マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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高田亥の子行事のお仮屋あばれ

2012年01月09日 08時49分38秒 | 桜井市へ
かつては高田全域から選ばれた大当家と小当家は指導者である前年の当家とともに6人で営んできた。

年長順に回ってくるだけにそうとうな年数を待たなければならない。

新しい住民も増えてきたことから平成14年からは地区を9組に分けて一年交替に改正された。

かつては11月1日だった。

それは明治32年に記された『山口神社祭典明細帳』に残されている。

昭和16年では旧暦11月1日の12月18日だった。

その後も旧暦で営まれてきた。

昭和19年に12月1日となって昭和63年からは12月の第一日曜に移った。

また、亥の子行事の場は大当家の家の座敷と庭先で行われていたが昭和46年からは出荷場(平成8年に建て替え)に移されたとある。

本来は山口神社のあばれ祭と呼ぶ亥の子暴れ祭はお仮屋あばれ、膳あばれ、夜のあばれ(灯明消し)の三部構成の祭典で行われている。

お仮屋あばれが始まるころ、お仮屋に集まってきた子どもたち。

猪の化身、亥の子とされる子供がそれをぶっ壊す。

お仮屋の高さは1m50cmぐらいで四方幅はおよそ1m80cm。

竹製のお仮屋はフジの枝で縛って固定している。



そこには2週間前から作られたあらゆる農具や山の道具を象った作り物をぶらさげている。

屋根はなく平坦。



板を置いて上に乗せたのは神さん(山口神社の分霊)を納めた屋形である。

屋形の前に供えた御供はネムの木の箸を添えたハチマキメシ、コヅケの膳やお神酒、塩、米に半切りしたカシライモとカブラ、ハッタイコ(コバシとも)、ヒジキ(クロメのメイとも)、ダイズマメの膳と野菜や果物の三つの膳だ。



台にはカラスキ(唐犂)とマンガー(馬鍬)も供えられた。

お仮屋あばれを始めるにあたって大当家は暴れの子供に災難もなく、今年の豊作に感謝申しあげてお祈りをする。

神さんに祈ったあとは屋形や御供膳を下げられる。

屋形は出荷場の神棚に納められた。

大当家の掛け声が発せられたとたんに激しく動く亥の子暴れの子供たち。



目を付けていた農、山の道具をわし掴みで引きちぎっていく。

凄まじい奪い合い合戦である。

数分も経たないうちに目当てのお駄賃が入っているオヒネリもすべてお仮屋から消えた。

戦利品の農、山の道具は家に持ち帰る。

昔に盗ったものは今でも家に保管していると話す男性も多い。



次に始まったのがお仮屋壊し。

力を入れて倒していく。

倒されたお仮屋は踏みつけたり、足で竹を押さえて力任せの腕で折る。

またたく間にお仮屋はバラバラになってしまった。

大人たちが静止する声も聞こえない。

これでもか、これでもかと破壊する。

まさに暴れの亥の子の様相はおよそ2分で終えた。

(H23.12. 4 EOS40D撮影)