異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

2/7午前:北朝鮮がロケット発射~あっけなく終わった空騒ぎ/ん・・?田母神閣下が安倍政権にお怒り! 

2016-02-07 23:38:40 | 平和 戦争 自衛隊

全チャンネル、「ミサイル」発射の速報ですね。弾頭ついていないのに、ミサイルと呼ぶのか?

ん・・?田母神閣下が安倍政権にお怒り! 

 

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新党憲法9条 インターネット政党
http://new-party-9.net/archives/3329

あっけなく終わった北朝鮮人工衛星発射の空騒ぎ

 

あっというまに北朝鮮が人工衛星発射を敢行した。

 そして北朝鮮の人工衛星発射とともに、日本政府は破壊命令措置を終了させた。

 こんな茶番があるだろうか。

 発射したならすぐにミサイルで破壊しなければいけないはずだ。

 しかし、そんな事が出来るはずがない。

 これは日本を攻撃するものではないからだ。

 もし北朝鮮が日本を攻撃する気なら、攻撃時刻など事前に教えるはずがない。

 だからこれははじめから日本への攻撃ではなかった。

 日本政府は百も承知だ。

 だから迎撃したら日本の先制攻撃であり北朝鮮との戦争を仕掛けることになる。

 そんなことが出来るはずがない。

 当たれば一大事件であり、当たらなければ大恥をかく。

 それでは何のために日本はPAC3などを配備して破壊命令を出したのか。

 それは人工衛星発射に伴う落下物が落ちてくる事に備えてだ。

 そしてその落下物は無事に海に落ちた。

 だから破壊命令措置は解除されたのだ。

 この瞬間に北朝鮮のミサイル騒ぎの茶番劇は終わった。

 あとは、北朝鮮はけしからんといって制裁をどうするかと言う話が始まる。

 しかし、その制裁の脅しを無視して北朝鮮はミサイル発射を敢行した。

 しかも制裁措置はいつまでたっても国連安保理で決まらなかった。

 いまさら制裁協議をしてもむなしいだけだ。

 北朝鮮のミサイル発射騒ぎは、北朝鮮が発射した7日朝であっさり終わったのである。

 こんな事ははじめから分かりきっていたことである(了) 

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NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20160207/k10010401601000.htmlより転載

防衛相 破壊措置命令を継続「警戒・監視を」

2月7日 19時08分
防衛相 破壊措置命令を継続「警戒・監視を」
 
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政府は、北朝鮮による事実上の長距離弾道ミサイルに備えて、自衛隊に破壊措置命令を出していますが、北朝鮮が、弾道ミサイルの発射を続ける姿勢を強調していることなどから、破壊措置命令を継続し、警戒・監視を続けることにしています。
政府は、北朝鮮による事実上の長距離弾道ミサイルの発射に備えて、中谷防衛大臣が自衛隊に対して破壊措置命令を出し、迎撃ミサイルを搭載したイージス艦や、地上配備型の迎撃ミサイル、PAC3を配備しましたが、今回発射された弾道ミサイルで破壊措置は行われませんでした。
これに関連して中谷大臣は7日夜、防衛省で記者団に対し、「北朝鮮が指定した期間が残っていることもあるので、引き続き警戒・監視を行っていく。今後のことは状況を見て適切に判断する」と述べました。
政府は、北朝鮮が打ち上げを通告した期間が終わっていないことや、北朝鮮が弾道ミサイルの発射を続ける姿勢を強調していることなどから、その動向を慎重に見極める必要があるとして、破壊措置命令を継続し、警戒・監視を続けることにしています。

 

 

 


【東日本大震災】被災地のボランティア激減 震災の年の6%に

2016-02-07 22:05:32 | ご案内

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160206/k10010399891000.htmlより転載

被災地のボランティア激減 震災の年の6%に

2月6日 19時39分
被災地のボランティア激減 震災の年の6%に
 
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去年、東日本大震災の被災地で活動したボランティアは、宮城、岩手、福島の3県で5万8000人余りと、震災が発生した年の僅か6%に減っていることが分かりました。一方、被災地では依然、ボランティアへのニーズが続いていて、受け入れ団体などが継続的な支援を呼びかけています。
東日本大震災の被災地では発生直後から、がれきの片づけや仮設住宅での高齢者の見守り活動など、全国各地から数多くのボランティアが訪れて活動しました。
各地の社会福祉協議会を通して活動したボランティアは、震災が発生した平成23年には、宮城県で49万4015人、岩手県で32万588人、福島県で14万3792人で、合わせて95万8395人に上りました。
ところが去年は、宮城県で2万6627人、岩手県で2万106人、福島県で1万1641人の合わせて5万8374人で、震災が発生した年の僅か6%に減っていることが分かりました。
警察庁のまとめでは、今も行方が分からない人は3県で2500人以上に上っていて、被災地では毎月11日の月命日を中心に捜索活動が続けられています。
また、被災地での漁業や農業の再建支援や、原発事故の影響が続く福島県などでは、依然ボランティアへのニーズが高い状態が続いているということです。
このため、被災地で活動を続けるボランティアの受け入れ団体などでは、被災地への継続的な支援を呼びかけています。

「本当に人が足りないと感じる」

ボランティアが減少する一方で、被災地では引き続き支援を求める人が少なくありません。
宮城県南三陸町でワカメやカキの養殖を営む高橋直哉(35)さんは、震災の津波で養殖施設をすべて流されました。しかし、ボランティアの支援を受けながらがれきを片づけ、震災が発生した年の秋には、なんとか漁業の再開にこぎつけました。
その後も、多いときは全国各地から20人ほどのボランティアが訪れ、ワカメを選別したり硬い芯を取ったりする作業を手伝ってもらっていました。
しかし、訪れるボランティアは年々減少して、去年の後半からはほとんどいなくなり、6日もワカメの袋詰め作業を家族と親戚だけで行っていました。
こうした作業は、震災前は地元の人たちが協力して行っていましたが、震災後、地元を離れたり別の仕事についたりする人が相次ぎ、手伝いをできる人がいなくなったということです。
高橋さんは「今漁業をできているのはボランティアの方々のおかげで、感謝のことばしかありません。ただ、どんどん減っていて、去年は本当に人が足りないと感じました。観光を兼ねて楽しみながらでもいいので被災地に来てほしいです」と話していました。

感謝気持ち伝えるイベントも

東日本大震災の発生から5年になるのを前に、岩手県陸前高田市で復興を支援してきたボランティアなどに感謝の気持ちを伝え、継続的な支援を呼びかけるイベントが開かれました。
このイベントは震災の発生から5年になるのを前に陸前高田市で初めて開かれ、被災者の支援などに携わってきた全国のボランティアなど、およそ50人が集まりました。
参加者は大津波に襲われて「震災遺構」として保存される予定の「道の駅」で犠牲者に黙とうし、慰霊碑に花をそなえました。このあと開かれた式典で、陸前高田市の戸羽太市長は5年間の街の移り変わりをスライドで紹介し、「皆さんのおかげで復興は少しずつ進んでいますが、街づくりはこれからです。その姿を見届けてください」と述べて、感謝の気持ちを伝えるとともに継続的な支援を呼びかけました。
陸前高田市などによりますと、震災発生後の1年間は10万人近いボランティアが訪れ、去年はおよそ5700人が仮設住宅の見回りなどの支援に当たったということです。
今回のイベントに参加した義援金を贈っている佐賀県の女性は、「復興は5年たってもまだ半ばで、これからも被災地を忘れずに支援を続けていきたい」と話していました。
陸前高田市商工観光課の桑原祥作さんは、「ボランティアの方々は減ってきていますが、未来のまちづくりのために多くの方にこれからも支援を頂きたいと思います」と話していました。
 
 
 
 
 
 
 

【原発】申請の11原発、免震機能省く 事故対策拠点 川内審査受け縮小

2016-02-07 21:55:38 | 福島、原発

 東京新聞 TOKYO WEBhttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016020790070038.html

申請の11原発、免震機能省く 事故対策拠点 川内審査受け縮小

 原発事故が起きた際の対策拠点をめぐり、電力各社が原子力規制委員会に新基準による審査を申請した全国十六原発のうち十一原発で、地震の揺れを緩和する免震機能をなくし、当初方針より規模も小さくするなどしていることが本紙の取材で分かった。
 必要最低限の施設を整え、低コストで早く審査を通したい各社の姿勢がうかがえ、東京電力福島第一原発事故の教訓はないがしろにされている。 (小倉貞俊)

 対策拠点は、事故収束作業に携わる要員を放射能や地震から守り、関係機関と連絡を取り、食料や資材を備蓄しておく必要不可欠の施設だ。福島の事故で大きな役割を果たし、新基準の大きな柱の一つとされてきた。ところが昨年十二月、九州電力が再稼働した川内(せんだい)原発(鹿児島県)で、免震棟の新設計画を撤回。同社は玄海原発(佐賀県)でも計画を白紙にした。

 本紙は他にも同様の動きがないか、電力各社に調査。その結果、審査申請した十六原発(川内、玄海両原発を含む)のうち、十一で免震機能のない耐震構造に変更し、規模も大幅に縮小するなどの計画に変えていたことが分かった。

 当初計画通りに整備が終わったのは、東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)や中国電力島根原発(島根県)だけ。北陸電力志賀(しか)原発(石川県)では、免震棟は造ったが、指揮所の放射線防護性能が足りないため、耐震構造の指揮所を免震棟に新たに併設するという。免震棟は、余震が続いても、揺れを数分の一に緩和できるかわりに、設計が複雑でコストがかかり、工期も長くなる。

 川内原発の審査で、規制委は免震棟完成までの代替施設として、免震機能のない小規模な施設でも新基準に適合するとの判断をした。これを受け、電力各社はコストを抑え、早く審査をパスする状況をつくりたいと、計画変更に動いた。本紙の取材に、複数の電力会社が川内事例を参考にしたと認めている。

 川内原発の免震棟撤回問題をめぐっては、規制委が今月三日、九電の瓜生道明社長に「納得できない」と再検討を求めている。

必要最小限のルール

<新基準と免震棟> 原発の新しい規制基準は、防潮堤を設け、防水性能の高い扉を多用することで津波から原発を守るほか、「免震など」で通信、指揮、収束要員を守る施設を整備すること、さらには放射性物質の放出を抑制するフィルター付きのベント(排気)設備の導入などを求めている。新基準を満たせば、現場は1週間持ちこたえ、事故の拡大を防げる-とされるが、規制委が認める通り「再稼働できる必要最小限のルール」にすぎない。

(東京新聞)

写真

 

 

 


放射性物質含む5000トンの木くずが5県へ搬出!…滋賀のほか茨城、栃木、山梨、鹿児島

2016-02-07 20:33:11 | 福島、原発

NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/lnews/otsu/2065699531.html

NHK滋賀県のニュース 大津放送局

2016年(平成28年)2月7日[日曜日

放射性物質含む木くずは5県へ

東京電力福島第一原発の事故で出た放射性物質を含む大量の木くずが3年前に高島市で不法投棄された事件をめぐり検察庁が市民団体に捜査資料を開示し、およそ5000トンの木くずが、少なくとも5つの県に搬出されていたことがわかりました。

3年前、高島市の河川敷に放射性物質を含む大量の木くずが不法投棄され、市民団体の代表が有罪判決が確定した業者が国内各地に運んだとされる木くずの捜査資料を開示するよう求めました。
最高裁判所は去年12月、風評被害などに配慮して木くずが運ばれた市町村名や関わった業者名を伏せて開示するよう命じ、市民団体によりますと、大津地方検察庁が5日捜査報告書を開示したということです。

それによりますと、福島県から搬出された5000トンほどの木くずが滋賀のほか茨城、栃木、山梨、それに鹿児島の少なくとも5県に12のルートで運ばれ、その間、埼玉、千葉、群馬の業者が運搬などに関わっていたことがわかったということです。
事件を巡っては、高島市から撤去された木くずが、前橋市にある産業廃棄物の処理施設に搬出されたことが別の市民団体の滋賀県への情報公開請求で明らかになっていました。

京都大学元教授で市民団体の石田紀郎代表は「これまで搬出先がほとんど開示されないまま、各地で木くずが野ざらしになったり、土壌にまかれたりして放射性物質が拡散してしまった。経由地を含めて詳細が明らかになるようさらに取り組みたい」と話しています。

02月07日 08時15分

 

 


☆第1回いしかわ勝手連学習会☆ 金森俊朗先生「いのちと政治」の授業 /いしかわ勝手連

2016-02-07 15:42:42 | ご案内

いしかわ勝手連

 「過去からの贈り物・未来からの預かり物」は今、どこに?誰の手に?
多様な意見を認め合い民意を反映させることが、民主主義の大前提です。
私たち、いしかわ勝手連は、様々な立場の市民が個人として緩やかなネットワークを築き、今の政治状況に多くの国民が関心を持てるよう、情報発信していきます。
 

金森俊朗先生「いのちと政治」の授業☆第1回いしかわ勝手連学習会☆

 

                                                                                       画像by小原 美由紀さん、橘 薫‎さん

小原 美由紀さんFBより 〔書きおこし〕

金森先生大好きなママたちが、軒並み子どもや自分の風邪で欠席だったため
金森俊朗先生「いのちと政治」の授業☆第1回いしかわ勝手連学習会☆を、できるだけ、書きました。     文責・小原美由紀 

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選挙は、「候補者」に狙われたことがあるのですが(笑)、もうそれはないので、当選を狙える候補者を市民みんなの力で押し上げるため、いしかわ勝手連の顧問を引き受けた。 昨年肺がんを患い二か月入院した。現在もステロイドを飲んでいる。大切な仲間が同じ病気で先日亡くなった。そんな思いもあり、この流れを変えるために一石を投じられたらと思っている。

五日市憲法について、こういった人は、誰でしょう?「日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えた」 スウさんは、わかるな。
スウさん「皇后美智子さま」 そう。
http://www.kunaicho.go.jp/okoto…/…/kaiken/gokaito-h25sk.html

日本国憲法を自民党は押しつけ憲法だと言っているが、ふつうの人たちが勉強をしてつくりあげた憲法草案があった。高知県の植木枝盛も。

SEALDsの長棟はなみさんは、スピーチの中で、こう言っている。
「夏がくるたび、この国は戦争の臭いがして、光り輝く夏は、少し陰りを帯びるような気がしていました。
 私が小さい頃、広島に近い山口県に住んでいたので、なおさらだったのかもしれません。
 8月6日、毎年同じ日、同じ時間に、遠くから聞こえるサイレンをお母さんと一緒に手を合わせて聞きました。そして、『ああ、今年も夏が来たなぁ』と毎年感じていました。
 『火垂るの墓』を姉弟で泣きながら観たり、『はだしのゲン』を夢に出るほど読んだり、学校では、毎年戦争の授業があって、戦争の話を聞きました。」
「嫌がりながら日本国憲法を覚えたり、9条のプリントだけなぜか配られたり。戦争は理不尽なもの、あってはならないもの。」
「この国は日本国憲法、特に憲法9条と、それによる平和を誇り、しっかりと教育してきたと私は思っています。
 私が受けた教育は間違っていなかった。今ここで、声を上げる私を作りました。
 私はそんな国と学校を誇りに思っているし、これからもそうありたい。70年間、戦争をしなかった。他の国の人に対し、直接銃口を向けなかった。ひとりも殺さなかったという事実が、この国を守っている。そのことを誇りに思うべきです。」大学三年生です。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258004

 

こういうふうに語れる私を育ててきた教育が、この国を守っている、と彼女は言いきっている。
今の自民党政治安倍政権は、この国そのものを崩壊させようとしている。

政治家の使命は、教師と同じ。「聴くこと」。長く誠実に働いてきた人の声を聴けるか。弱者の声を聴くことができるか。

テレビの座談会に出席した時にこう発言した。 若者に「夢を持て!」というけれど、このテーブルも、マイクも、すべて、名もなき人がつくった。コツコツと誠実に生きてきた人たちを軽んずる雰囲気がこの国にあるのでは。そういう人たちの声を聴くのが政治家ではないか。

なにが国をつくり、なにが国を守っているのか。

江戸でしいたげられた人たちが明治に入り、熱っぽく説いたものが、日本国憲法となるまでに、多くの血が流され、多くの犠牲のもとに、できた憲法。

聴いていなかったがチラシをみたら「授業」と書いてあるので、ちょっとは授業らしく。憲法第97条を読む。 

・・・・・・・・・・・・・・
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
・・・・・・・・・・・・・・

「信託した」信頼し、託されたもの…後の人たちに託さなければ。私たちはリレーのある位置を占めるものにすぎない。
預かりものであり、借りものである。

安政の時代、(金沢の)東山で 2000人が山に登って、城に向かって「ひもじいわいやー」「米くれまいやー」と、シュプレヒコールですよね。(泣き一揆)平和的闘争でしたが、つるぎから全土へと広がるきっかけになった。
<参考>http://article9.jp/wordpress/?p=5823

そのため、一揆の首謀者の7人が処刑。「七稲地蔵」として残っている。
師と仰ぐかつおきんや先生の「安政五年七月十一日」を(小学校教諭時代)小学校6年生と読みあった。

「このような人たちは、今もいるのだろうか?」6年生はどう答えたか。
この子たちの夏の朗読劇を演じる人たち、実行委員会の人たち、広島長崎の被爆者の人たち、その苦しみのわかる人たち、戦争を生き抜いてきた人たち・・
子どもたちは、歴史上に生きてきた人たちが、脈々と今、生きていることに気づいていた。

安倍政権を構成する人たちは、憲法がこのように誕生してきたものととらえきれていない。

「積極的平和主義」という言葉を多用した。「消極的平和主義」とは、今ある戦争をなくすこと。ほんとうの意味の「積極的平和主義」とは、貧困、差別、戦争につながるものをやめていくこと。
安倍さんが「平和のために貢献」といった意味の英語をアメリカの議会でスピーチ。一国の首相が、なんら国民的合意もなく国会でも話さず、総意として話してくるというのはどう考えてもおかしい。

世界での日本国憲法の価値・・・武器を持たないで平和をつくっていく。
その価値を我々自身が知らされていない、知っていない。子どもたちに伝えてこなかった、ということが問題。子どもたちを裏切り続けている。

第一次安倍政権は、「日本の子どもたちは凶悪化している」と言って教育基本法を変えた。自殺者者は、三万人台から二万人台になったが、でかでかと報道されるのは「いじめられ自死」のみ。 事実、正確さを欠いた報道がはびこる。教員は圧倒的にそれを信じている。学校目標で多いのは「思いやりを持とう」。

平和をつくる力とはなんなのか? 中村哲さん・・アフガンに緑豊かな大地を、と医者が井戸を掘る。ペシャワール会、日本のカンパだけでやっている。膨大な水路をつくってきた。日の丸をつけていれば、誰からも狙われなかったが、最近はつけている方がこわいと。
イスラム国をつくったのは武力による憎しみの連鎖。「やられたらやりかえせ」の雰囲気。子どもたちですら大人たちが信じられない現実。

生き方として、我々が平和をつくっていく。市民たちに「日本の平和をつくる力」がある。私たちは、平和をつくってきたんだ、ということに自信を持とう。平和をつくってきた人は限りなくあるはず。それを、こどもたちに手渡すこと。

きょうもそうでしょう?動員によってじゃなく、自主的に納得する人たちが集まっている。

奥田愛基くんと話した時(2015年3月)、どうして憲法九条じゃなく、秘密保護法に反対したのか、と聞いた。彼らの感覚で、「秘密にされる」ということがヤバい、と思ったと。
市民がひとりひとりの人間として参加する・・・彼らは大きな流れをつくった。
この一年間、頑張ってきたものを、政治の力にできないか。

あてにしたいのは幼子を持つ親たち。そしてかわいい孫を持つじじばばたち。みんなで会を立ち上げられないか。いまできることは 市民連合を大きくすること。プラス、勝手連の野党共闘。
現時点で、民主はまだ統一できない。でも、政党はそれぞれの思惑があって難しい。
「子どもたちだけには、平和を手渡したい」、という大きなひとつの願いのもとに。

憲法と同い年の私は、「一生、銃を持たない」という人生を全うできそうです。本当の意味で殺したい、という思いをかうことはなかった。
でも、安倍総理は「憲法九条を変える」ともうはっきり言っている! 
このままでは死んでも死にきれん。だが、いのちの制限はある。 後悔しないように、石川でも統一が可能になれば、と思う。

難しいが、石川には 内灘闘争や、珠洲の原発を呼びこまなかったという政治的遺産もある。 「こどもたちのために」「だれのこどももころさせない」を、最大のスローガンにしながら、頑張りましょう。

(※メモだけをもとにしているので、間違いがあれば教えてください※)

 

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参議院選挙および衆議院選挙において、野党の選挙協力を実現し、参議院与党議席配分3分の2を防ぎ、衆議院選で政権交代を目指す。
そして安保関連法廃止を実現する。