チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

聴衆によって燃えるオーケストラ~似鳥健彦氏(1972年)

2014-12-30 23:54:48 | 日本の音楽家

「不滅の交響曲大全集」の解説書に元N響の著名なオーボエ奏者、似鳥健彦氏(にとり たけひこ、1933年生まれ)による「燃えます、変身もします!」という記事がありました。

【ベルリン・フィル】
1972年にN響の二回目の欧州旅行がありましたが、ベルリン・フィルハーモニーホールでのことです。N響の演奏会のある前日は、カール・ベーム指揮でベルリン・フィルの公演がありました。我々の半数の人達は、運良く入場券を手にすることができましたが、その指定席の関係でしょうが、他にも偶然日本人の聴衆も多かったこともあって、髪の毛の黒い連中がぐるりと、オーケストラを囲んだようになってしまいました。ベルリン・フィルの人達は、特にマエストロ・ベームも燃えたのかもしれませんが、当地の人も特にほめ上げる位、その夜のシューベルトの2番と、7番のシンフォニーは大変素晴らしいものでした。特に絶品なオーボエのローター・コッホさん(※)は、休憩の時、いろいろな人に「今日はどうだ」と聞いていましたが、我々を意識しての演奏が、ありありとわかりました


↑ 似鳥氏とローター・コッホ (Lothar Koch, 1935 - 2003 カラヤン時代の首席奏者)



【NHK交響楽団】
今度は同じ旅行での、ロンドンでのお話です。演奏がつまらないと、紙ヒコーキが飛んだり、聴衆が異常に騒いだりする、ロイヤル・アルバート・ホールでの出来事です。私はいつもするように、コンサート・マスターの合図でラの音(Aの音)を出しました。ところがどうでしょう。次に起こったことは、同じ音程で聴衆の「アー」というコーラスが一斉に返ってきたではありませんか。小生やオケの人がびっくりするうちに、それは笑い声に変わり、やがて止んでしまってから、岩城さんの登場です。彼が現れると、今度は最前列(ホールの関係で立席ですが)の人達の中から、さっとプラカードがあがりました。日本語で、「歓迎NHK交響楽団」とか、さっきはがしてきたばかりらしい「楽屋入口」と書いた紙を逆さに掲げたりで、楽員は大笑いになりました。そこで岩城さんはニッコリと何人かの人と握手をしてから演奏に入ったわけです。当夜の演奏は聴衆と一体になった、暖かで後味の爽やかな演奏会になったことは言うまでもありません。

 

。。。やっぱり演奏家も人間、聴衆との間の見えない壁が取っ払われるとヤル気が何倍にもなるんですね。そんなアタリの演奏会に行きたいものです、というかアタリにするのは聴衆次第!


TDK音楽専用高級カセットEDと「オリジナルコンサート」(1976年)

2014-12-29 23:57:33 | オーディオ

1976年の音楽雑誌から、TDKのカセットテープ"ED"の広告です。

FM東京のクラシックの名番組「TDKオリジナルコンサート」を録音するときはいつもより良いテープを使ってくださいってことですね。

90分で1,250円って、結構高いですね。録音が失敗しないように緊張するのも無理ない?

ところで「オリジナルコンサート」のオリジナル・マスターテープの一部や、海外の放送局から日本のFM局に送られてきたライブ録音のサンプルLP(当時はとりあえずレコードの形にされて送られてきたらしい。良いものはあらためてテープを送ってもらって放送したのでサンプルLPには当然未放送のものが含まれる)は置き場所がないのでどんどん捨てられてしまったとの噂ですが、それが本当ならレアなライブ録音が永久に聴けなくなったということで極めて残念です。

著作権の問題があってFM局としても他人に譲ったり勝手にCD化したりできないんでしょうけど。。

↑ 1972年の広告。


ミケランジェリのピアノ専門教室(1962)

2014-12-28 10:51:55 | メモ

ピアノ教え魔でもあるミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli, 1920-1995)はイタリア・トリノに非常に程度の高いピアノの学校を作ったそうです。

(↑ 生徒に誰か有名な人いる?)


生徒は当時まだ世界各国から集まった9人の男女だけで、中には既にブゾーニ・コンクールの一等賞を取った者【誰だか調査中】も参加していたようです。

ここでは毎日10時間の練習が課せられ、夜間も拘束され、2年間にわたってピアノの最終コースを勉強することになっていたということでかなりキビしそうですが、どこまで続いたんでしょうか?

(『芸術新潮』1962年2月号より)


指揮者に先を越されたティンパニ奏者・有賀誠門氏

2014-12-25 18:08:42 | 日本の音楽家

元NHK交響楽団ティンパニ奏者有賀誠門(あるがまこと, 1937-)氏の、N響時代の面白い話が「不滅の交響曲大全集」というレコードの解説書に載っていました。昭和50年前後のものです。


「定期公演でベートーヴェンの第4番の交響曲をやったときである。私はそろそろ出番だろうと楽屋を出ると、ステージ・マネージャーが『ティンパニー!ティンパニー!』と叫んで来るではないか。どうもステージを確認しないで指揮者を出してしまったらしい。さては、と舞台へと走った。時すでに遅し、音は出てしまった。さてどうしようか?

ベルリン・フィルの元ティンパニ奏者アヴゲリノス(Gerassimos Avgerinos, 1907-1987)氏の話が頭に浮んだ。それはヤニグロ(Antonio Janigro, 1918-1989)が客演した時、氏は開演に遅れてしまい既にオーケストラは鳴っているし、仕方なしにまた自宅へ引き返したというのである。そして翌日の新聞批評には、なんと『ヤニグロはモーツァルトの交響曲をティンパニなしの新しい解釈で演奏した』と出たという。

しかし、4番の場合はどうだろうか、1楽章は良いとしても、2楽章は....そう!ティンパニ・ソロが出てくる。こんなことを考えながら舞台の袖にいる私を見て、指揮者はビックリ仰天。そりゃそうでしょう、ティンパニなしで始めてしまったんだから。1楽章のイントロも長いし、意を決してステージに忍び込んだのであった。」

↑ 有賀誠門さん


。。。。有賀さん、新解釈としての帰宅路線も頭をかすめたわけですね。


ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、コンヴィチュニーと初来日(1961年)

2014-12-22 22:32:52 | 来日した演奏家

1961年、ヨーロッパ最古の民間オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の102名が指揮者フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901-1962)と初来日しました。大阪フェスティバルホール、日比谷公会堂でベートーヴェン交響曲全曲演奏を行ったそうです。

 

特に指揮者コンヴィチュニーはこの翌年に亡くなったこともあり、結果的に大変貴重な来日演奏会になったようです。

 

ベートーヴェンの交響曲の他、「皇帝」、ギュンター・コハン(Günter Kochan,1930-2009)のピアノ協奏曲Op. 16 等が演奏されました。

ディーター・ツェヒリン(Dieter Zechlin, 1926-2012)。彼の演奏によるコハンの協奏曲がYouTubeで聴けます。

 

↑ コンサート・マスターのゲルハルト・ボッセ(Gerhard Bosse, 1922-2012)


以下、真面目そうな楽器奏者の写真です。これらの風貌とアンサンブルの美しさで伝統の息吹きを日本の聴衆の心に深く刻み込んだということです。

(メンバーの名前は分かり次第書き込んでいきます。)

。。。まさに旧「東ドイツ」って感じ!? (『アサヒグラフ』1961年5月5日号より)