チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

東京・銀座 旧ヤマハホール誕生(1953年)

2020-12-18 21:44:49 | メモ

『藝術新潮』1953年5月号より、東京・銀座ヤマハホールの誕生についてです。新ヤマハビルの建築に伴い取り壊され、現存しません。ピアノ発表会等で舞台に上がった方も多いのでは?

↑ ホール天井と左側面

 

↑ 巌本真理、河野俊達、齋藤秀雄(!)

 

↑ 二階側面にある放送室。素朴~

 

↑ ホール左側面

 

↑ 二階ロビー

 

↑ ステージは決して広くはありませんね。

 

↑ 二階正面 お客さん、ぎっしり。

 

↑ 井口基成夫妻の演奏。

 

以下、本文から抜粋します。

「街なかの音楽堂」

街の美術館としてブリヂストンや近代美術館がさきに生れて好評だが、今度は、街なかの音楽ホールが誕生した。銀座七丁目の日本楽器の山葉ホールがそれである。これでかねてから云われていた音楽家の会場難は、さきに返された第一生命ホールとともに、いくらか緩和されるはずだが、使用料が収容人員(524名)に比してお安くはない(※1)のが欠点だという人もいる。それはともかく、銀座の騒音の中にいて完全な防音装置をほどこし、木材を生かして伝わったレイモンド(※2)の東洋的モダンスタイルは、今後音楽好きな人々を多く吸収するであろう。

※1 開館当時の使用料
【平日】
午前(9-12時)10,000円
午後(1-4時)15,000円
夜(5-8.5時)20,000円

【土日祭日】
午前(9-12時)10,000円
午後(1-4時)20,000円
夜(5-8.5時)25,000円

※2アントニン・レイモンド(Antonin Raymond, 1888-1976)
チェコ出身の有名な建築家。

↑ Wikipediaを見たら、ヤマハホール以外にもレイモンドが設計した有名な建物が日本にたくさんあって驚きました。

 

↑ 1976年の雑誌より。

ちなみに現在のヤマハホールは2010年2月26日にリニューアルオープン。

(2015年6月7日の記事に情報を追加しました)


アレクサンドル・タンスマン来日公演の曲目とインタビュー(1933年)

2020-12-14 15:57:07 | 来日した作曲家

ポーランド出身のフランスの作曲家、アレクサンドル・タンスマン(Alexandre Tansman, 1897-1986)が1933(昭和8)年に来日し、ピアニストとして自作を演奏しました。



第1夜 1933年3月19日(日) 仁壽講堂(東京・内幸町)

1. 古風な様式による舞踏組曲(Suite dans le style ancien)

2. ヴァイオリン・ソナタ第1番(ヴァイオリン:林龍作1887-1960)

3. ピアノ・ソロ
 ・6つのマズルカ(1928)
 ・4つの即興曲(1922)
 ・大西洋横断ソナチネ(1928)
 ・交響曲第2番イ短調よりラルゴとスケルツォ(1926)

4. アンコール
 ・ポーランド舞曲
 ・ドゥムカ
 ・ポルカ

第2夜 1933年3月21日(火) 仁壽講堂

1.ピアノ・ソナタ第2番(1929)

2. フルート・ソナチネ(フルートは誰だか不明。調査します)

3.ピアノ・ソロ
 ・アラベスク(1931)
 ・テンポ・アメリカーノ(1931)
 ・間奏曲(1926)
 ・4つのポーランド舞曲(1931)

4. アンコール
 ・マズルカ
 ・交響曲第2番イ短調よりスケルツォ

さて、3月22日(水)には大田黒元雄ら新興作曲家連盟主催のタンスマン歓迎会が開催されています。

↑ 歓迎会のようす。遠山一行記念日本近代音楽館所蔵。



食後は来会者の要望によりタンスマンは田舎風ソナタ(Sonata rustica)全曲とマズルカを演奏し、詳細な解釈を与えたそうです。

更には以下のような質疑応答がなされました。

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質問:貴下の生年は文献によって色々異なっておりますがどれが本当ですか。

タンスマン:1897年がほとんどです【自分でもどれが本当かわかっていない?】

質問:ポーランドの作曲家、例えばシマノフスキ氏やパデレフスキ氏についてのお話を伺いたい。

タンスマン:パデレフスキ氏はもうとても老年で昔日のような演奏はできない、がアンコールの頃になると熱がようやく出てくるらしく昔の面影をうかがわせる。シマノフスキ氏は私等の大先輩で音楽学校の校長をしていた。今日会った東京音楽学校の校長さんはどの種類の音楽家ですか。

回答:あの方はお役人の事務家です。

質問:フランスの作曲家、例えば六人組の人々についてはどんなご意見ですか。

タンスマン:ミヨー氏とオネゲル氏の二人が断然他の人々と段違いになってしまって比較にならない。プーランク氏は可愛らしい音楽を書く、けれどただ可愛らしい音楽を書くだけではどうも...、オーリック氏は消えそうだし、残りの二人デュレ氏とタイユフェールさんはうっかりすると名前を忘れてしまう。

質問:ドイツはいかがですか。

タンスマン:ヒンデミット氏が断然群を抜いています。

質問:シュレーカー氏は?.....例えばオーケストラ曲は

タンスマン:彼のオーケストレーションは私にはどうも同感できません。重苦しくて(schwer)

質問:貴方の音楽中には多くの五度和声的要素を認めますが、意識的に用いられたのですか、無意識的に入ったのですか。

タンスマン:無意識的です。なぜならば、私のまだ若い頃新しい音楽といってもワーグナー位なもので、シェーンベルクやドビュッシー等を全然耳にしない頃に作曲したものにもうその要素が入っています。例えば日本の和歌に作曲した「日本のメロディー」等

質問:四分音階についてのお考えは?

タンスマン:演奏を聞きますと、トリスタンのような響きがするか、あるいは調子が外れたような感じがする。十二音階的な音楽がまだ充分開拓されていない位で聴く人の耳がそれを受け入れるまでには相当の時を要するでしょう。

質問:経過音的には?

タンスマン:経過音的には今日、弦楽器等の演奏で既に用いられているでしょう。

質問:ベートーヴェンの交響曲のオーケストレーションについてはどんなお考えですか。

タンスマン:モーツァルト風な第一交響曲のオーケストレーションが良くできている。それから、第七、第八になってまた良い。第三の辺や第九等は重厚すぎる気がする。

質問:第九の第三楽章なんか長過ぎるように思われませんか。

タンスマン:現代人には長すぎるようです。ブラームスのピアノコンチェルトの第一楽章等と同様に。

質問:ベートーヴェンの管弦配置に手を入れる問題はどのように考えられますか。

タンスマン:それは一口になかなか言えない問題だけれど、ダイナミック的な配慮で楽想を活かすことに努力してみる。そしてもしそれでも、どうしても主題が出ないようならば、楽器の編成に手を入れてもよいと思う。例えば、一本のホルンを二本に重ねるとか、今日の吹奏法が進歩した状態からして、旋律をオクターブ上げるとか。例えばワインガルトナーがワーグナーのタンホイザーで行った有名な改良のように。但し全然音色の違った楽器を持ってくることは問題外です。


最後に大田黒氏とタンスマンの挨拶です。

大田黒「日本に来た世界的な作曲家は貴下が二番目です。最初はプロコフィエフ氏であったが、その時代はまだ彼を理解するだけ日本楽界が進歩していなかった。それ以後長い間大作曲家が我が国を訪れたことがなかった」

タンスマン「私は多年憧れていた日本に来ることが出来て、そして思いがけなくも貴国の作曲家達から招かれてここに愉快な夕を過ごすことができたのを、何の歓迎にもまして嬉しく思います。どうもありがとう」

以上、『音楽評論』創刊号(1933年4月号)より。



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。。。いまの時代、タンスマンは「大作曲家」という感じはしませんけど、今回タンスマンの音楽をいろいろつまみ聴きしてみて、よみがえれタンスマン!という気持ちになりました。

(2017年7月22日の記事の一部を修正しました)


コープランド初来日、ボストン交響楽団と共に(1960年)

2020-12-08 22:20:38 | 来日した作曲家

ボストン交響楽団は当時の常任指揮者であるシャルル・ミュンシュに率いられて1960年に初来日しました。

↑ 1960年の来日が決まった際の1959年12月20日の新聞記事。
「6~8週間で日本、フィリピン、台湾、韓国などの各地をまわる」とあります。

 

そのとき、アメリカ人では屈指のクラシック作曲家、アーロン・コープランド(Aaron Copland, 1900-1990)も指揮者のひとりとして初来日しました。ちなみにもう一人の指揮者はボストン響のコンサート・マスターでもあったリチャード・バージン(Richard Burgin, 1892-1981)。

↑すべての来日公演が終わったのちの同紙の菅野浩和氏(1923-2011)による批評記事。1960年6月5日。

当然ながら記事はほとんどがミュンシュによる名演についてです。

一方コープランドの指揮については「コープランドが自作を交えた演奏会は低調で、もしこの日だけしかボストン響をきかない人がいたら、その人はこのオーケストラの真価を全く知ることができなかっただろう」と散々。

しかしそうだったとしてもその日の聴衆はコープランドの初来日公演に立ち会ったということを自慢できると思います。

この6年後、コープランドの1966年の来日についてはこちらも参考にしてください。

(コープランドの初来日公演については情報を追加していきます)