「緊急事態条項」こそが一番の緊急事態?
2016.02.01
元日に安倍首相は「任期中に緊急事態条項から憲法改正に取り組む」と発言しました。え?何それ?と思われた方も多いでしょう。
「緊急事態条項」は、大災害などへの対応を定めるものだとか。「9条改憲は抵抗あるけど、災害への対応は必要かも」と思うかもしれませんが、実はこの「緊急事態条項」、けっこう危ういのでは?という声が高まっています。
大災害への対応に改憲が必要?
自民党がつくったマンガ『ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?』には、こんなくだりがあります。
「地震なんかの時の憲法の規定はどうなってんだろう?」
「ない」
「えーっ⁉︎」
「今の日本の憲法には、地震なんかの緊急事態に関する規定はないんだよ」
(中略)
「緊急事態の時に、多くの国では、大統領などの行政のトップに強い権限が与えられるんじゃ」
「海外では、行政のトップが『緊急事態宣言』を出して、国会での予算措置を待たずに被災地にお金を使ったり、国会議員の選挙を延期したりできるんだよ」
「どうして?」
「スピードだな」
「それだったら、地震の時にもすぐに、住民の避難や復旧活動ができるってわけだ‼︎」
緊急事態条項があれば大災害が起きてもスピーディーに対応できる、というのです。たしかにまた大地震があるかもしれないし、「緊急事態条項」って必要かも・・・と思ってしまいそうですね。
「緊急事態条項」が必要な理由として、国政選挙の時期に大災害があったら国会に議員の「空白」ができるし、選挙どころではなくなるから、議員の任期を延長できるようにしようということが言われます。しかし、実は今の憲法はそういう場合も考えてあります。「内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる(54条2項)」という規定です。たとえ衆参同時選挙となる場合でも、改選されない半数の参議院議員で緊急集会を開けば法律を作り予算措置をすることができるので、問題はないのです。
災害時は むしろ現場に権限を下ろすべき
災害対応は現場の判断が重要
東日本大震災の際に、岩手県宮古市の避難所で法律相談を行った弁護士・小口幸人さんは、災害対応で一番重要なのは「現場に権限を下ろすこと」だといいます。被災地の実情を知っている現場の自治体などを信頼し権限を与えるのが鉄則で、「緊急事態条項」のように国に権限を集中させるのは逆効果だというわけです。
実は現在でも、災害対策基本法や災害救助法では、災害時に市町村長が設備物件の除去を指示できたり、避難のための立ち退きを勧告できるなど、自治体に大きな権限が与えられています。(また武力攻撃についても、武力攻撃事態法で対応が定められています。)すでに法律レベルでしっかりした災害対応の体制ができており、足りないのはそれを活用するための現場の事前準備や訓練だと小口さんは言います。実際、たとえば鹿児島の川内原発で、原発から10〜30キロ圏の病院や社会福祉施設の避難計画が作られていないのに再稼働が決められました。本当に災害対応を心配するなら、改憲より先にやるべきことがたくさんあるようです。
「緊急事態」のメインは 実は戦争やテロ
災害対応が口実だとしたら、緊急事態条項の本当の目的は何でしょうか。それを考えるために、2012年に発表された自民党の改憲案を見てみましょう(自民党ホームページで見られます)。そこには、次のような緊急事態条項の規定があります。
自民党改憲案 第98条
1 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。 (以下略)
「緊急事態」として真っ先に挙げられているのは、災害ではなく武力攻撃と内乱です。この改憲案の作成に関わった磯崎陽輔氏(安保法制で「法的安定性は関係ない」と言った人)によれば、「社会秩序の混乱」には当初、テロを掲げていたそうで、死者の出ない爆弾テロでも緊急事態宣言がなされる可能性があります。極論を言えば、誰かに自作自演的にテロを起こさせて緊急事態に持ち込むことも可能でしょう。(かつての満州事変は日本の関東軍による自作自演テロ(=柳条湖事件)で始められました)
もうひとつ、これを読んで気になるのは、「その他の法律で定める緊急事態」とあること。国会で過半数を占めた与党が法律をつくれば、どんどん緊急事態の要件を広げられるわけです。というか、緊急事態宣言下では内閣が緊急事態の要件を決めることもできます。新型インフルエンザが流行したり、安保法反対のデモが国会を取り囲んだだけで「緊急事態」宣言する可能性もあるわけです。そして、この「緊急事態宣言」については、後で国会の承認を得ればいいのです。
安倍政権は、東日本大震災の記憶が生々しいうちに「災害対応」を掲げて憲法を変え、政府の権限を強めて戦争できる体制をつくろうとしている、との見方もあります。
内閣の好き放題に・・・これってナチスの真似?
緊急事態が宣言されると、どうなるのでしょうか。
自民党改憲案 第99条
1 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる・・・(以下略)
自民党案では、内閣が出す政令が法律と同じ効力を持ち、これまでの法律も内閣の決定で覆せるようになります。自分が考えたことがそのまま法律になる・・・これは、すべての独裁者が夢見る特権でしょう。
全権委任法への賛成を求めるヒトラー (Bundesarchiv, Bild 102-14439 / CC-BY-SA 3.0)
実はあのヒトラーが、よく似たやり方で独裁体制を確立した歴史があります。1933年にナチスは、政府が自由に法律を作れるという「全権委任法」を提案・成立させました。その後、これを活用して「政党新設禁止法」や「政府は新憲法を制定できる」という法律などを作り、一党独裁体制を確立したのです。この全権委任法はドイツが敗戦するまで続き、11年間で政府が作った法律は985件、国会が作った法律は8件だけ。国会は無意味なものになり、議会制民主主義は死にました。
去年、麻生副総理は改憲について「ナチスの手法に学んではどうかね」と発言し、批判を浴びて撤回させられました。これが本音だとすると、緊急事態条項を突破口に国のカタチを変えようとする手法は、まさにナチスに学んでいるのかもしれません。
これまで共産党と社民党以外の野党は緊急事態条項に理解を示しており、自民党はこれを入口にすれば野党の合意も得やすいと考えてきました。しかし今年になって、民主党の岡田代表は姿勢を転換し、「法律がなくても首相が政令で国民の権利を制限できる。恐ろしい話だ。ナチスが権力を取った過程もそうだった」と厳しく批判するようになりました。緊急事態条項が単なる災害対策などではなく、独裁国家への道を開くものだということが知られるようになってきています。
「緊急事態」では 基本的人権が制限される
自民党改憲案には、こんな規定もあります。
第99条 3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も・・・国その他公の機関の指示に従わなければならない。
緊急事態では国が強力な権限を持って「秩序」を守らなければ、というわけです。でも「国その他公の機関」の役人さんたちが、常に国民の生命や安全を第一に考えてくれるわけではありません。
記憶に新しいのが、福島第一原発事故の直後に「SPEEDI」データが公開されず、多くの国民が無用な被曝をしたこと。また戦時中は防空法という法律がつくられ、空襲の時に逃げずに消火にあたることが義務づけられたため、東京大空襲では多くの人が焼死しました。本当に日本の政府が国民の立場に立った信用できる存在だと思えるのならともかく、こうした規定は政府の都合で個人の権利や自由を制限するだけになりかねません。緊急時は、霞が関や永田町の人達の命令に生命を預けるよりも、古くから「津波てんでんこ」(津波の時はそれぞれに逃げて自分の生命を守れ)と言われるように、個人がそれぞれに判断して適切に動くことが大切でしょう。
こうした緊急事態では、国民の基本的人権は制約されることになります。自民党は「大きな人権(国民の生命、身体及び財産)のためには、小さな人権は制限されることがあり得る」(「日本国憲法改正草案Q&A」)としていますが、人権に大きいも小さいもありません。具体的には、中山太郎・元自民党衆院議員が2011年に独自の改憲試案の中で、緊急時は「通信の自由、居住・移転の自由、財産権」が制限されうるとしています。たとえば原発事故の時に緊急事態宣言が出されれば、自宅を取り上げられたり、逃げることを禁じられたり、インターネットや携帯電話での情報収集・発信ができなくなったりするかもしれません。市民の間で情報をやりとりし、自分の判断で動くことを禁じてしまおうというわけです。
緊急事態条項が悪用されると・・・
緊急事態条項は、いろいろと悪用が可能です。
第99条4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては・・・その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
緊急事態を宣言すれば、国会議員の任期を延長できるのです。緊急事態をずるずると解除せずにいれば、多数派与党が国会に居座り続けて国民の審判を回避することが可能になります。
このように緊急事態条項には、
- 好き勝手に緊急事態が宣言され、政府がやりたい放題できる
- いつまでも緊急事態が解除されず、独裁体制になる
- ゆきすぎた人権制限がなされる
- 多数派与党が国会に居座り続けることができる
といった心配があります。
文部省教科書「あたらしい憲法のはなし」(1947)より
憲法に定められた三権分立は、国民の代表である国会と、政府・内閣と、裁判所が、たがいにチェックしあうことで政府の暴走を防ごうというしくみです。戦前、軍部や政府が暴走した歴史を持つ日本では、こうしたチェック機能はとても大切なはず。「緊急時」を理由にして政府に権限を集中させる緊急事態条項は、そのブレーキ機能をはずそうというものです。
憲法学者の木村草太さんは「緊急事態だから、国会の権限を内閣に譲るというのは、結局はその時の政府に白紙委任をするだけで、むしろ大変に危険だ」と言っています。自民党の改憲案を読むと、全体として政府の権限を強めて国民を従わせようとする意図が感じられます。一部のエリート層が大多数の国民の上に立つしくみを確立するには、国民の権利と自由を定めた日本国憲法は邪魔なのかもしれません。そういう視点から、緊急事態条項について考えることも大切なのではないでしょうか。