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人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

1957年に来日する予定だったショスタコーヴィチ

2015-01-10 20:59:04 | 来日した作曲家

「音楽之友」1956年8月号にショスタコーヴィチが来日を承諾したという記事がありました。

↑ 当初は1956年の年末に来日予定だったんですね。

 

同10月号では翌1957年の4月頃と、早くも予定が延びています。

各地で講演会やピアノ・リサイタル。。楽しみに待っていた人も多かったでしょうね。

 

若干暗雲が。「日ソ親善協会の不手際」とは? 『音楽芸術』1956年12月号。

 

 

ですが、『音楽之友』1957年3月号ではけっこうまだ期待で盛り上がっています。こりゃ来るわ~!

 

↓同じ号の年表には気が早いことに既に来日予定が入っています。

 

↓ 関連書籍も普段よりは売れたんでしょうね。。

 

 

。。。それなのに、残念ながらショスタコーヴィチの来日はとうとう実現しませんでした。

日本でピアノ演奏してもらいたかった。(どっちにしろ自分は生まれてなかったけど。。)

たぶん「当分延期」のままフェードアウトしちゃったんでしょうね。

↑『音楽芸術』1957年5月号。これ以降来日に関する記事は探した限りありませんでした。



1 コメント

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Unknown (きっしん)
2024-03-11 17:50:47
音楽通信(No.46 1957年1月15日発行)によると、ショスタコーヴィチは各地で講演会や音楽家たちとの会合を開く予定、演奏しないショスタコーヴィチの代わりにベートーヴェン弦楽四重奏団が来日して演奏するといったことが書かれています。
日本側では東京労音が主体となってショスタコーヴィチ歓迎のために1957年2月と3月の例会で交響曲第5番の演奏が、同年4月4日と5日の特別例会で森の歌の演奏が企画され、4月4日以外は予定通り実施されました。演奏は全て上田仁と東京交響楽団
ショスタコーヴィチの来日は結局実現しなかったため、四重奏団の来日の話もなくなりました。四重奏団の初来日は1972年
もし来日が実現したとしても、歓迎のために演奏される曲が森の歌というのは作曲の経緯と初演にまつわる話を考えるとショスタコーヴィチにとって複雑な心境だっただろうと思われます。

ちなみに、レニングラードバレエ団の1960年来日公演のパンフレット(だったかも?)にバレエ団招聘のために訪ソした神彰とショスタコーヴィチのツーショット写真が掲載されています。延期になった来日について話でもしたのでしょうかね?何の話をしたのかは資料がないため分かりません。

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