チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

練習中の声楽家・田中路子(1954年)+オーストリア映画出演(1935年)

2022-08-20 17:24:09 | 日本の音楽家

【2016年4月22日の記事に田中路子さんの映画出演と引退公演の画像を追加しました】

アサヒカメラ1954年9月号から、神田生まれでヨーロッパで長く過ごした高名な声楽家・田中路子さん(1909-1988)の写真です。

この画像は、アサヒカメラの月例入選写真として紹介されており、三等賞になっています。

一等にも二等にも選ばれなかった理由は「力弱いのは、ピアニストの顔を出してしまったこと」であり、「田中路子の左腕のヒジのところから右を切り捨て、楽譜の左下の端から下部を切り落したら、グッと緊張した作品」になったという評が添えられています。

1枚の写真の構図としてはそうなのかもしれないけど、この外人ピアニストが誰なのか、もしかしたらダンナなのか?等の謎を残してくれた撮影者の名古屋の「内海薫」さんには感謝。

田中路子さんの練習現場にズカズカ踏み込むことのできたアマチュア写真家の内海さんってそもそも如何なるかたなんでしょうか?(調べます)

 

(追記)

アサヒグラフ1935年12月11月号より、田中路子さんが出演したオーストリア映画『恋は終わりぬ』(原題 'Letzte Liebe')の写真です。

ウィーンの音楽生活と悲しい恋愛を描いた映画。

田中さんと一緒に主演した役者(ピアノを弾く男性)は、なんと、シューベルト映画の名作『未完成交響楽』のシューベルト役、ハンス・ヤーライ(Hans Jaray, 1906-1990)。

 

。。。この映画、見てみたかったけど自分が検索した限りYouTube等にはありませんでした。残念。

 

【1962(昭和37)年引退公演】

↑ 「一応の」引退記念公演(1962年12月10日、日比谷公会堂)

たまたま同時に来日したベルリン室内管弦楽団の演奏会にも独奏者として出演されたそうです。

(『音楽の友』1963年2月号より)

ちなみにWikipediaには「1987年のサントリーホールにおける杮落とし公演の特別公演への出演が最後の出演となった。 」とあります。


服部正指揮・三越管弦楽団(1955年)

2022-08-14 01:23:15 | メモ

東京・日本橋の三越本店ロビーにおける三越管弦楽団の「初春大音楽会」の画像です。

(小原敬司氏撮影・音楽評論社『音楽』昭和40年11月号より)

1955年1月。指揮は作曲家・服部正(1908-2008)。総勢約50名の楽団の配置はかなり無理してますね~!

このオーケストラは「三越少年音楽隊」の流れかと思ったのですが、三枝まり氏『日本の交響楽運動の黎明期―三越少年音楽隊を中心として―』によると、「三越少年音楽隊は明治42年に成立し、大正14年に解散するまで、民間の交響楽団として活動し、その後の音楽界の重鎮となる人材を次々と育てた。」とあり、とっくの昔に解散していたようなので直接の関係はないようです。

 

【現場検証】2015年9月

↑ ヘタクソな写真ですみません。結構狭かったです

 

【参考】昭和10年10月1日増築全館落成ポスター

(2015年6月20日の記事を直しました)