マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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額田部町融通寺十夜

2012年01月05日 06時43分11秒 | 大和郡山市へ
「本山四十六世當寺開山融観大通老大上人尊儀 正徳六年(1716)二月十二日 施主念佛講中舟代」と書かれた位牌がある額田部町の融通寺。

その寺の名が書かれた扁額には「當寺開山○大源四十六世賜紫沙門大通観老人」とある。

一時期衰退した融通念仏宗を再興した念仏僧で、一宗の基礎を築いたとされる。

10月末には平野本山からやってきた大念仏ご回在は同寺に泊っていた。

本堂が落慶法要されたのは平成15年。

ご回在の一行がマイクロバスで来るようになってからも泊っていた。

当時、大和奈良で本山が泊っていたのは宇陀市榛原の宗祐寺と融通寺だけになっていた泊り。

それは惜しいと続けてこられたが、世の中の流れには逆らえず、次世代を担う子供の時代にはそぐわなくなって2年前に止められた。

その頃、トモの人は納骨堂で寝泊まりした。

本堂ができあがって僧侶たちとともに本堂で泊った。

その晩にお勤めをして、翌朝も同場所でお勤め。

それから額田部一帯を巡ってご回在をしていたという。

この日は十夜の法会。

北方と南方の檀家役員や檀家が集まってきた。

そのほとんどが婦人たちだ。

お供えは既に、大通上人の掛け図や位牌の前に置かれている。

お米やアラレカキモチ、飲み物などだ。

本尊などには調理御膳が供えられた。



アブラゲや菜っ葉の椀、レンコンやダイコン、シイタケを煮た椀、ジャガイモにニンジンの椀。それぞれの椀はいずれも煮びたしのようだ。

もう一つの椀には三角おむすびのような形のアカゴハン(セキハンとも)がある。

その膳に箸を添えた住職。

鉦を叩いてお経を唱えられる。

「なむあみだぶー なむあみだぁー」。

「なむは南無で。あなた(阿弥陀さん)に帰依するのです」と住職は法要後に話された。

そして、過去帳を、精霊(しょらい)納骨回向、先祖代々や追善菩提を「なむあみだぶー なむあみだつー」と念仏する。



十夜回向、北町の英霊、震災犠牲者の供養も含めて塔婆回向へと続く。

その間に焼香をされる檀家たち。

手を合わせて祈りを捧げる。

堂内には焼香の煙が漂っていた。

そのときだ。お堂のスピーカーからブチブチと鳴りだした。

音は徐々に大きくなった。

煙探知機の警報だったのだ。

急いで扉を開けて風を迎える法要となった。

念仏の功徳をもって参拝者たちへの身体堅固は「なむあみだぶつ」で終えた。

かつては大釜でアズキガユを炊いて振舞っていた十夜の日。

2月11日の節会では雑煮のモチをよばれるという。

ちなみに「成道会(じょうどうえ)」はお釈迦さんに悟りを開いた日で12月8日に法要をされる。

(H23.12. 3 EOS40D撮影)