チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

グスタフ・マーラーの姪っ子、アルマ・ロゼ(『ファニア歌いなさい』より)

2015-12-27 21:06:44 | 音楽の本

ファニア・フェヌロン著『ファニア歌いなさい』(徳岡孝夫訳、文芸春秋)を読んで感動しました。


Fania Fénelon (1908-1983)


アウシュヴィッツ強制収容所での実話なのでキツかったんですが、(読んでいる間はドイツ人が少しキラいに...)収容所にユダヤ人女性楽団員だけによるオーケストラがあったことを初めて知りました。

オーケストラといってもヴァイオリン12、フルート1、リコーダー3、アコーディオン1、ギター3、マンドリン6、ドラム、シンバルという特殊な編成で、平均年齢20歳くらいのほとんど素人集団。アウシュヴィッツに囚われたフェヌロンはその楽団の中心メンバーであり、編曲も担当しました。

指揮者はグスタフ・マーラーの姪、アルマ・ロゼ(Alma Rosé, 1906-1944)。妻のアルマではありません。

マーラーの妹ユスティーネは、ウィーン・フィルのコンサートマスターを57年間務め、ロゼ四重奏団を結成した高名なヴァイオリニスト、アルノルト・ロゼ(Arnold Rosé, 1863-1946)と結婚し、生まれた娘がアルマ・ロゼです。

↑ アルマと父・アルノルト・ロゼ( 1927年。ここより拝借)

 

(以下ネタバレ注意)

アルマも優秀なヴァイオリニストだったけれど、ユダヤ系ということだけで逮捕されてしまい(彼女は自分がユダヤ系であることを知らなかった)、アウシュヴィッツに送られたが有名なヴァイオリニストであるということで楽団を任せられたということです。芸は身を助く、ですね。

アルマの人物像はといえば、徹頭徹尾非情で冷たいドイツ人で、1日17時間(!)の練習においては出来の悪い楽団員にはあらん限りの悪罵を浴びせた(114ページ)。このへん、伯父マーラーの性格に似ている?

アルマは人と人とが親密になるのに必要な人情というものをもっておらず、だれもアルマの内面にはなかなか入っていけなかった(136ページ)。ただし、ヴァイオリンを弾いているときだけは非情さがかけらもなかったそうです(132ページ)。

人間を愛せないかわりに音楽を心から愛していたような彼女。しかしその厳しさの背後には実は女子楽団員たちの命を守らねばという強い意志があったようです。ヘタクソならすぐ処分されてしまいそうですからね。実際、楽団員は結果的に誰も殺されずにすみました。

彼女が亡くなったとき(死因不明。嫉妬がらみの毒殺?ガス室で殺されたのではない)、めちゃくちゃ厳しく指導されてアルマを恨んでいてもおかしくない楽団員たちはナチの将校たちとともに全員泣いていたらしいです(迫害する側とされる側が同じ涙によって結ばれていた。。254ページ)。


。。。なかなか魅力たっぷしのアルマ。『ファニア歌いなさい』は映画にもなっていて、Netflixで見ることができます。

↑ マーラーと義弟アルノルト・ロゼ

↑ ウィーン・フィルのメンバー表(1898~1901) 『ウィーン・フィルハーモニー』文化書房博文社


クララ・シューマンの告別演奏会の再現コンサート(1980年)

2015-02-22 22:43:55 | 音楽の本

いきなり、『週刊FM』1980年11月24日号です。



この中の番組表を見ると、当時はNHK-FMとFM東京の2局しかありませんけど、NHKのほうはクラシックの番組がたくさん。
例えば1980年12月1日(月)には6番組もあります。

【バロック音楽のたのしみ】6時15分~6時58分(話・皆川達夫)
【朝の名曲】8時~8時58分
【音楽の部屋】9時~10時40分
【音楽のすべて】13時~15時(話・諸井誠)
【午後のリサイタル】15時40分~16時10分
【FMクラシック・アワー】20時05分~22時

時間にすると8時間弱。一日の放送時間(18時間)の43%がクラシック音楽の放送だったんですね。今よりクラシック好きが多かったのか?

ところでこの日の「FMクラシック・アワー」はウィーン芸術週間より「クララ・シューマンお別れ演奏会」のライブ録音とありました。

何かと思ったらクララ・シューマンは1870年1月19日に50歳でピアニストとしての活動に終止符を打つ告別コンサート(※1)を行っており、これはその時のプログラムをそのまま再現したものだということです。1980年6月7日の再現コンサートはウィーン楽友協会小ホール(ブラームスザール)で開かれていますが、クララの告別コンサートの会場はどこだったんでしょうね?(下の絵が見にくくてわからない。クララ以外の出演者も不明)


曲目は
1.ブラームス:ホルン三重奏曲op. 40
2.シューベルト:若い尼
3.メンデルスゾーン:厳格な変奏曲
4.ブラームス:愛のまこと~あこがれ
5.ルドルフ(※2):幻想小曲集op. 10
6.ショパン:夜想曲ハ短調op. 48-1
7.同:即興曲変イ長調op. 29
8.シューマン:きみの顔
9.同:「女の愛と生涯」より彼は誰よりも素晴らしい人
10.同:幻想小曲集op. 12より夕べに、夜、気まぐれ、なぜに、飛翔

。。。さすがはクララ、最後はダンナの曲でシメました。当たり前かもしれないけど、よかった。

ちなみに再現コンサートでのクララ役はエリザーベト・レオンスカヤでした。他にスーク(ヴァイオリン)、ヤノヴィッツ(ソプラノ)、フロイント(ホルン)の参加です。

※1 Wikipediaによるとクララの本当の最後のコンサートは1891年3月12日のフランクフルトでのことで、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」(2台ピアノ版)をジェームス・クヴァスト(Jacob James Kwast, 1852–1927)と共に弾いたそうです。1870年に引退を一度決意したものの演奏活動を再開したんですね。

※2 エルンスト・フリードリヒ・カール・ルドルフ(Ernst Friedrich Karl Rudorff, 1840-1916)、ドイツの作曲家。cpoレーベルで交響曲第3番などが聴けます。


属啓成著『ベートーヴェンの生涯』(1942年)

2015-01-10 17:11:23 | 音楽の本

音楽学者・評論家の属啓成(さっかけいせい、1902-1994)氏の『ベートーヴェンの生涯』(三省堂発行)という本です。根性すわってる表紙に惹かれて古本屋で1,080円で買ってきました。安いのか高いのか?

本を開いてまず驚いたのは72ページもある口絵の121枚の写真。属氏が自ら撮影した写真もけっこうあります。


↑ 第九を書いた家。著者撮影。

↑ 第九を完成した家。現在でも様子は変わっていないんでしょうか?

この本のいいところは単なる伝記ではなく、テーマ別に章が分かれているところです。読みやすい。
(家族、師、交遊、聾者となるまで、ベートーヴェンが演奏した演奏会、風貌と肖像画、ベートーヴェンと自然、住所と遺跡、年代表、ベートーヴェンの伝記についての各章)

このうち、「住所と遺跡」の章は属氏の実地取材による独自の研究であり、旅行者のためのガイドブックにもなっています。

それぞれの記述がかなり詳細にこだわっていて、まるでベートーヴェン百科事典です。属さん、もう完全にベートーヴェンおたく!



初版発行は昭和17年。戦時下の紙不足のなか、よくもこんな立派な本が出せたものです。紙の質も悪くないです。しかも、この本は「発売一週間にならぬ中に、既に倉を空にした」(再版の序より)そうです。戦争中なのにベートーヴェン本の熱心な読者がたくさんいたんですね。


雑誌『音楽文化』創刊号(「音楽芸術」の前身)

2014-07-09 19:39:16 | 音楽の本

「音樂文化」創刊号の表紙です。昭和18年(1943年)12月号。

この雑誌、調べたら「音楽芸術」の前身なんですね。昭和21年2月号から名前を変えています。

いよいよ激しくなってきた戦局のもとでの発行のためか紙の質が悪く、ページをめくるハシからボロボロに崩れていきます。

 

↓創刊の報告です。音楽雑誌も「統合」されたんですね。

 

裏表紙↓

レコードの宣伝広告は比較的平和です。ワルター似てね~。草間さんは安川さんですね。

 

↓あぶないご時世に藤原歌劇団が歌舞伎座でフィデリオやってます。大東亜交響楽団とは!?

 

↓ここでも大東亜交響楽団。斎藤秀雄指揮。米英激滅大行進曲「闘魂」聴いてみたい!

 

↓厚生音楽って?山葉はヤマハか。

 

↓いよいよ目次を見てみましょう。さらにイヤな気分になるかも。。

如何にして音楽を米英撃滅に役立たせるか」。。。

とりあえずそれ置いといて、最も重要な記事は山田耕筰さんによる「國民音樂創造の責務」という記事だと思います。

自分なりに要約してしまうと。。


・苛烈な戦局の今こそ、音楽の持つ威力を最高度に発揮すべき時である。

・国民音楽の創成が音楽界全体の悲願であった。

・私が音楽の道を私の天職として選び、今日までそれを自分の職分として努力してきたのは何の為であるか。それは今日只今、国家と共に、国民と共に殉ずる精神を持って、音楽を武器とすることに外ならぬ。

・いつ如何なる事態に際しても、いささかも動じない我が民族特有の、而して、東亜共通の音楽を持つこと、これが私の言う音楽の自主性、即ち、自力依存である。

・我が国固有の伝統的音楽たる民謡や古典音楽の系統的研究がなされなければならない。

・我が国の音楽界は西洋音楽万能という、変則的な発達を遂げてきた為に、作曲、演奏、批評が、総て外国の基準に於いて享受されてきた状況は音楽の専門的立場に於いては、かかる態度を一掃すべきであろう。ベートーヴェンやドビュッシーを最高に置こうという考え方の中からは、絶対に、今日の、明日の、健全な日本の音楽が生まれて来ないのである。

 

。。。山田先生、本当はそんなこと思っていらっしゃんなかったんですよね!? むっちゃつまんない音楽になりそ。

いつの時代も音楽は楽しくなくては。ましてや決して武器ではないと思います~


『音楽の友』創刊号と第2号の間のミゾ

2014-06-20 19:30:02 | 音楽の本

音楽之友創刊号(1941年12月号、右)と第2号(1942年1月号)の表紙です。

同じ絵を使い回しています。だから内容も同じようなもんだろうと思いきや全然違っていました。

 

↓創刊号の目次。メインは「日本交響楽団建設記」。「戦ふ軍楽隊」やら「音楽挺身隊(山田耕筰)」とか若干きな臭いですが、かろうじて平和に留まっています。

 

↓創刊号の記事には日響の分裂の事情が書いてあってなかなか面白いです。近衛秀麿さんvs.山田耕筰さんの争い。

 

↓同じく創刊号から銀座山野楽器の広告。

 

。。。ところが、第2号になると戦争の色が急に濃くなります!

 

↓第2号目次(途中省略)。どうしちゃったんでしょう?「音楽への敢闘譜」とか「国民総出陣の歌」とかクラシック好きには全然関係ないし楽しくなさそう。。

 

↓あら~「屠れ!米英我等の敵だ」って。(この雰囲気を引き摺っているからこそいまだに日本のクラシック界では米英の作曲家の作品が不当に扱われているのかも?)

 

。。。1号と2号の間に日本はアメリカに対して宣戦布告(1941年12月8日真珠湾攻撃)。

平和の象徴・クラシック音楽の雑誌でさえこうなってしまう戦争ってマジ怖い、ってことを音楽の友創刊号と第2号が如実に示してくれている気がしてならないです。