中さん

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
kumagaya001nakanaka002

日記(3.18)

2023-03-18 07:46:37 | 日常
3月18日 (土曜日)    雨
予報通り、昨夕から静かに降る雨になった。

一寸涼しいが。良いお湿り。
=============================
毎日新聞 のコラム
 足尾鉱毒事件の追及で知られる明治期の政治家、田中正造
 地方自治の先駆者でもあった。
 栃木県議のころから「自治精神の培養」を主張し民権運動に参加、帝国議会議員となった。
====
▲鉱毒問題では、谷中(やなか)村(当時)など被害に苦しむ人たちを守ろうと政府に抵抗した。
 1901(明治34)年、有名な明治天皇への直訴文は鉱毒による地方の窮状を
 谷町村の自治全く頽廃(たいはい)せられと訴えている。
 谷中村は結局、遊水地として水没した。
=============================
  直訴状を保管する「佐野市郷土博物館」の茂木克美館長は
 「名主の家に生まれた田中には自治の意識が強かった。
  鉱毒事件は谷中の自治を守る闘いでもあった」
と指摘する。
~~~~~~~~~~~
  ★私が勤務していた群馬の会社には多くの足利生まれの方がいた。
   自分の田圃が鉱毒に見舞われ、表層の土を1~2m剥ぎ取る作業をしていたと
   何十年も経っているのに、この事件の根の深さを知った。
   その後、何度となく田中正造のことは見聞きすることになった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
メモ)
田中正造は明治時代の国会議員で、環境を守るために命がけで政府と戦った人。
明治時代、栃木県の足尾銅山では、たくさんの銅が掘り出された。
 ところが、銅を掘ったときに出る鉱毒(毒のある鉱物やどろ)を渡良瀬川に流していたので、
 1885年ごろから下流の田畑にその毒がたまり、
 作物が枯れたり、家畜が死んだりした。人々の健康にも影響が出てきた。
 そこで下流の農民たちは、足尾銅山で銅を掘るのをやめるようにうったえたのだが、
 なかなか聞き入れられない。
~~~
 そこで田中正造が、国会でこのことをとりあげ、大きな社会問題になった。
 さわぎが大きくなることをおそれた政府は、被害を受けた人と銅山との話し合いで
 解決しようとしたけど、
 やがて大洪水が起こって、鉱毒は栃木、群馬のほか、埼玉、東京、千葉にもおよんだんだ。
 田中正造は、ふたたび反対運動を起こした。しかし今度も、なかなか聞き入れられないので、
 1901年には天皇に直接うったえようとして、取りおさえられた。
 この事件でさわぎがますます大きくなった。
   ★川俣事件 勃発の地
    場所:群馬県邑楽郡明和町川俣558番地
    1900年2月13日、足尾銅山の操業停止を求める
    渡良瀬川流域の農民、およそ2500名は邑楽郡
    渡良瀬町(現.館林市)に集結した。

    東京への第4回押し出し(請願)を決行するためである。
~~~~~
    利根川の川俣の渡し(現.昭和橋下流200m付近)へ
    向かう途中、佐貫村(現.明和町)川俣の上宿橋
    (現.邑楽用水路)にさしかかったところで、
     待ちうけていた300余名の警官・憲兵隊と衝突し、
    多くの犠牲者を出した。これが、川俣事件である。

    当時の佐貫村長や村民は、負傷した農民を
    近くの寺、真如院で手厚く介護したということである。

    この事件に対する政府の措置に失望した田中正造は、
    衆議院議員を辞職し、天皇への直訴を敢行した。
    以後、足尾銅山の鉱毒問題は、谷中村(現.廃村)の
    渡良瀬遊水地化反対闘争へ進展してゆくことになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
困った政府は、渡良瀬川下流の谷中村を貯水池にすることを決めて、
農民を別の場所に移そうとした。けれどもこれに応じない農民がいたため、
 政府は谷中村をうちこわそうとした。
 そこで、田中正造は自分も谷中村に移り住んで、農民たちといっしょにたたかいつづけたんだ。
 そのとちゅうで、田中正造は病気のため亡くなったけど、
 環境を守るため命をかけて戦った政治家として今でもたくさんの人から尊敬されている。

◆ 正造翁のこと・渡良瀬遊水地・川俣事件跡地・足尾銅山跡・足利の各地を見て歩く度に
  環境問題の解決は起こした期間よりも何十・何百倍もの期間が過ぎていくんだ。
  歴史の代々の証人もまだ沢山残っている。
=============================================
▲さて、統一地方選が23日の9知事選告示からスタートする。
 多くの地方で人口減少が進み、地域や共同体を持続させるためのビジョンが問われている
▲政府の「地方創生」の看板はいつの間にか
 「デジタル田園都市国家構想」に変わってしまったようだ。
 国の施策は大切だが、地方に主体性がなければ踊らされてしまう。
▲地方選挙でも近年は、投票率の低下が目立っている。
 それぞれの地域に課題や争点がある。
 行政や地方議会に不満を持ちながら棄権するようでは、丸投げと変わらない。
▲田中は晩年に「日本人の気風は下より起こらず、上よりす。民権も官よりす(中略)。
 ああ、一種不思議の気風なり」
と嘆いている。
 今はどうか。地域のあり方を決めていく主役は住民だ。
 その重みと向き合う場としたい、20回目の統一地方選である。
======================
★無投票の選挙区も多く出てきている。
 議員に、魅力を感じなくなってきている時代かも・・
 平和過ぎると為政者を欲しがらないのかも・・
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする