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【辺野古】命限り(ぬちかじり)~沖縄県知事が被告として法廷で語った200分~

2016-02-19 23:48:54 | 沖縄

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。不定期連載でお届けします。

http://www.magazine9.jp/article/mikami/26049/

第41回

命限り(ぬちかじり)~沖縄県知事が被告として法廷で語った200分~

<!-- 知事証人尋問 -->

 2016年2月15日午後2時。福岡高裁那覇支部で辺野古の埋立てを巡る「代執行裁判」の第4回口頭弁論が開かれた。埋立て許可を取り消した沖縄県知事を被告にして国が始めた裁判だ。弱い者が強い者を訴えるならわかるが、戦後70年間も基地を押しつけてきた側が沖縄に対して、さらに引受けないことに怒り、司法の力まで借りて屈服させようとしている。諸外国から見たら理解しがたい構図ではないだろうか。私は地元紙に傍聴記を書くために法廷で一部始終を見届けた。

 裁判官に向かって左手、国側の弁護団は総勢20人弱。20分前に着席完了、私語一切無し。右手沖縄県側は23人、ぎゅうぎゅうに詰めて3列に座る。翁長知事はピンと背筋を伸ばして、口を一文字にして開廷を待つ。緊張の中に静かなエネルギーが漲っているのを感じる。

 201号法廷は那覇の裁判所の中でも大きい部屋だというが、高校の教室ほどの広さしかない。傍聴席は記者を入れても48席、これを巡って380人が抽選に並んだ。裁判官と係官合わせて100人が法廷という名の狭い部屋に膝をつき合わせ、異常なエネルギーが充満している。
 右半分からは、沖縄の歴史と尊厳をかけた負けられない闘いに臨む熱気がびんびん伝わってくる。が、左半分に座る国側の人々は一様にポーカーフェイス。冷静なのか冷たいのか、空気もひんやりしている。左側の空間が水色なら、知事のいる右側は熱気でオレンジ色。四角い部屋の空気はタテに真っ二つに分かれている。その、真ん中でせめぎ合っている目に見えないラインこそが、この国の民主主義と地方自治を取り戻す闘いの最前線なのだ。こんな小さな空間から、国家の根幹に巣くう闇を照らす法を引き出していかなければならない。

 被告である翁長知事は証人台に移動、まず全員起立して「良心に従って真実を述べる」旨の宣誓を要求される。紺のスーツに深紅のネクタイを締めた知事は用意されたグラスに水を注ぎひと口を口に含んだ。予定ではこれから1時間半、被告・原告双方からの質問に資料など一切無しで答えるのだ。緊張しないわけがない。

 県側弁護団からの最初の質問は、「知事選に立候補するに至ったいきさつ」だった。以下は私が法廷で取ったメモを参考に、極力質問と答えの趣旨を正確に再現するつもりで書くが、あくまで私の聞き取り能力の範囲であることはご容赦願いたい。

翁長知事
「昭和25年、保守の政治家の家に生まれました。幼い頃から基地を巡って保革が対立し、大人たちが罵り合いながら生きてきたのを見ていました。保守は革新の言い分を理想論だと切り捨て、革新は金で命を売るのかと保守に迫る。本来沖縄県民が望んで持ってきたわけではないのに、その基地を巡って県民同士が争うわけです。いつしか、それを誰かが上から見ていて笑っているのではないかと思うようになりました。父が(のちに那覇市と合併する真和志市の)市長だったので、将来市長になりたいと考えたときにも、県民の心を一つにしたいという思いはずっとありました」

Q 稲嶺県政の時には、辺野古移設を一旦は受け入れていたのでは?

「当時は自民党県連の幹部でした。苦渋の思いで軍民共用空港にすることと使用期限を付けることで稲嶺知事を支え、当時の岸本名護市長も条件を付けて容認して政府に協力する姿勢を取っていましたが、平成18年に米軍再編の話が進み、一方的な閣議決定で条件も含め白紙になってしまった。一体何だったのだろうと政府のやることに徐々に批判的になっていきました。
 この問題の当初、政府には野中さんや小渕さんと言った戦中戦後の沖縄に思いを寄せて下さる政治家がいました。中曽根政権の官房長官を務めた後藤田さんは、『俺は沖縄には行かないんだ』と話しました。『どうしてですか?』というと、『県民がかわいそうでな…。直視できないんだよ』とおっしゃった。胸が熱くなりました。私たちの思いに応えようとしていた方々もいたのです。
 那覇市長の時代に民主党政権が県外移設を掲げて誕生しました。鳩山総理がそれをやってくれるならと大いに期待しましたが1年足らずで元に戻ってしまった。県内に作らないためには、沖縄県としてはもう○○党なんて言っていられない。解決するにはオール沖縄しかないと思いました」

Q 県知事選では大差を付けて当選したがその理由をどう見る?

「サンフランシスコ講和条約で沖縄は日本から引き離されて、アメリカに土地まで買い上げられようとしました。戦後で貧しくて、当時の沖縄は裸足とイモの生活です。それでも、自分たちの土地は売らないと。この時は保革関係なく力を合わせて土地買い上げに抵抗し、一坪たりとも売らなかったことは県民の誇りです。そして賃貸借になったわけですが、県内の基地の7、8割が個人の地主で、元は無理やり取り上げられた土地です。それなのにほかからは『お前たちは基地で食ってるんだろう』と言われ続け、傷つけられ続けてきました。だからこそ前知事の『3000億円の交付金でいい正月が迎えられる』という発言を聞いたときには、県民の尊厳が崩れ落ちるような気持ちになりました。
 私たちは当然豊かさを求めますが、誇りを失ってはいけない。私が知事選のスローガンに掲げた『誇りある豊かさ』は、革新が大事にしてきた誇りと、保守が重視してきた豊かさ、両方を取り入れた概念です。繰り返しますが、私たちは自分から基地を差し出したことは一度もない。それなのに、普天間基地が老朽化して使い勝手が悪いから、また沖縄から差し出せという。出さないなら、と警察も海上保安庁も一緒になって、陸で、海で、県民を押さえつけてでもやってやろうというあの姿を毎日県民が見ていたら、将来の子や孫のことを考えたらとてもこれではいけないと。それが大差での勝利に繋がったのだと思います」

Q どうしても沖縄に基地を置かなくてはならない理由に日米安保がある。それについては?

「元々保守の政治家ですから、日米安保体制の必要性は理解しています。しかし昨今中国の脅威ばかりが叫ばれて、中谷防衛庁長官もスクランブル発進が増えているとか宮古・八重山へのミサイル配備が急務であるとかこんこんと話されていますが、旧ソ連との緊張関係が高まっていた時代と比べても今のほうがそこまで危険なのかどうか。それで、中国防衛に関して沖縄が役割を果たせということならば、あの70年前の口に出して言えないような苦しさと同じことを繰り返すことになりますが、それはおかしくはありませんか?  
 昔は、沖縄は中国に近いから抑止力だと言われた。しかし今は、中国から近すぎて危険だと言われています。マイク・モチヅキさん、ジョセフ・ナイさんも報告しています。中国からのミサイルで普天間基地も嘉手納基地も一発でやられてしまうそうです。物の本によれば、そのミサイルに核弾頭を搭載できるといいますし、そんなものが飛んでくるなんて心が凍る思いです。先日の北朝鮮からのミサイルも6、7分で沖縄上空に到達した。そんな中に我々はいるのです。中谷長官は沖縄のことを領土としか考えていないかも知れませんが、沖縄の先々の子どもたちのことを守っていくのは、我々沖縄の責任世代しかないんです。辺野古に作られる基地は200年も対応する恒久的な基地で、強襲揚陸艦が接岸する軍港と弾薬庫も備えています。米国と中国の緊張関係が今後続いていく中で日米安保と言ったときに、沖縄の安全という視点は決定的に欠けているのではないでしょうか」

Q 知事が埋立てを取り消したことに対して防衛省は執行停止を求め、国交省がそれを認めたが?

「菅官房長官は、日本は法治国家だと言いますが、本当にそうなのかどうか。防衛省と国交省、アンパイアとプレーヤーが一緒という形で、到底納得できるものではありません。すると国は直ちに代執行訴訟に入ったんですね。戦後ずっと日本の安全保障を支え続けてきた沖縄県民に対して、あくまでも押しつけていこうという姿勢に大きな疑問を持ちました。三権分立に則って客観的な判断を仰ぎたいというのはそこから来ています。知事として、裁判にこうして出廷するということは正直なところ心身ともに大変な思いもあります。しかし、司法の公正な裁きを信頼するからこそ、ここに臨んでいます。
 沖縄県からしますと、日本国民としての自由度、民主主義、自己決定権どれもないがしろにされてきたという思いがあります。この国が、安保体制も含めて世界に理解され尊敬される国であって欲しい。そして沖縄が誇りと希望を持って子や孫が生まれ育ち、ふるさとを愛しながら自信を持って生きていけるように、わたしたちは頑張っているのです。慎重な判断をして頂きたい。そして将来の日本のことも考えて欲しい。アンパイアとプレーヤーが一緒という、同じ行政内の判断ではなしに、裁判所の方できちっと公正な判断をして欲しいと願っています」

 アンパイアとプレーヤーが一緒であってはならない、と最後にもう一度繰り返したくだりは、私の勝手な解釈だが国交省と防衛省の行政機関内の癒着のように国と司法が癒着したような判決はやめて欲しいと念を押したようにも感じたが、考えすぎだろうか。
 ここまでおよそ140分、熱弁というにふさわしいドラマティックな展開だった。法廷にカメラを持ち込めない理由はもちろんよく理解しているが、傍聴した人の多くがこれは県民に、いや全国民に聞いて欲しい内容だったと感じていたことだろう。裁判長はまっすぐ知事を見て、時折うなずき、メモを取っていた。途中歴史の話に重複が見られるときには「簡潔に」と促す場面もあったが集中を切らすことなく聞いていたという印象だった。しかし若い裁判官の一人が途中居眠りをしていたのは残念だった。

 さてここから60分は国側の質問に入るのだが、今後有効な切り札を出すために知事の言質を取って置こうという策略的な質問が続く。

Q あなたは、あらゆる手法を駆使して辺野古基地建設を止める、と言っていますが、変りはないですか?

「そのままです」

Q それは政治家としての信条ですか? 埋立て承認取り消しもあらゆる手法の一つですか? 信条のためにやったんですか?

「第三者委員会の結論に従って取り消しをしました」

Q 3月にあなたは岩礁破砕の一時停止を指示しましたね。これもあらゆる手法の一つですか?

「漁業規則に則って環境保全の観点から指示に至ったものです」

Q しかし、県は沿岸海域の立ち入り調査の中で環境破壊を確認できましたか?

「いえ、すぐに調査したいと言っても認められず、半年も経過していたためにきれいに掃除されたような形になっていました」

Q 第三者委員会の委員は誰でしたか? 人選はあなたが行ったのですか? 人選の基準は何ですか? 公平、客観、中立、とおっしゃった。この○○号証をご覧下さい(新聞記事を見せる)。○月○日、委員のAさんは反対集会に参加してこの事態にストップを懸けるのが我々の使命だと発言していますね。明らかに反対している人物であることはご存じでしたか? こういう発言をされている方に客観的な判断ができますか?

「それぞれのお考えはあると思いますし、他の委員の方もいろいろな見方をされていると思います」

Q 法的瑕疵がある、という結論ありきの委員会だったのではないですか? 本当に委員会の報告書を見てから瑕疵があると思ったのですか?

Q 那覇空港の埋立て承認も仲井真知事がしています。こちらも環境破壊の懸念があると思いますが同じように県庁内で精査されたんでしょうか?

Q 質問を変えます。普天間基地の危険性を除去しようという考えはおありですか? あなたの中で「基地の整理縮小」というのは基地負担の軽減になりますか?

「それは面積の問題だけでは計れないですね。強襲揚陸艦を持ってくるとか二本の滑走路にするとか、負担の重さはその内容によります」

Q 那覇市長だった時代に辺野古移設を容認していましたよね。平成17年6月の那覇市議会(資料を示す)『規模を縮小した上での辺野古移設はより現実的…』と発言しています

「平成18年の米軍再編前だから、その意味合いは違ってきます」

Q そして今は反対。お考えが変わった理由は何ですか?

「当時の稲嶺知事に相談もなく政府は再編を発表したことに不信感が芽生えたからです」

Q 平成27年10月の県議会議事録。知事公室長が『県としては公有水面の埋立てに掛かる手続きを適正に行ったものと理解しています』と発言しています。これは正しいですか? 
基地問題対策課は知事公室長の管轄ですね? 公室長が審査は適正にされたというのであれば、普通、瑕疵はないということですが、今になって瑕疵があるとはどういう趣旨ですか?

Q あなたはあらゆる手法で阻止するとおっしゃっています。それでも司法の判断には従うのですか?

「行政の長としてしっかり受け止めます」

Q あらゆる手法、との整合性は? 沖縄防衛局長が取り消しの取り消しを求め、国交省の裁決が出ている。その採決には従わないのですか?

「裁判所という第三者の判断とは違う」

Q司法の判断には従うけれど、行政内部の判断には従わないということですね? では本当に代執行の裁判で敗訴したら判決に従うのですか? 瑕疵がないと判決が確定してからもそのほかの抵抗は続けるのですか? あらゆる手段というのは…

裁判長「ちょっと質問の趣旨が解りません」
県側弁護団「承認取り消しとはもう関係ないことを聞いてますよ…」

 内容のない会話を書き取るのはどっと疲れる。前半は2時間あっても飽きなかったが、国側の弁護団はあくまで揚げ足を取りながら知事を追い込み、何が何でも最初から辺野古反対と決めていて駄々をこねているだけ、という色に染めようとしているのが見え見えの小手先の質問の応酬だった。そしてどんな結論が出ようと判決に従うつもりのない輩と決めつけて裁判官の心証を悪くする狙いなのだろうが、逆に翁長知事が沖縄県民の思いを背負った言葉の重みに比べて陳腐過ぎて心証を悪くしたのではないだろうか。
 国の代理人は所詮パートタイムジョブである。彼の人生をかけて質問しているわけでもないし、子や孫や地域も背負ってここに立っているわけでもない。両者が一つの問題に向き合う法廷という空間にいながら、眼差している地平が違いすぎて目眩がする。
 
 行政処分の取り消しを簡単にされては公益を守れない。だから県が埋立てを取り消したことを国が無効にしてもいいのだ、という原則論の形をとりたい国側。一方沖縄側は70年間、人権も財産権も侵害されてきた県民が、かつてない大規模な連帯を背景に根本的な解決を求めている。空中戦もいいところだ。こんな風に沖縄と国とが司法の場で対決する裁判を幾つも見て来た。辺野古アセス裁判、沖縄戦の死者を英霊の列から取り戻す靖国裁判、座り込んだ高江の住民を「通行妨害」で国が訴えたスラップ(恫喝目的)裁判…。
 いずれも県側は、沖縄がなめた辛酸を二度と繰り返さないという不退転の決意で臨んでいる。ところが裁判の中身としては、座りこみの横に車が通れたかどうかとか、霊璽簿から名前が消せるかどうかとか、本筋ではないところに議論が持っていかれ、実際に県民の望む本質の議論にはなかなか到達できない。だから私は「司法に期待してもどうせ…」とシニカルな見方をしてしまいがちなのだが、沖縄側は毎回本気で、温度は熱い。何度民意が無視されてもまた次の選挙に訴え、何度最高裁で負けてもさらに正義の判決を期待して提訴する。その不屈の精神には毎回圧倒される。

 それにしても、沖縄県知事は大変だ。沖縄県民の民意を受けて進めてきた事なのに、国に訴えられ、被告席に座らされて尋問されるのだ。他府県を見渡しても、何も見ないで200分も喋れる知事ばかりではないだろう。弁護団と模擬法廷で練習を重ねて本番を迎えたとも聞いているが、頭が下がる。しかし沖縄県知事は幸せだ。異例の寒さと雨の中で1000人もの県民が数時間前から集まってきて応援してくれる。姿を現しただけで歓声が上がり拍手が巻き起こる知事が他にいるだろうか。今回の動画は、裁判前後の様子を長めにつないだので、時間があるときにその熱気を見て欲しい。

 ところで最後に、県は裁判所の示した和解案の暫定案について、突然前向きな姿勢を会見で示している。暫定案は簡略に言えば、国が訴訟を取り下げて埋め立て工事を直ちに停止し、県と話し合うというものだ。しかし別の訴訟の判決には従うことを相互に約束する、という表現もあり、どう評価して良いかメディア県民もまだよく解らないという状況だ。国はこの和解案には否定的である。「オール沖縄はもう勢いを失っている」と強気で、和解案に応じる気配はない。

 

 

 


この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 憲法学者・樋口陽一さん

2016-02-19 23:32:20 | 平和 戦争 自衛隊

毎日新聞http://mainichi.jp/articles/20150917/dde/012/010/005000c

特集ワイド

この国はどこへ行こうとしているのか 「平和」の名の下に 憲法学者・樋口陽一さん

憲法学者・樋口陽一さん=徳野仁子撮影
 

社会の骨組み壊される

 ある女子大学生の叫びが忘れられない。6月19日、首相官邸前で行われた安全保障関連法案への抗議集会でのことだ。

 「私たちは特別なことを要求しているんじゃない。ただ自由に生きたいだけ。これ以上、平和な世の中を壊さないで」

 「なんと切実な思いだろう」。集会に参加していた樋口陽一さんの胸に突き刺さった。「安倍晋三政権は社会の骨組みそのものを壊そうとしている。若者たちはそれを鋭く見抜いている」と。

 「社会の骨組み」の一つが憲法だ。政権は、集団的自衛権の行使を可能にするため、憲法9条の解釈をねじ曲げ、過去の内閣法制局内や国会での議論をひっくり返し、さらには「必要な自衛の措置」に言及した1959年の砂川事件最高裁判決を都合良く解釈した。「これらは立憲主義、裁判所の独立、法の支配などに抵触する。安倍政権がしていることは、人類が長年にわたって積み上げてきた『知の遺産』への侮辱です」

 「闘う憲法学者」の看板的存在だが、長年、新聞やテレビで時事問題についてコメントするのは極力控えてきた。2012年暮れの総選挙で、安倍首相が再登板するまでは−−。

 「大学はいい意味で『象牙の塔』であるべきだからです」。象牙の塔とは、世間の動きから遠ざかったところで研究に励む状態を皮肉る言葉だ。「責任ある言論を発するために、時代に流されない考え方、理論を確立するのが学者の本分だと考えていましたから」。政府の審議会にも原則、加わらなかった。

 だが、再び権力の座に就いた安倍首相は、憲法改正規定である96条のハードルを下げると言い始めた。「これは放っておけない」。若手学者らに推され「96条の会」代表に就いた。政権の政治手法に批判的な学者グループ「立憲デモクラシーの会」の共同代表を務め、元内閣法制局長官や元外交官らと「国民安保法制懇」も設立。節目には政権批判の声明を出し、憲法集会に積極的に参加する。「学者としての方針転換。私はきちんと『憲法改正』したんですよ」と笑う。

 自宅の部屋には、作家の井上ひさしさん、俳優の菅原文太さんと樋口さんが納まった写真が飾られている。共に鬼籍に入ってしまったが、井上さんは仙台一高の同級生、菅原さんは1級上の先輩だった。

 井上さんは改憲を阻止する「九条の会」の呼びかけ人の一人で、時折、樋口さんと憲法集会に参加し、共著も出版した。

 菅原さんが昨年1月に東京都知事選で細川護熙元首相の応援演説をしたときは、樋口さんがそばで見守った。「菅原さんがよく言っていました。『政治の最も大事な役割は、絶対に戦争をしないことだ』と」

 安保法案の肝は、言うまでもなく集団的自衛権の「限定行使」だ。つまり武力行使、戦争に発展する可能性がある。その違憲性について、こう語る。

 「憲法の前文にも9条にも『自衛権』という言葉は出てこない。しかし憲法に書かれていなくても、国家である以上、自分がやられたらやり返す権限、個別的自衛権はあるというコンセンサスを政府は培ってきたんです。それには国民が納得するだけの説得力がありました。ところが、集団的自衛権の本質は他国への攻撃を自国への攻撃とみなして武力行使する『他衛』です。憲法に個別的自衛権の文言さえないのに、集団的自衛権にまで概念を広げられないのは、論理的に当然です」

 安倍首相らが「我が国の安全保障上、必要だ」としていることには「(集団的自衛権行使の具体例として示された)中東・ホルムズ海峡の機雷除去は、イランの安全保障担当者が『開かれた安全な海域とすべく最善を尽くしている』と発言して海峡封鎖の可能性を否定しており、現実味が乏しいのは明らか。結局、法案の必要性について国民が十分に納得できる説明はなされなかった」と言い切る。

 そして話を、幕末の志士から初代首相に上り詰めた伊藤博文へと転じた。伊藤は、大日本帝国憲法制定の議論の際、立憲主義の本質をこう述べている。

 「そもそも憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」(枢密院会議議事録)

 「国家権力である天皇の権限も縛る、という立憲主義の基本を伊藤は理解していた。立憲主義への理解という点では、明治時代の政治家の方が深かったと思います」。痛烈な批判だ。

 戦後日本は新憲法の下、国民主権を実現した。「民主主義に関する議論が盛んになる一方、立憲主義はあまりに当然すぎて意識されなくなりました」。最近は「数は力」「多数決がルール」などの極端な民主主義論がまかり通るようになってきた。安倍首相も国会で多数を占める与党を背景に「決めるときには決める。それが民主主義の王道」と言う。民意は6割以上が法案反対にもかかわらず、だ。

 立憲主義や民主主義を踏みにじるかのような首相の軽い言説を「不真面目だ」と断じる。そして、デモで何度か耳にしたフレーズを口にした。

 「国民の心情は一言、『なめんなよ』ですよ」

 戦争を知る世代だ。米国に宣戦布告した41年12月8日は、恐怖に身が震えた記憶が残っている。家にあった絵本には米国の高層ビル街や民間航空機の姿が描かれていた。豊かさにおいて日本とは雲泥の差があることが、子供心にも分かった。「こんな国と戦争しても、勝てっこないと思っていました」

 45年7月、米軍による「仙台空襲」で約1400人の命が奪われた。戦火は逃れたが、樋口少年は何台ものトラックが遺体を運ぶむごい光景を目にした。「戦争ほど個人の尊厳や自由を奪うものはない」。そう直感した。

 それから70年。冒頭の女子大生のように、若者が尊厳や自由を奪うなと訴えている。自由が奪われた先には戦争がある、と見通しているかのようだ。

 <すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする>

 樋口さんは、デモや集会に参加する若者を「この憲法13条がうたう個人の尊厳が具現化された姿だ」とたたえる。「彼らは誰に指示されたわけでもなく、今まで当たり前だと思っていたものがなくなる危機を感じ、自分自身の判断で行動している。まさに個人の尊厳のありようが身についているのです」

 与野党の勢力図だけを見れば、安保法案は成立してしまうかもしれない。だが、老憲法学者の表情に陰りはない。

 「あの若者たちの姿は、安倍首相がどんなに壊そうと思っても壊せないものですよ」【江畑佳明】


 ■人物略歴

ひぐち・よういち

 1934年、仙台市生まれ。東京大、東北大名誉教授。上智大、早稲田大でも教壇に立った。「『日本国憲法』を読み直す」(井上ひさし氏との共著)、「比較のなかの日本国憲法」「自由と国家」「憲法と国家」など著書多数。

 

 

 


2/19 野党5党が党首会談、 国政選挙勝利へ最大限協力/共産、一人区候補取り下げも

2016-02-19 14:23:39 | 政治 選挙 

NHKニュースhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20160219/k10010414841000.html

野党5党 国政選挙での勝利へ最大限協力

2月19日 12時07分
野党5党 国政選挙での勝利へ最大限協力
 
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民主党や共産党など野党5党の党首が会談し、夏の参議院選挙をはじめ今後の国政選挙での勝利に向けて、5党で最大限、協力することで一致しました。また、会談で、共産党の志位委員長は、参議院選挙での野党側の候補者調整を進めるため、党として求めている「国民連合政府」の構想を調整の前提とはしない考えを示しました。
会談には、民主党、共産党、維新の党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたちの野党5党の党首が出席し、各党の幹事長・書記局長も同席しました。

会談では、来月29日に施行される安全保障関連法と、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定について、「憲法違反であり認められない」として、法律の廃止と、閣議決定の撤回を共通の目標とすることを確認しました。そのうえで、野党5党は、夏の参議院選挙をはじめ今後の国政選挙での勝利に向けて、最大限、協力することで一致しました。

また、会談で、共産党の志位委員長は、夏の参議院選挙で野党側の候補者調整の前提としてきた、安全保障関連法を廃止するための「国民連合政府」の構想について、「賛否についてさまざまな意見があるので、いったん横において、選挙協力の協議に入りたい。定数が1人の『1人区』では思い切った対応をしたい」と述べ、「国民連合政府」の構想を候補者調整の前提とせず、1人区で党の公認候補者を取り下げることも視野に入れて対応していく考えを示しました。

民主 岡田代表「認識は完全に一致」

民主党の岡田代表は、国会内で記者団に対し、「5党で確認したところに意義があり、認識は完全に一致した。きょうの確認事項を達成するため、今後、5党の幹事長、書記局長が早急に協議して、具体化していきたい」と述べました。

共産 志位委員長「思い切った対応したい」

共産党の志位委員長は、記者会見で、「国政選挙での協力と具体化のための協議に入ることは、多くの国民の声に応える極めて重要で画期的なことであり、わが党としては、誠実かつ真剣に協議に臨み、できるだけ速やかに合意を得るよう全力を挙げたい。参議院選挙の1人区の候補者調整にあたっては、『戦争法』の廃止と、立憲主義の回復という大義の実現のために、思い切った対応をしたい」と述べました。


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産経ニュースhttp://www.sankei.com/politics/news/160219/plt1602190023-n1.html

 共産、国民連合政府構想を凍結 参院選1人区候補取り下げも 野党5党首会談で表明

 共産党の志位和夫委員長は19日、民主、維新、社民、生活の各党党首と国会内で開いた会談で、夏の参院選に向けて共産党が提案していた安全保障関連法廃止のための野党連立政権「国民連合政府」構想を凍結する考えを示した。事実上の撤回で、選挙協力で合意できた場合には、参院選の1人区で擁立済みの独自候補を取り下げる可能性にも言及した。

 構想の撤回は、反発する民主党などに配慮し、参院選の協力を進める狙い。志位氏は会談で「国民連合政府は必要だと主張してきたが、賛否はさまざまだ。政権の問題は横に置いて、選挙協力の協議に入りたい」と述べた。1人区の協力については「思い切った対応をする」と語った。

 党首会談では、安保関連法廃止と集団的自衛権の行使を容認した閣議決定の撤回、安倍晋三政権打倒などを目標に、4月の衆院補選や夏の参院選の1人区で協力を進める方針を確認した。近く各党の幹事長らが具体的な協議に入る。

 
<関連>
https://twitter.com/shiikazuo/status/700503523364986880
志位和夫認証済みアカウント@shiikazuo

5野党党首会談で以下の4項目を確認しました!

、安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする。
、安倍政権打倒をめざす。
、国政選挙で現与党及びその補完勢力を少数に追い込む。
、国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う。

 

 
 
 
 
 
 

元書“自殺”に直前取材した記者が「山田議員を刑事告訴する準備していたのに自殺は不可解」

2016-02-19 00:38:27 | 報道

リテラ http://lite-ra.com/2016/02/post-1989.htmlより転載

安倍チルドレン議員の元秘書“自殺”に直前取材した記者が「議員を刑事告訴する準備していたのに自殺は不可解」

2016.02.18
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自民党 衆議院議員 やまだ賢司 公式ホームページより


 先日、第一報として事実関係をお伝えした、安倍チルドレン議員元秘書の不審死。この人物は野田哲範氏といって、ネトウヨ発言連発で有名な自民党・山田賢司議員の元公設秘書を務めていたのだが、死の直前、ブログで山田議員の「政治と金」の問題を告発していた。それが2月11日、兵庫県西宮市で遺体となって発見されたのだ。

 警察は車中に練炭があったことから野田氏が練炭自殺をはかったと判断したようだが、関係者の間では野田氏の死に疑問の声が上がっている。

 死の直前まで野田氏の告発を取材していた関西在住のジャーナリスト・今西憲之氏も「自殺とするのはあまりに不可解だ」と首をひねるひとりだ。

「遺体が発見される数日前にも野田氏と電話で話しましたが、いつもと変わった様子はありませんでした。野田氏は大きな社会問題となっている空き部屋マッチングのNPOを立ち上げてその活動も順調で多忙だと嬉しそうに話していましたし、体調にも問題があるようには見えませんでした。しかも、野田氏は先日、新たに山田議員を告発する準備までしていました。私にはどうしても、彼が自殺したとは思えません」

 たしかに、野田氏の死をめぐっては、たんなる自殺と片付けられないような不可解な点がいくつもある。

 たとえば、遺体発見時の状況。野田氏は西宮市久保町の路上に駐車してあった車の中で同日の午前11時頃遺体となって発見されたのだが、そのときの野田氏は運転席にいて、そこから後部座席の練炭の中に顔を突っ込む形の状態だったという。そのため野田氏の顔は遺族も確認できないほど破損していた。

 練炭自殺というのは珍しくないが、燃えている練炭の中に顔を突っ込んで自殺、などということがあるのだろうか。

 また、発見されたのが比較的人通りの多い場所だったことも不可解だ。すぐ近くの西宮大橋を渡れば、数分で人気のない西宮浜がある人工島に行けるのに、なぜわざわざこんなところで死んだのか。しかも、時間帯は人目につきやすい午前中である。

 さらに、わからないのは、自殺の動機だ。今西氏の証言にもあったように、野田氏は今年1月27日に弁護士と共に神戸地検に出向き、新たに山田議員を告発する相談までしていた。

「私は13年4月から山田氏の公設第一秘書を務めてきましたが、その間、給料から毎月10万円をやまだ氏に返還させられていたんです。いわゆる給料の『ピンハネ』です。その総額は1600万円以上になります」(「週刊現代」講談社/7月25日・8月1日合併号より)

 すでに昨年夏、野田氏は「週刊現代」で山田氏の“給与ピンハネ”をこう実名告発し、それ以前に、神戸地検に強要罪で山田氏を刑事告訴していた。

 だが、これが不起訴処分となったため、野田氏は今年に入って、新たに、政治資金規正法違反の虚偽記載での告発を決意。告訴のために神戸地検へ出向き、検事に「明らかな偽造がある」と説明していた。前出の今西氏もその時の様子をこう証言する。

「野田さんが刑事告訴を考えていたのは、自分が辞めた後も、山田議員の事務所の会計責任者にされていて、印鑑も勝手に使われて報告書が訂正されていたというものでした。筆跡も現在の秘書のものだと証明できるということでした。野田氏は山田氏への告発に向け着々と準備をしていて、検察に行った後も、『検事は自分の言い分を興味深く聞いてくれていたし、やる気を感じた』と嬉しそうに報告してくれました」

 そして、野田氏は死の数日前、2月6日になって突如、2日続けて山田議員を告発する記事を複数アップした。同時に「自分には、残された時間がない」などの死を覚悟したような記述もあった。

 関係者によると、これまで、野田氏が山田議員に関する発信をするときは弁護士や関係者と相談してからという約束になっていたというが、今回はまったく誰にも相談もなく独断で記事が投稿されたという。いったい野田氏に何が起きたのか。

 既に警察は自殺と断定したというが、このまま野田氏の死にまつわる疑惑、そして、野田氏が告発しようとした山田議員の「政治と金」の疑惑はこのまま闇に葬りさられてしまうのだろうか。
編集部

 

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<サンデー時評>選挙法そのものが違憲立法 この選良の執念の訴えを聞け

2016-02-19 00:30:00 | 政治 選挙 

Shoichiro Ikenaga さんFBより

<サンデー時評>衆参ダブルで違憲立法だ この選良の執念の訴えを聞け〈サンデー毎日〉

mainichibooks.com 2月11日(木)12時5分配信

 ◇倉重篤郎のサンデー時評 連載87

...国会が浮かれている。

 何に浮かれているか? 衆参ダブル選挙モードに浮かれている。

 安倍晋三首相からすれば、面白くてたまらない政局だろう。この野党の弱体ぶりでは、参院だけの選挙でも自民党は単独過半数(122議席)を回復するであろう。あの1989年の「山が動いた」選挙から27年ぶりの快挙となる。

 さらに色気を出して衆参ダブルに持ち込めば、その相乗効果による議席の上積みが期待でき、改憲勢力だけで発議に必要な3分の2(参院の場合162議席)まで届く可能性も見えてきた。しかも、その決断は急ぐ必要もない。5月まで待って、経済状況、その他を勘案して決めればいいことだ。

 安倍氏周辺のこういった思惑が、国会全体を染め上げている。議員たちは腰が据わらず、ダブルを念頭に地元を走り回っている。この時代の節目の大事な時期ではあるが、国権の最高機関たる立法府の威厳と風格がどこにも見られない。ただ票亡者たちの権力におもねる妄執のみが浮き上がる。

 そんな中、ある小さな、だが、政局を切り裂く声が響いてきた。

 その選挙、ちょっと待った。選挙法そのものが違憲立法である。安倍さん国民に陳謝せよ。という。

 声の主をただした。

 参院議員の脇雅史氏(71)である。前自民党参院幹事長。参院の1票の格差是正を検討する協議会の座長として、大胆な抜本改革案を取りまとめたが、自民党内の抵抗勢力につぶされ、それに抗議して参院自民会派を離脱した(20015年7月)人物だ。我がコラムでも二度ほど登場していただいた。

 脇氏曰(いわ)く。衆参両院の1票の格差訴訟では最高裁からこの5年間で5本(衆院3本、参院2本)の違憲状態判決が出たが、立法府は違憲立法状態で居直っている。

 特に、直近の15年11月25日の衆院に対する最高裁判決は深刻である。それまでの判決がなかなか抜本改善を図らない国会の不作為に対して違憲状態を指摘していたのに比して、今回は国会がこれによって違憲状態を脱したと胸を張っている作為(13年6月成立の衆院定数0増5減法)そのものに対して、それでもダメだと「ノー」を突き付けられたからである。

 ◇法治国家の成り立ちを問う! 時の流れに左右されない根源的な批判

 確かに、安倍氏は首相として14年1月から2月にかけて3回、「(0増5減法成立により)違憲状態は解消されたものと考えている」と答弁、その解釈に基づき同年12月解散総選挙に踏み切った。

 脇氏によると、15年判決が出た以上は、これは内閣による明確な憲法99条(憲法尊重擁護義務)違反になる。内閣の憲法違反という前代未聞の事態に対しては安倍氏が国民に、あれは違憲立法でしたと陳謝、法案審査した内閣法制局長官の責任を問うべきだ。「ほっかむりはおかしい」というのだ。

 参院に対してはもっと厳しい。

 衆院はまだ最高裁判決が例示した「2倍以内」という法理に沿って収めようとしたからまだ救いがある。だが、参院が15年7月28日に成立させた10増10減案は直近の14年11月26日判決の法理を確信犯として逸脱している。つまり、10増10減案の背景には、投票価値の平等は衆参とでは違う、という認識があるが、脇氏によると、これは14年判決にある「参院は衆院と共に国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する機関としての責務を負っており、参院選挙であること自体から直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難い」とする法理に反する、というのだ。脇氏に言わせると参院は判決にたてついた、ということになる。

 立法府が最高裁判決をそれほど軽視していいのだろうか。これが脇氏の問題意識である。立法府の中には、いまだに最高裁何するものぞ、国民に直接選ばれた立法府こそが一番との意識がある。しかし、日本は三権分立であり、憲法81条は、最高裁を法律が憲法に適合するかどうかを決定する終審裁判所と定めている。その最高裁が違憲性をかくまで声高らかに、しかも何度も明確に指摘しているテーマは他にない。しかも、ついにその指摘は時の政権が合憲と言い張る法制までをターゲットにするに至った。1票の価値をめぐる50年にわたる司法vs.立法の闘いがついに抜き差しならぬ新しい局面に入った、というのである。

 このままだと法治国家としての体面を失う。
まずは、中国に対しこれ見よがしに日本こそ法の支配を体現する国家であると言えなくなる。しかも、選挙に入れば少なくとも参院は無効判決が出てくる可能性がある。司法はその性質上、引き返せない。むしろ、その確信犯的な違憲行為に対してより厳しい判決を出すだろうと予測する。

 ただ、この問題の重さを理解している人は少ない、と脇氏は言う。年が明けて各党や衆参両院議長への公開質問状を、内閣に対しては質問主意書を順次出してきたが、同僚議員の反応もメディアの関心も薄い。ある意味たった一人の異議申し立てである。

 この議論は重要だ、というのが私の直感である。安倍政権は例の安保法制で、1959年の砂川最高裁判決をもって、よって立つべき法理だとした。それだけ大事な最高裁判決をこと1票格差で軽視するわけにはいくまい。ダブル選挙の可能性が依然として高く、改憲が争点になることを考えると、そもそもの選挙法の違憲性という問題がまずは議論されるべきだろう。

 脇氏はこの選挙で引退する。「15年11月判決が事実上違憲立法と認定しているのに皆さん何も感じてない。これではだめだと思い、最後の仕事にしようと思った」

 選良への期待とは、時の流れに右往左往するのではない。毅然(きぜん)と根源的な批判をする気骨である。