏のこともあるし、やはり四人のうち一人でも怪我をすると、演奏の面でもあなた方はお困りになるじゃないかと言ったところが、彼らはロイスマンは彼自身の不注意で怪我したのだから、そんなに心配する必要はないと言うのですね。」(音楽之友昭和29年2月号石坂圭三氏の発言)

日本人なら「切腹もん」って考えても不思議じゃないですよね。それにしてもヴァイオリニストにとって、左手首ってかなり大切そう。。大事に至らなくてよかったです。

一番左がロイスマン(Joseph Roisman, 1900-1974)

 

↓『音楽芸術』昭和29年4月号より。

 

※1952年ブダペスト弦楽四重奏団演奏会日程(音楽之友昭和27年10月号より)


9月1日(月)東京 日比谷公会堂 Aプロ
   2日(火)東京 日比谷公会堂 Bプロ
   5日(金)名古屋市公会堂 Cプロ
   7日(日)大阪産経ホール Aプロ
   8日(月)大阪産経ホール Bプロ
 10日(水)京都公楽会館 Cプロ
 12日(金)岡山市公会堂 Cプロ

(以下中止)
 14日(日)広島東洋座 Cプロ
 16日(火)福岡 電気ホール Cプロ
 21日(日)仙台 市公会堂 Cプロ
 23日(火)札幌 市民会館 Cプロ
 28日(日)東京 日比谷公会堂 ?プロ
 29日(月)東京 日比谷公会堂 ?プロ

Aプロ
1.モーツァルト 第17番
2.シューベルト 死と乙女
3.ドビュッシー 弦楽四重奏曲
4.バルトーク 第2番

Bプロ(ベートーヴェン・プロ)
1.ラズモフスキー第3番
2.ハープ
3.第16番

Cプロ
1.モーツァルト 第17番
2.シューベルト 死と乙女
3.ドヴォルザーク アメリカ
4.ベートーヴェン ラズモフスキー第3番

 

(追記)『音楽之友』1952年12月号41ページの「ラジオ音楽評」にこんなことが書いてあります。

「ブダペスト弦楽四重奏団の9月18日夜の第二放送は第一ヴァイオリン奏者が不幸にも手に負傷した為に弦楽トリオの形としてしかきけずまことに残念だった。」

。。。これって、やっぱり第一ヴァイオリンなしの三人で四重奏曲を演奏したのを放送したってことですよね!? マージャンじゃないんだけど? どんなんだったか聴いてみたい。


神に選ばれたブルックナーと残虐の歴史性の精神舞台への逆照射

2014-05-26 21:38:56 | どうでもいいコーナー

 例えば、神に選ばれたブルックナーというのは、単にブルックナー党の賛嘆の形容以上の何物でもない。謂わばすべてが神に選ばれているからであり、またすべてが神になど選ばれていないからだ。ブルックナーの(その音楽性の)天才、偉大さは、マーラーのそれとは凡そ違った意味で、「しかしながら同様に」、可能な限り描こうとしつつ、一面的で、不器用で、また彼らしく人間クサイものなのだ。
 G.マーラーの一千人の交響曲の第一部は創造主への賛歌であるが、これは謂わば人間性への獣的残虐さを、肉食的欲望に発する、生ある贄を供えてさえ猶も嬉々として自らを祝福しうるという人類的感性の残虐の歴史性を、計らずも我々の精神の舞台へ、逆照射しているとは言えまいか。


。。。これは、ある音楽雑誌の投書欄に載っていた投稿の、あまりのメチャメチャぶりに驚いた砂川しげひさ氏が『なんたってクラシック』(光文社・1984年)で取り上げた文章です。当時27歳の一般男性のものらしいですが、砂川さんによって結構有名になっちゃったと想像できます。書いた方見ていらっしゃいませんかー?

砂川氏は同著で、こんなワケわからん投書を取り上げた出版社こそが悪いと書いていらっしゃいます。

しかし、いま読むとクラシック好きの特徴の一つである、どーでもいいことをわざわざ難しく解釈したがる気持ち悪さがかえって背筋ゾゾっ的な快感を呼び起こすとは言えまいか。

さすがに最近ではこういうの絶滅しちゃってんでしょうか。逆照射していきたいです~


プッチーニ:「蝶々夫人」に続く日本オペラ第2弾?(実現せず)

2014-05-24 17:41:15 | 蝶々夫人

プッチーニのオペラ「蝶々夫人」って1955年に日伊合作の映画になっているんですね。

配役は蝶々夫人(八千草薫)、スズキ(田中路子)、五郎(高木清)、坊主(小杉義男)、ヤマドリ(中村哲)、ピンカートン(二コーラ・フィラクリデ)、シャープレス(フェルディナンド・リドンニ)ということで、是非見てみたいです。

↓その映画の宣伝用イラスト(国際文化画報1955年3月号より)

↓ピンカートンの野郎~っ!

ところでこの蝶々さんには日本の歌が結構出て来ますが、音楽学者の田辺尚雄氏(1883-1984)がプッチーニに日本の曲の楽譜を送ってあげていたんですね。

プッチーニは「蝶々夫人」を書いたあとで、日本を素材にしたものをもう一曲作ろうと思ったので、資料として日本的な特色のある楽譜を送ってほしいと田辺氏に再び依頼してきたそうです。

田辺氏はいろいろ取り揃えて送ったが届いたという返事はプッチーニからなかったそうです。

ちょうどこの頃第一次世界大戦にあたっていたので検閲にひっかかり、開いてみたら見慣れない楽譜が出て来たので、これは怪しいと弾いてみると、まるっきり聞いたことのないような不思議な音がしたので、てっきり暗号ということで没収されてしまったのだろうというわけなのです。(武川寛海著『続音楽史の休日』音楽之友社214-215ページ)。

 

もう一つ、プッチーニが日本を舞台としたオペラを作っていたとしたらまたかわいくてかわいそうな女性が出て来てたんでしょうか?実現しなくてつくづく残念です。

(追記) 田邊尚雄さんご本人によると、ちょっと事情が違うようです。→プッチーニ「蝶々夫人」に出てくる日本の歌と田邊尚雄


ベートーヴェンは本当にモーツァルトに会ったのか?

2014-05-22 21:50:02 | 音楽史の疑問

1787年、ウィーンに到着した16歳のベートーヴェンは31歳のモーツァルトの家を訪ねたそうです。

モーツァルトって紳士なんですね。映画「アマデウス」と全然違う。

このあとベートーヴェンはモーツァルトのソナタを弾きますが、モーツァルトはあまり感心しません。

くやしいベートーヴェンはモーツァルト先生に頼んでテーマを書いてもらい、それに基づく即興演奏を繰り広げます。

(集英社学習漫画・世界の伝記ベートーベンより)

モーツァルト、ベートーヴェンの才能にむっちゃ驚いちゃってますね!

モーツァルトは隣の部屋でピアノを聴いていた貴族達に「この少年はきっと有名な音楽家になりますよ!」と紹介します。パチパチパチ

 

。。。けっこう有名なこの話も残念ながら信憑性が低いようです。共通のソースは何なんですかね。

そもそも31歳のモーツァルトは健康を害していてベートーヴェンを迎える雰囲気じゃなかったとか、会ったけどあまり興味を持たなかったとか、いろいろ説があるようです。

引き続き、調べます。