村に疫病が入ってこないように祈る行事にオコナイがある。
いわゆる修正会である。
主にお寺の廊下や床を叩いて悪病を追い出す作法にランジョウがある。
用いられる木はフジやサクラ、あるいはウルシというのもある。
木を叩くことなく太鼓を打ち音によって追い払う作法もある。
また、村の入り口にあたる下流の川にカンジョウナワを掛けるツナカケがある。
疫病は下流からやってくると信じられ結界のツナを張るのである。
それによって村を守るという。
これを「川切り」と呼ぶ地域もある。
地域によって様々な営みである。
そのような事例の他に村周りの数か所に祈祷札を挿す行事もある。
山添村の大塩や春日で行われている風祈祷である。
天理市西井戸町も同じように挿すが村の田んぼすべてに亘っている。
風祈祷は大風が村にやってこないようにと願う行事だ。
祈祷されたお札は大風除けを願うものだ。
奈良市都祁南之庄町の虫祈祷では村外れの地に祈祷札を挿す。
虫送りに際して虫の法要をされた祈祷札である。
それは白石、上深川、小倉、針ケ別所など。
室生の笠間川沿いの無山、染田、小原、下笠間でも同様に行われている。
尤もこのお札は田畑を荒らす虫を村から追い出して供養のためのお札で疫病除けではない。
いずれにしても、このような行事が行われているのは主に山麓や山間。
奈良盆地部では稀である。
さて、桜井市脇本ではどうしているかと言えば、村の境目にあたる東と西に矢を立てるのである。
例年ならその矢は12本。
閏年ならば13本だ。
ひと月ごとの本数を立てて一年間の悪病除けをするのだ。
この日は朝から春日神社の鳥居に掛けられる大注連縄が頭屋の庭先で作られる。
作るのは宮座衆と手伝いさんらだ。
脇本の宮座は八人衆。
新入りは10月中旬に行われる頭屋渡しを受けて八人衆入りをする。
一般的にはミナライを経て行事を覚えていくのだが、脇本ではいきなりその日から祭祀を勤める座の人となる。
春日神社における宮座の儀式はその頭屋渡し、二月の朔座、そしてこの日に行われる大縄掛けが主な宮座の行事になる。
主なというのは座の行事が頭屋宅で行われるというわけだ。
座入りした頭屋は一年ずつ繰りあがって勤めは8年間。
たいへんなことだけに頭屋を受け入れる家は引き手が現れないと総代らは溢される。
新頭屋にとって初の仕事が大注連縄作りなのである。
一方、屋内では神主や一老が矢を作る。
魔よけの矢と呼ばれている矢だ。
昼の休憩を挟んで再び注連縄作りが始まった。
できあがった太い注連縄はオーコに通して頭屋と一老が運ぶ。
サガリの松葉房を二つの桶に入れてオーコを担ぐ。
もう一人は魔よけの矢を抱えた。
興味を覚えた頭屋の子供たちも随行する。
神社に到着すれば直ちに二人の座衆は別行動をとる。
魔除けの矢とされる矢は東の黒崎垣内との境界の田んぼにそれぞれ一年の月数を地面に突き挿す。
この年は閏年だけに矢は13本だ。
矢羽根の角度はいずれも手前側に向けて矢の先は隣の村となる。
そこを済ませば西側にあたる慈恩寺垣内との境界へ出向く。
その場所は決まっているのだが、数年前に建てられた壁面で場所が判らなくなっていた。
ここであろうと東と同じように13本の矢を立てた。
その形態を見に来た葛城のY氏曰く、昔は立てた矢の距離が離れていたという。
それぞれの矢は地区に災いが入って来ないようにと村の安全を祈り斜めに立てる。
そうして矢立てを終えた二人が戻ったのは春日神社。
平成20年の取材時では鳥居脇にある樹木に掛けられていた。
その後に設えたポール棒に移ったが注連縄掛けの作業は手がかかる。
三つのホングリの位置調整をして間に八本のサガリ松房をぶら下げる。
中央のホングリには奉書に包んだ丸い切炭と米、アワ、ムギ、アズキなどの五穀を取り付けて完成した。
神饌を祭壇に供え、神社に向かって祓えの儀、祝詞奏上などの神事を終えて大縄掛けを終えた。
神社の前では度々発掘調査が行われている。
この年の8月には第17次調査の現地説明会があったそうだ。
7世紀後半(飛鳥時代)の大型掘立柱の遺構が検出された。
泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)の可能性が高まったという。
この日に訪れたときも発掘地はブルーシートに覆われていた。
第18次調査であろうか。
何度か発掘された個所はM家の前。
何次調査のときか不明だが、怪しい病気にかかったと話す。
その後の調査のときも再びややこしい病気になったという。
今回は「どうなるんやろか」と言いながら大縄掛けに応援されたのであった。
(H23.12.18 EOS40D撮影)
いわゆる修正会である。
主にお寺の廊下や床を叩いて悪病を追い出す作法にランジョウがある。
用いられる木はフジやサクラ、あるいはウルシというのもある。
木を叩くことなく太鼓を打ち音によって追い払う作法もある。
また、村の入り口にあたる下流の川にカンジョウナワを掛けるツナカケがある。
疫病は下流からやってくると信じられ結界のツナを張るのである。
それによって村を守るという。
これを「川切り」と呼ぶ地域もある。
地域によって様々な営みである。
そのような事例の他に村周りの数か所に祈祷札を挿す行事もある。
山添村の大塩や春日で行われている風祈祷である。
天理市西井戸町も同じように挿すが村の田んぼすべてに亘っている。
風祈祷は大風が村にやってこないようにと願う行事だ。
祈祷されたお札は大風除けを願うものだ。
奈良市都祁南之庄町の虫祈祷では村外れの地に祈祷札を挿す。
虫送りに際して虫の法要をされた祈祷札である。
それは白石、上深川、小倉、針ケ別所など。
室生の笠間川沿いの無山、染田、小原、下笠間でも同様に行われている。
尤もこのお札は田畑を荒らす虫を村から追い出して供養のためのお札で疫病除けではない。
いずれにしても、このような行事が行われているのは主に山麓や山間。
奈良盆地部では稀である。
さて、桜井市脇本ではどうしているかと言えば、村の境目にあたる東と西に矢を立てるのである。
例年ならその矢は12本。
閏年ならば13本だ。
ひと月ごとの本数を立てて一年間の悪病除けをするのだ。
この日は朝から春日神社の鳥居に掛けられる大注連縄が頭屋の庭先で作られる。
作るのは宮座衆と手伝いさんらだ。
脇本の宮座は八人衆。
新入りは10月中旬に行われる頭屋渡しを受けて八人衆入りをする。
一般的にはミナライを経て行事を覚えていくのだが、脇本ではいきなりその日から祭祀を勤める座の人となる。
春日神社における宮座の儀式はその頭屋渡し、二月の朔座、そしてこの日に行われる大縄掛けが主な宮座の行事になる。
主なというのは座の行事が頭屋宅で行われるというわけだ。
座入りした頭屋は一年ずつ繰りあがって勤めは8年間。
たいへんなことだけに頭屋を受け入れる家は引き手が現れないと総代らは溢される。
新頭屋にとって初の仕事が大注連縄作りなのである。
一方、屋内では神主や一老が矢を作る。
魔よけの矢と呼ばれている矢だ。
昼の休憩を挟んで再び注連縄作りが始まった。
できあがった太い注連縄はオーコに通して頭屋と一老が運ぶ。
サガリの松葉房を二つの桶に入れてオーコを担ぐ。
もう一人は魔よけの矢を抱えた。
興味を覚えた頭屋の子供たちも随行する。
神社に到着すれば直ちに二人の座衆は別行動をとる。
魔除けの矢とされる矢は東の黒崎垣内との境界の田んぼにそれぞれ一年の月数を地面に突き挿す。
この年は閏年だけに矢は13本だ。
矢羽根の角度はいずれも手前側に向けて矢の先は隣の村となる。
そこを済ませば西側にあたる慈恩寺垣内との境界へ出向く。
その場所は決まっているのだが、数年前に建てられた壁面で場所が判らなくなっていた。
ここであろうと東と同じように13本の矢を立てた。
その形態を見に来た葛城のY氏曰く、昔は立てた矢の距離が離れていたという。
それぞれの矢は地区に災いが入って来ないようにと村の安全を祈り斜めに立てる。
そうして矢立てを終えた二人が戻ったのは春日神社。
平成20年の取材時では鳥居脇にある樹木に掛けられていた。
その後に設えたポール棒に移ったが注連縄掛けの作業は手がかかる。
三つのホングリの位置調整をして間に八本のサガリ松房をぶら下げる。
中央のホングリには奉書に包んだ丸い切炭と米、アワ、ムギ、アズキなどの五穀を取り付けて完成した。
神饌を祭壇に供え、神社に向かって祓えの儀、祝詞奏上などの神事を終えて大縄掛けを終えた。
神社の前では度々発掘調査が行われている。
この年の8月には第17次調査の現地説明会があったそうだ。
7世紀後半(飛鳥時代)の大型掘立柱の遺構が検出された。
泊瀬斎宮(はつせのいつきのみや)の可能性が高まったという。
この日に訪れたときも発掘地はブルーシートに覆われていた。
第18次調査であろうか。
何度か発掘された個所はM家の前。
何次調査のときか不明だが、怪しい病気にかかったと話す。
その後の調査のときも再びややこしい病気になったという。
今回は「どうなるんやろか」と言いながら大縄掛けに応援されたのであった。
(H23.12.18 EOS40D撮影)