金森先生大好きなママたちが、軒並み子どもや自分の風邪で欠席だったため
金森俊朗先生「いのちと政治」の授業☆第1回いしかわ勝手連学習会☆を、できるだけ、書きました。 文責・小原美由紀
**********
選挙は、「候補者」に狙われたことがあるのですが(笑)、もうそれはないので、当選を狙える候補者を市民みんなの力で押し上げるため、いしかわ勝手連の顧問を引き受けた。 昨年肺がんを患い二か月入院した。現在もステロイドを飲んでいる。大切な仲間が同じ病気で先日亡くなった。そんな思いもあり、この流れを変えるために一石を投じられたらと思っている。
五日市憲法について、こういった人は、誰でしょう?「日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えた」 スウさんは、わかるな。
スウさん「皇后美智子さま」 そう。
http://www.kunaicho.go.jp/okoto…/…/kaiken/gokaito-h25sk.html
日本国憲法を自民党は押しつけ憲法だと言っているが、ふつうの人たちが勉強をしてつくりあげた憲法草案があった。高知県の植木枝盛も。
SEALDsの長棟はなみさんは、スピーチの中で、こう言っている。
「夏がくるたび、この国は戦争の臭いがして、光り輝く夏は、少し陰りを帯びるような気がしていました。
私が小さい頃、広島に近い山口県に住んでいたので、なおさらだったのかもしれません。
8月6日、毎年同じ日、同じ時間に、遠くから聞こえるサイレンをお母さんと一緒に手を合わせて聞きました。そして、『ああ、今年も夏が来たなぁ』と毎年感じていました。
『火垂るの墓』を姉弟で泣きながら観たり、『はだしのゲン』を夢に出るほど読んだり、学校では、毎年戦争の授業があって、戦争の話を聞きました。」
「嫌がりながら日本国憲法を覚えたり、9条のプリントだけなぜか配られたり。戦争は理不尽なもの、あってはならないもの。」
「この国は日本国憲法、特に憲法9条と、それによる平和を誇り、しっかりと教育してきたと私は思っています。
私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました。
私はそんな国と学校を誇りに思っているし、これからもそうありたい。70年間、戦争をしなかった。他の国の人に対し、直接銃口を向けなかった。ひとりも殺さなかったという事実が、この国を守っている。そのことを誇りに思うべきです。」大学三年生です。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258004
こういうふうに語れる私を育ててきた教育が、この国を守っている、と彼女は言いきっている。
今の自民党政治安倍政権は、この国そのものを崩壊させようとしている。
政治家の使命は、教師と同じ。「聴くこと」。長く誠実に働いてきた人の声を聴けるか。弱者の声を聴くことができるか。
テレビの座談会に出席した時にこう発言した。 若者に「夢を持て!」というけれど、このテーブルも、マイクも、すべて、名もなき人がつくった。コツコツと誠実に生きてきた人たちを軽んずる雰囲気がこの国にあるのでは。そういう人たちの声を聴くのが政治家ではないか。
なにが国をつくり、なにが国を守っているのか。
江戸でしいたげられた人たちが明治に入り、熱っぽく説いたものが、日本国憲法となるまでに、多くの血が流され、多くの犠牲のもとに、できた憲法。
聴いていなかったがチラシをみたら「授業」と書いてあるので、ちょっとは授業らしく。憲法第97条を読む。
・・・・・・・・・・・・・・
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
・・・・・・・・・・・・・・
「信託した」信頼し、託されたもの…後の人たちに託さなければ。私たちはリレーのある位置を占めるものにすぎない。
預かりものであり、借りものである。
安政の時代、(金沢の)東山で 2000人が山に登って、城に向かって「ひもじいわいやー」「米くれまいやー」と、シュプレヒコールですよね。(泣き一揆)平和的闘争でしたが、つるぎから全土へと広がるきっかけになった。
<参考>http://article9.jp/wordpress/?p=5823
そのため、一揆の首謀者の7人が処刑。「七稲地蔵」として残っている。
師と仰ぐかつおきんや先生の「安政五年七月十一日」を(小学校教諭時代)小学校6年生と読みあった。
「このような人たちは、今もいるのだろうか?」6年生はどう答えたか。
この子たちの夏の朗読劇を演じる人たち、実行委員会の人たち、広島長崎の被爆者の人たち、その苦しみのわかる人たち、戦争を生き抜いてきた人たち・・
子どもたちは、歴史上に生きてきた人たちが、脈々と今、生きていることに気づいていた。
安倍政権を構成する人たちは、憲法がこのように誕生してきたものととらえきれていない。
「積極的平和主義」という言葉を多用した。「消極的平和主義」とは、今ある戦争をなくすこと。ほんとうの意味の「積極的平和主義」とは、貧困、差別、戦争につながるものをやめていくこと。
安倍さんが「平和のために貢献」といった意味の英語をアメリカの議会でスピーチ。一国の首相が、なんら国民的合意もなく国会でも話さず、総意として話してくるというのはどう考えてもおかしい。
世界での日本国憲法の価値・・・武器を持たないで平和をつくっていく。
その価値を我々自身が知らされていない、知っていない。子どもたちに伝えてこなかった、ということが問題。子どもたちを裏切り続けている。
第一次安倍政権は、「日本の子どもたちは凶悪化している」と言って教育基本法を変えた。自殺者者は、三万人台から二万人台になったが、でかでかと報道されるのは「いじめられ自死」のみ。 事実、正確さを欠いた報道がはびこる。教員は圧倒的にそれを信じている。学校目標で多いのは「思いやりを持とう」。
平和をつくる力とはなんなのか? 中村哲さん・・アフガンに緑豊かな大地を、と医者が井戸を掘る。ペシャワール会、日本のカンパだけでやっている。膨大な水路をつくってきた。日の丸をつけていれば、誰からも狙われなかったが、最近はつけている方がこわいと。
イスラム国をつくったのは武力による憎しみの連鎖。「やられたらやりかえせ」の雰囲気。子どもたちですら大人たちが信じられない現実。
生き方として、我々が平和をつくっていく。市民たちに「日本の平和をつくる力」がある。私たちは、平和をつくってきたんだ、ということに自信を持とう。平和をつくってきた人は限りなくあるはず。それを、こどもたちに手渡すこと。
きょうもそうでしょう?動員によってじゃなく、自主的に納得する人たちが集まっている。
奥田愛基くんと話した時(2015年3月)、どうして憲法九条じゃなく、秘密保護法に反対したのか、と聞いた。彼らの感覚で、「秘密にされる」ということがヤバい、と思ったと。
市民がひとりひとりの人間として参加する・・・彼らは大きな流れをつくった。
この一年間、頑張ってきたものを、政治の力にできないか。
あてにしたいのは幼子を持つ親たち。そしてかわいい孫を持つじじばばたち。みんなで会を立ち上げられないか。いまできることは 市民連合を大きくすること。プラス、勝手連の野党共闘。
現時点で、民主はまだ統一できない。でも、政党はそれぞれの思惑があって難しい。
「子どもたちだけには、平和を手渡したい」、という大きなひとつの願いのもとに。
憲法と同い年の私は、「一生、銃を持たない」という人生を全うできそうです。本当の意味で殺したい、という思いをかうことはなかった。
でも、安倍総理は「憲法九条を変える」ともうはっきり言っている!
このままでは死んでも死にきれん。だが、いのちの制限はある。 後悔しないように、石川でも統一が可能になれば、と思う。
難しいが、石川には 内灘闘争や、珠洲の原発を呼びこまなかったという政治的遺産もある。 「こどもたちのために」「だれのこどももころさせない」を、最大のスローガンにしながら、頑張りましょう。
(※メモだけをもとにしているので、間違いがあれば教えてください※)