作曲家・団伊玖磨さんの一人目の妻・瑛子さんです。(音楽之友昭和24年6月号より)
↑ 旧姓・桑原瑛子さん。オペラ歌手でいらしたんですね。
次に二人目の妻・和子さんです。(週刊朝日昭和28年12月27日号より)
和子さん(旧姓・藤枝)は芸大出身のピアニスト。多才なかただったようです。
和子さんが亡くなられた一年後の2001年に団さんも他界されました。
(2014年12月26日の記事に瑛子さんの画像を追加しました)
作曲家・団伊玖磨さんの一人目の妻・瑛子さんです。(音楽之友昭和24年6月号より)
↑ 旧姓・桑原瑛子さん。オペラ歌手でいらしたんですね。
次に二人目の妻・和子さんです。(週刊朝日昭和28年12月27日号より)
和子さん(旧姓・藤枝)は芸大出身のピアニスト。多才なかただったようです。
和子さんが亡くなられた一年後の2001年に団さんも他界されました。
(2014年12月26日の記事に瑛子さんの画像を追加しました)
週刊朝日1954年12月19日号の「妻を語る」では山田耕筰(1886-1965)が何人目かの奥さんである声楽家・辻輝子(1907-1973)について書いています。
-----------------------
"母の化身"
「良妻は母に似る」と昔からいっている。その意味において辻輝子はまことに良妻である。陽気でいて細心、苦難をものともせぬところなど、母そっくりである。
再度の結婚生活に失敗した私は、ようやく晩年になって、家庭というものの幸福を満喫している。私を憐んで、亡き母がこうしてくれたものとしか思えない。
爆撃下の東京、それも一連隊真裏という、とても危険な旧宅で戦い通し、ようやく終戦となるとパージに脅され、続いて半身不随というようなヤッカイな病気にかかり、まったくいっしょになってから半月と平静な日を持ちえぬ彼女なのだが、内政外交のいっさいを、一人で切り回していささかもたじろがぬ点など、まったく母の化身としか思えない。
再起不能といわれた私の病気も、やっとよくなり、私を熱愛してくれた亡き母も、どこかで細い目をして私どもを見守っていることであろう。
-----------------------
↑ どこ製のピアノでしょうか?文字が見えそうでみえない。。
。。。山田耕筰ってマザコン!?(良い意味で) ネットで山田耕筰の母、久(ひさ)さんの画像を見たら、確かにちょっと辻輝子さんに似ていると思いました。
この写真は何?
左から
フルトヴェングラーのマネージャー、ベルタ・ガイスマール(Berta Geissmar, 1892-1949)
ピアニスト、エトヴィン・フィッシャー(Edwin Fischer, 1886-1960)
ヴァイオリニスト、ゲオルク・クーレンカンプ(Georg Kulenkampff, 1898-1948)
フルトヴェングラー
作曲家のパウル・ヒンデミット(Paul Hindemith, 1895-1963)
1928年くらいに「おもちゃの交響曲」が非公式に演奏されたときの写真だそうです。ヒンデミット、かわいい。
フルトヴェングラーにも仮装してもらいたかったと思うのは自分だけ?(フィッシャー「あんたもやれよー」、ベルタ「まーいいからいいから」)
(Sam Shirakawa "The Devil's Music Master"より)
『今日のソ連邦』1962年10月1日号より「レニングラードでバイオリンを学ぶ日本娘たち」です。
日本娘たち、というのは潮田益子さん(1942-2013)と前橋汀子さん(1943年生まれ)。
お二人はアウアー門下のアンナ・ブブノワ(Anna Bubnova・小野アンナ、1890-1979)の東京にあった教室で知り合いになったそうなんです。
彼女たちは1959年に来日したソ連のヴァイオリニスト、ミハイル・ヴァイマン(Mikhail Vaiman, 1926-1977)に演奏をきいてもらい、感心したヴァイマンが二人のレニングラード音楽院留学を援助することを約束。しかもヴァイマン自身が2人を教えることを喜んで了承。お二人のその後のご活躍にかんがみるにヴァイマンの目に狂いはなかったことになりますね。
その後、2年間は日本において音楽院への入学準備に費やされ、1961年8月に二人はいよいよレニングラードに到着しました。
二人がレニングラードで一緒に住んだのは音楽院の学生寄宿舎の3階、51号室。ラトビアの首都リガから来た2人とともに計4人。部屋がいつもきれいに掃除されていたので他の学生たちの手本として引き合いに出されていたというあたりさすがは日本娘。
彼女たちの日程は週に3回はヴァイマン先生のレッスン、さらに四重奏の練習、ロシア語の勉強、予習・復習でぎっしりつまっていたそうですが、わずかな余暇は仲のよい友だちとコンサートやオペラ、美術館に通ったらしいです。うらやましい~(とか気楽なものでは決してなかったということが現在日経に連載中の『私の履歴書』でわかりました)
↑ 音楽院に急ぐ潮田さんと前橋さん(下の写真と併せて考えると左が潮田さん??) 腕組んじゃって仲がいいですね。
↑ 今学年の最後の学習日が終って音楽院からうれしそうに出てくるお二人。
↑ 喫茶店「セーベル」で。カワイー。20歳前後
↑ この頃ソ連公演を行った「ジャズ・オーケストラ」渡辺弘(1912-1988)とスターダスターズのポスターを見つめる二人。
↑ 参考(渡辺弘とスターダスターズのモスクワ公演)
↑ ヴァイマンのレッスンを受ける潮田益子さん
。。。潮田さんと前橋さんがレニングラードで一緒の部屋に住み込んでいたとは知りませんでした。
『主婦の友』1932年(昭和7年)11月号に8人の新人女性音楽家の写真が載っていました。
84年も前ですが、ほとんどが「主婦之友写真部撮影」ということで画質良好です。
1. 佐藤美子(1903-1982) ソプラノ歌手。
↑ 外国人っぽい容姿だと思ったら、日本人とフランス人とのハーフ。
2. 木下良子 ソプラノ歌手。
↑ 素敵な笑顔。アメリカで「ルイズ・スミス女史」に認められてから6年間本格的に声楽の訓練をされたそうです。
3.諏訪根自子(1920-2012) ヴァイオリニスト。
↑ 数え年で13歳!
4. 南部たかね(1896-?) ソプラノ歌手。
↑ 蝶々夫人を歌われたんでしょうか?
5. 北澤栄(1908-1956) ソプラノ歌手。
↑ ご主人のピアノ伴奏でリサイタル。
6. 関種子(1907-1990) ソプラノ歌手。
↑ 古い雑誌でときどきこのかたのお名前を見かけます。
7. 海老名道子 ピアニスト。
↑ ベルリンの国立音楽学校で学び、パイプオルガンも弾かれたようです。
8. 山田みどり ピアニスト。
↑ ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏!
。。。情報を追加していきます。