チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

マッチの軸で作るヴァイオリン(オーストリア、1950年代)

2016-06-01 20:37:25 | 楽器

『国際文化画報』1952年3月号にヴァイオリン製作に関する面白い記事がありました。

オーストリアのグラーツ(Graz)でヴァイオリンを作るカール・コールベック(Karl Kohlbeck)さんの工房です↓



 

コールベックさんはヴァイオリンを普通に作るのではなく、なんと、マッチの軸から製作!

マッチの軸は完全に乾燥したものであり、弦楽器の製作に特に適したものであることを彼は実験によって発見したそうです。


↑ コールベックさんの仕事はすべて手で行われる。

マッチで作られるとなると弦の張力で簡単にペキッて気持ちよく割れそうですが、特製のニカワで固められるので耐久性があるということです。

 


↑ 一番難しいのは渦巻きの部分で、ここだけで適切な長さに切った百本のマッチが使われる。もちろんすべて手作り。

 


↑ 完成したギターとヴァイオリンを持つコールベックさん。ヴァイオリンには5千本、ギターには1万5千本のマッチが使われるそうです。

 


↑ 自作のヴァイオリンをブエノスアイレスの注文主に送るため自ら箱に入れる。



。。。マッチの軸でつくるとか、趣味で個人的な楽しみのためだけに作っているのかと最初は思ったんですが、かなり本気の大真面目に売り物のヴァイオリンをつくっていらしたんですね。

記事には「コールベックのヴァイオリンは柔らかな、ハッキリした心地よい音色を出し、いまやコールベックの名声は世界各国に広がり、彼の名がストラディヴァリウスの名にとってかわるのも可能であるというのが音楽評論家たちの一致した意見である。」と半分冗談っぽいコメントがあります。さっきネットでちょっと検索しただけでは残念ながらコールベックさんの名前もマッチで作られたヴァイオリンのことも出てきませんでした。


アルゼンチンあたりでマッチで作られたバイオリンが今でもいい音を出してくれていたらうれしいです!


日本のストラディバリ~峰沢峯三のヴァイオリン製作現場(1959年)

2016-03-11 20:44:39 | 楽器

我が国に外国の名ヴァイオリニストたちに認められたヴァイオリン製作者がいた!

峰沢峯三(みねざわみねぞう、1899-1978)。

そのヴァイオリン製作現場の写真が『国際文化画報』1959年11月号に掲載されていました。

自分は全然知らなかったのですが、名器「日龍」「月龍」というのがあるそうです。かっこええ!


↑裏板の製作。欧米ではノミを使うところだが、峰沢さんはカンナを使う

 


↑このカンナはハンドルが付いている

 


↑手で板の厚みを計る。大切な仕事だ

 


↑横板に使う薄い木片を切る

 


↑先端の渦巻は丹念にノミで彫る

 


↑完成品は峰沢さんがまずテストをし、次に辻久子さんに依頼する。

 


↑作品を点検する峰沢さん。天井の木片は使用する材料、5年以上吊るして十分乾燥させる


以下、同じ雑誌の記事です。(「峯沢峯三」と表記されています)
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 ソ連文化省の招きでソ連各地を演奏旅行していた辻久子さんが、四月二十九日、ラトビア共和国の首都リガでの演奏のあと、ある提琴製作家の訪問をうけた。使用の提琴はストラディバリではないかと訊かれたので、日本の峯沢峯三という人の作だと答えると、「とび上がってびっくりしていた。空気が乾燥しているので、自分でも驚くほどよい音色と音量が出る」と朝日新聞へ伝えてきている。(五月十五日)

 オイストラフ氏もたいへん賞めたというこの提琴の製作家峯沢さんは、親子二代つづいいての提琴製作家である。峯沢さんのお父さんは「ストラディバリもグヮルネリも同じ人間だ、私にできないことはない」と、提琴製作の――いや西洋音楽の伝統さえない日本で製作を始めたのだが、道は思った以上に険しかった。つまずいたのはいくどあったか。あるときなど「もうやめた。おれは八百屋をやる、お前は洋服屋になれ」といったと峯沢さんは述懐している。(九月八日のNHK放送)

 峯沢さんは大正元年、十五歳でこのお父さんの仕事をついだ。神戸に住んだ(現在京都)が、それは神戸は開港場で外人も多く、提琴製作にはなにかと便宜があったからだ。大正十三年、峯沢さんがこの道に入って十二年目にハイフェッツがこの日本を訪れた。当時十九歳のこの天才提琴家は楽屋を訪れた峯沢さんの願いをいれたその提琴を試演したが「なかなかいい提琴だ。だが君が作ったのではないだろう」といったという。いらい日本へ演奏旅行に来た著名提琴家は、ジンバリストクライスラーティボーシゲッティもみな峯沢さんの提琴を試演して激励したが、峯沢さんが辻久子さんと親しくなってからは製作品は全部辻さんに見せることになっている。

 一たい提琴の形状や構造はストラディバリ以後ほとんど変わっていない(高音部を多く使用するため構造が多少頑丈になっている)が、しかし峯沢さんは製作技術については独自のものを生んでいる。峯沢さんはそれを弟子に教えたが、弟子の多くはのちにこの師匠から離れたばかりか、その技術は師匠に教えてやったのだ、といいふらされた苦い経験もなめている。

 ともあれ、峯沢さんの名声はすでに国際的になっている。この写真をとるときでも、フランスから五つも修繕が届けられていた。
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著名な来日ヴァイオリニストや辻久子さんに認められていたとは!
峰沢さんのヴァイオリンは今でも名演奏家によってすばらしい歌を歌っていることでしょうね。日龍、月龍はいまだれの手に!?


↑オイストラフ氏から「いただいたヴァイオリンのお礼に」と送ってきた手箱と手紙。(右は夫人とお嬢さん)

 

↑↓ 週刊新潮1959年6月1日号より。


昔の変り種ヴァイオリン

2015-12-11 22:04:33 | 楽器

1.無音ヴァイオリン


↑ こういうのは今でも練習用にありますよね。昔から騒音問題があった?



2.ポシェット


↑ ポケットにも入る小さなヴァイオリン。踊りの先生が使ったのでTanzmeistergeigeともいう。



3.ラッパ付きヴァイオリン


↑弦楽器と管楽器の幸せな出会い?



4.ヴァイオリンへの試み


↑ 音量を増すためのもの。1873年ウィーンのZachの製品。キモっ

 


(1と3は山口常光著『弦楽器論』(1926年)、2と4は属啓成著『音楽史大図鑑』より。)


カワイEXを弾くアルゲリッチ(1990年の広告)

2015-11-16 20:20:15 | 楽器

1990年の音楽雑誌から、河合楽器製作所のコンサート・ピアノEXの広告です。

これ以前から日本製のピアノの実力はかなりのものだったらしいので、アルゲリッチに限らずコンサートではカワイやヤマハのピアノをどんどん弾いてもらいたいものです!

 

(ご参考) 当時のカワイ・グランドピアノの標準価格表


ピアノ2題~スタインウェイ、ベーゼンドルファー

2015-10-31 00:13:47 | 楽器

アメリカの雑誌"Theatre Magazine"1920年3月号から、スタインウェイの広告です。


神々の楽器(The Instrument of the Immortals)。

このピアニストは誰でしょうか?

 


次に、アサヒグラフ1958年8月23日号より、ベーゼンドルファー製の「革新的な」ピアノです。

↑ 草月会館にて。57年前だけどまだあるかな?

記事によると、このピアノは1956年、ウィーンの産業デザイン委員会が革新的なピアノを目指してデザインを公募し、最優秀なものをベーゼンドルファー社に生産させたものだということです。

カラーもさることながら、前足が何かをお願いしている揉み手もしくは昆虫を連想させてカワイイ!